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『やる気を食う怪物』
教室に入ってきたのが誰なのか、顔を上げなくても分かる。教室にいた女子生徒達の囁き声には嬉しさが隠しきれていない。同じ弓道部で、一学年上の宇佐木月光先輩だ。
「天宮……部活をさぼって机で寝ているとはいい度胸だな」
「違うんですよ……」
「人が喋っているんだから顔をあげ、ろ!」
机に俯けていた顔を、グイッと右に捻じられる。妙に整った顔立ちが目の前に飛び込んできた。何を食ったらこんな顔になれるのだろう。いや顔は生まれつきか。
「今日怠くて」
「昨日も一昨日も休んでいるだろ」
「最近ずっと、やる気が出なくて……今日は一段と酷くて、朝からトイレ以外この体制です」
「朝からずっとォ? 昼飯は?」
「こう……おにぎりだけ口に運びました」
上半身を机に預けたまま、右手で口に運ぶジェスチャーをする。
「それは流石に酷いぞ。どこか悪いんじゃあないか?」
先輩は不安そうな顔で隣の席に座った。
「風邪ですかね。僕は先輩と違ってアレじゃないんで」
「あ? 何だって?」
「冗談ですよ」
僕がそういうと、先輩はムスッと頬を膨らませている。といっても本気では怒っていないのだろうけれど。
宇佐木先輩に、こんな風に話しかけられる1年は他にいないだろうなと、教室の雑音を聞きながら少し優越感に浸る。
「でも熱とかはないです……」
「梅雨時だし、気圧によるものかもな」
「それって偏頭痛とかいうやつですか? 母さんがよく言ってます」
「それもあるな」
「そうですか……今日も雨降るんですかね。死んだカエルの匂いしますし」
「…………」
「あれ、言いません? 雨の時のあの生臭い匂いをカエルの──」
「お前、部活終わるまでここで待ってろ」
「え、いいですけど……動けないですし」
「そうか、じゃあ後でな」
先輩は席を立ち、教室から出ていこうとする。
「忘れて帰らないで下さいね〜」
去っていく背中に向かって冗談混じりに声をかけた。
突然、先輩の声色が変わった。
「いいか、自分を見失うなよ」
そう言って先輩は行ってしまった。
どういう意味だろう。再び机に顔を伏せた。独特な勉強机の匂いが鼻を支配する。
待ってろと言っていたけれど、先輩は僕を運んでくれるつもりなんだろうか。背小さいけれど大丈夫かな。それを言うと、めちゃくちゃ怒るけれど……。
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