(1)他愛もないきっかけだった

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 圭介と別れてから、近衛はそのまま自宅に戻った。    職場からは車で十五分ほどの、駅の反対側にある、年季の入った十階建てのマンションだ。今の勤務先に変ったときに引っ越した。  目の前には公園と海が広がっており、その七階ともなるとかなりのロケーションだ。  ひとり暮らしでは広めの2LDKのファミリータイプの間取り。同じ市内ではあるが、広くて見晴らしが良い以外は、特段利便性が高いわけでもない。実は職場の近くにもっといい物件もあった。それでもここに決めた理由は、尋生と圭介が五階に住んでいるということに尽きる。    マンションの駐車場にランドローバーを駐車して、エントランスのエレベーターで七階まで上がった。もともと入居者に共働き世帯が多いのか、かなりの規模のマンションではあるが、昼間の共用部分に人影はあまりなく、すれ違うこともない。  自宅に戻り、軽くシャワーを浴びると十二時半に近かった。  そろそろ昼休みだろう。スマホを取り出すと、メッセージアプリを立ち上げる。圭介の兄で保護者である尋生に、今夜の件を伝えておかねばならない。  近衛からみて、奥田尋生・圭介兄弟とは、父親の弟の息子という関係になる。  尋生は私立高校の古典教師をしていて、互いに多忙なこともあり、同じマンションに住んではいるが、なかなか会う機会が見つからない。生活サイクルが違うというか、一言でいえば近衛が不規則な勤務が多いのだ。  今夜、夕食に圭介を連れ出したいんだけどいいか、とメッセージを投げると、すでに昼休みなのだろう、すぐに既読が付き、圭介が了解しているならばいいよ、という軽い返信がきた。 「今日、病院に行ってたから、そういう話になったの?」  続いてそんな質問が投げかけられた。  兄の尋生とは、中学時代から二十年近くの付き合いがあるが、圭介とはここ一年ほど。年齢も、尋生とは二歳違いだが、圭介とは十七歳の年齢差がある。それまでほとんど視界に入れていなかったであろう弟の存在を、どうして今になって積極的に構うのかと、尋生には不思議に思えるのだろう。 「そう。学校に行くからとランチを断られたから、夕飯は付き合ってもらうことにした」  軽い調子で返すと、「近衛は最近圭介のことが本当にお気に入りだね」と、今度はさらりと鋭い視点が盛り込まれた返事を受信する。  さらりと来たから、さらりと返すことにする。 「思春期の子ってホント新鮮だからな」  弟が高校生で高校教師の友人にはわかりにくい感覚かもしれない。  すると、何か引っかかることがあったのか、「いまちょっといい?」という問いかけが返って来た。さらに着信音が鳴る。  用件だけであれば、最近はメッセージアプリで済む。尋生と直接話すのは久しぶりだった。 「最近、少し圭介の様子がおかしいんだよね」  それが尋生が直接連絡を入れてきた理由だった。  おかしいという意味合いを近衛は計りかねた。その深刻度合いも分かりにくい。  尋生によると、最近圭介は兄に対して遠慮がちというか、よそよそしいというか、とにかく一線を引いた反応を見せるのだという。  確かに、これまでのふたりの関係性は普通の兄弟と同じで、家族同士あまり遠慮はなかったように思う。そんなことを言われてもな、と近衛が困惑していると、尋生が身内はなかなか難しいね、と苦笑した。 「原因は……、もしかしたら、病気のことかなって思ってるんだ。最近、なかなか話してくれなくて」  そういうことか、と思う。圭介が抱える病気は、緊急性はないが、長期にわたりフォローが必要で、決して軽いわけではない。心配するもの無理はない。  尋生によると、最近圭介は病院の診断結果や主治医の話をあまりしないという。かなり適当に報告されることもあって、尋生としては不安とのこと。  おそらく病状もさることながら、そのような圭介の態度や変化を気にしているのだろう。 「……俺も内科じゃないから。詳しいことは知らないぞ?」  そう前置きすると、尋生も「分かってる」と応じる。実は何度か圭介の主治医に話を聞いて尋生に伝えたことはあるのだが、ここは自分の出る幕ではない。しかも、打算的に考えれば、そのようなことをしていると圭介に知られた場合、一気に警戒されてしまいそうで、可能であれば極力やりたくない。  しかし、尋生の話を聞いている限り、確かに圭介の様子は少しおかしい。それが自身の体調によるものなのか、それとも別に理由があるのか。予想するには判断材料が少ない。 「ちょっと心配なんだ。できれば少しでいいから、様子を探って欲しい」  昼休みに連絡をしてきた用件はそれかと思う。妙な展開になってしまった。無害な大人を装って、圭介の懐にいたかったが、近衛は、尋生の依頼を断りきれずに電話を切ったのだった。
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