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教室内の声が段々少なくなっていく。次第に誰の気配もしなくなった。
もうこの教室には僕しか残っていないのだろうか。しかし確かめるのも億劫だ。眠ろうにも眠れない。ぼんやりした頭で時が過ぎるのを待っていた。
「帰らないの?」
まだ僕一人だけではなかったらしい。男子生徒に声をかけられた。誰かは分からないが、聞き覚えがあるからクラスの誰かだろう。
「まぁ、ちょっと」
「授業中もずっと寝てなかった?」
「そうだな……」
気怠さが増す。会話すら面倒になってきた。
「あ、雨だ」
話しかけてきたやつが言った。耳を澄ますと、窓の外から雨音が聞こえる。
「やむまで時間潰すかな」そう言いながら、そいつは僕の隣の席に座った。
外の雨音は激しくなってきたようで、窓に激しく叩きつけられる音が聞こえる。
「雨って嫌いだなぁ……」独り言として呟いたつもりだった。
「そうなのか。僕は好きだけど」
「……へぇ……」
話しかけるなという意味も込めて、顔を上げずに、くぐもった声で返した。
「なぁ、『やる気を食う怪物』って知ってる?」
「……知らない」
僕の意図は伝わらなかったようだ。
「そいつは雨と一緒にやってくる」
「はぁ……」
「時間潰しに付き合ってくれよ」
「……やる気を奪う、何?」
「やる気を〈食う〉怪物な。奪うんじゃない、食うんだ」
隣のやつは妙な話を始めた。
雨のせいなのか、生臭い匂いが増した気がする。
「雨時に、頭とか肩が重くなるだろ。それはその怪物のせいなんだ」
「気圧が原因だろ」
「大半はそうだけど、中にはそういう怪物が紛れ込んでいる」
「へー……」
「とり憑きやすそうな人間を見つけたら、次第に〈生気〉を食べていく」
「……妖怪じゃん」
「だから怪物なんだって」
「ああ、そう」
「生気が食われ始めると、まずはじめに〈やる気〉が失われる。だから『やる気を食う怪物』と呼ばれているんだ」
即興にしては考えたな。それともそういう言い伝えでもあるのだろうか。
頭が重い……なんだか気持ちまで沈んでくる。
「その怪物は、雨なんだよ」
「なんで雨……」
「雨は降ったら、土にしみ込み、蒸発して、空にのぼって、また雨になる……その繰り返し」
「そうだな……」
「グルグルグルグル……地球上をグルグルグルグル……その繰り返し。
嫌にちゃうよなぁ。つまらないと思わないか。そんなのって。嫌だよなぁ。そう思うだろう?」
何を言っているんだ。雨の気持ちなんて考えないだろ。
「そんなのは嫌なんだ。雨は人間が羨ましい。雨は人間になりたいんだよ」
人間なんて、面倒なだけだと思うけれど……。
それにしても生臭い匂いが鼻につく。気持ちが悪い。
「生気を食われ続けた人間は、次第に自分は消えてもいいと思うようになり、最後はそいつ自身が雨になってしまう」
ガンッと頭に鈍い痛みが響いた。それに続いて脈動に合わせたズキズキとした痛みがする。
「頭、痛い……」
「ふふっ、それはよくないなぁ。保健室にでも行くか?」
そうだ。保健室に……。
──あれ?
おかしい。身体が全く動かせない。
「身体が動かせないのか? ふふっ、よくないな、よくないな……ふふっ、それで、その怪物は……」
笑っている。何が可笑しいんだ。こっちはこんなに辛いのに。痛くて、痛くて、痛すぎて吐き気がする。もういっそ──。
「こうやって、生気を食べていくうちに、とり憑いた人間と同じ姿になってくる」
「なぁ、保健室の先生を……」
「生気を食った人間の人生をもらう。つまり、すり替わるんだよ」
なにを、言っているんだ?
「替わる機会を狙って、とり憑いた人間が一人になったところを見計らって、やってくる」
こいつ……だれだ?
「ふふっ、人間の生気はすごく美味しい。だから〈食う〉んだよ。味を噛み締めているんだから」
こいつの声、どこかで聞いた。どこで……ああ、頭が痛い!
「なあ……その怪物って、どこにいると思う?」
頭が痛い。痛い、痛い、痛い。痛すぎて気持ち悪い。吐き気がする。何で、何で、何で。身体が重い。怠い。辛い。面倒くさい。全て、全て。僕は何も出来ないくせに。こんなところにいて。
何もしないで。何故、生きているんだ、僕なんかが。
ああ、もう、いっそ──。
──消えてしまいたい。
その瞬間、ふっと痛みが消えて体が動く。ガタッと椅子が鳴りながら、上半身が跳ねるように起きた。
そして恐る恐る、横の席の方へ顔を向けた。
僕と同じ顔をした男が、座っている。
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