『やる気を食う怪物』

2/3
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ
 教室内の声が段々少なくなっていく。次第に誰の気配もしなくなった。  もうこの教室には僕しか残っていないのだろうか。しかし確かめるのも億劫だ。眠ろうにも眠れない。ぼんやりした頭で時が過ぎるのを待っていた。 「帰らないの?」  まだ僕一人だけではなかったらしい。男子生徒に声をかけられた。誰かは分からないが、聞き覚えがあるからクラスの誰かだろう。 「まぁ、ちょっと」 「授業中もずっと寝てなかった?」 「そうだな……」  気怠さが増す。会話すら面倒になってきた。 「あ、雨だ」  話しかけてきたやつが言った。耳を澄ますと、窓の外から雨音が聞こえる。 「やむまで時間潰すかな」そう言いながら、そいつは僕の隣の席に座った。  外の雨音は激しくなってきたようで、窓に激しく叩きつけられる音が聞こえる。 「雨って嫌いだなぁ……」独り言として呟いたつもりだった。 「そうなのか。僕は好きだけど」 「……へぇ……」  話しかけるなという意味も込めて、顔を上げずに、くぐもった声で返した。 「なぁ、『やる気を食う怪物』って知ってる?」 「……知らない」  僕の意図は伝わらなかったようだ。 「そいつは雨と一緒にやってくる」 「はぁ……」 「時間潰しに付き合ってくれよ」 「……やる気を奪う、何?」 「やる気を〈食う〉怪物な。奪うんじゃない、食うんだ」  隣のやつは妙な話を始めた。  雨のせいなのか、生臭い匂いが増した気がする。 「雨時に、頭とか肩が重くなるだろ。それはその怪物のせいなんだ」 「気圧が原因だろ」 「大半はそうだけど、中にはそういう怪物が紛れ込んでいる」 「へー……」 「とり憑きやすそうな人間を見つけたら、次第に〈生気(せいき)〉を食べていく」 「……妖怪じゃん」 「だから怪物なんだって」 「ああ、そう」 「生気が食われ始めると、まずはじめに〈やる気〉が失われる。だから『やる気を食う怪物』と呼ばれているんだ」  即興にしては考えたな。それともそういう言い伝えでもあるのだろうか。  頭が重い……なんだか気持ちまで沈んでくる。 「その怪物は、雨なんだよ」 「なんで雨……」 「雨は降ったら、土にしみ込み、蒸発して、空にのぼって、また雨になる……その繰り返し」 「そうだな……」 「グルグルグルグル……地球上をグルグルグルグル……その繰り返し。  嫌にちゃうよなぁ。つまらないと思わないか。そんなのって。嫌だよなぁ。そう思うだろう?」  何を言っているんだ。雨の気持ちなんて考えないだろ。 「そんなのは嫌なんだ。雨は人間が羨ましい。雨は人間になりたいんだよ」  人間なんて、面倒なだけだと思うけれど……。  それにしても生臭い匂いが鼻につく。気持ちが悪い。 「生気を食われ続けた人間は、次第に自分は消えてもいいと思うようになり、最後はそいつ自身が雨になってしまう」  ガンッと頭に鈍い痛みが響いた。それに続いて脈動に合わせたズキズキとした痛みがする。 「頭、痛い……」 「ふふっ、それはよくないなぁ。保健室にでも行くか?」  そうだ。保健室に……。  ──あれ?  おかしい。身体が全く動かせない。 「身体が動かせないのか? ふふっ、よくないな、よくないな……ふふっ、それで、その怪物は……」  笑っている。何が可笑しいんだ。こっちはこんなに辛いのに。痛くて、痛くて、痛すぎて吐き気がする。もういっそ──。 「、生気を食べていくうちに、とり憑いた人間と同じ姿になってくる」 「なぁ、保健室の先生を……」 「生気を食った人間の人生をもらう。つまり、すり替わるんだよ」  なにを、言っているんだ? 「替わる機会を狙って、とり憑いた人間が一人になったところを見計らって、やってくる」  こいつ……だれだ? 「ふふっ、人間の生気はすごく美味しい。だから〈食う〉んだよ。味を噛み締めているんだから」  こいつの声、どこかで聞いた。どこで……ああ、頭が痛い! 「なあ……その怪物って、どこにいると思う?」  頭が痛い。痛い、痛い、痛い。痛すぎて気持ち悪い。吐き気がする。何で、何で、何で。身体が重い。怠い。辛い。面倒くさい。全て、全て。僕は何も出来ないくせに。こんなところにいて。  何もしないで。何故、生きているんだ、僕なんかが。  ああ、もう、いっそ──。  ──。    その瞬間、ふっと痛みが消えて体が動く。ガタッと椅子が鳴りながら、上半身が跳ねるように起きた。  そして恐る恐る、横の席の方へ顔を向けた。  僕と同じ顔をした男が、座っている。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!