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痛み忘れて惚れ込んだ場所
御伽語奏々。私にえくぼで潰れたほくろを見せてくれる彼との思い出は、静かな部屋で物語に入り込むような穏やかな喜びばかりだった。
今年で十八歳になった彼は昔から病弱で、家で一人で過ごす事が多く、友達がいなかったらしい。本ばかり読んできたんだ。本のページを捲る感覚が、僕にとっては生きている実感なんだと、彼は言っていた。
奏々は外出が少なく、伸び放題だった髪を銀色の髪留めで留めていて、首筋を隠す襟足と耳を覆うサイドの艶やかな黒はおとぎ話に出てくる夜の精霊みたいだと思った。
日に焼けていない柔肌は華奢で、本に視線を注ぐと伏せがちになった目もとはまどろんでいるみたいになる。笑うと頬にえくぼができる。そのえくぼで薄くて小さなほくろが潰れるのが、奏々はあまり好きではなかった。
なのに、私の前では屈託なく笑う。
私はその顔が好きだった。
音々が拾った筒の持ち主は奏々だった。私は、そういう風にしか見ていなかったから、彼から話しかけられたときにも、いきなり親しくなろうと距離を詰め過ぎなかったことが良かったのだろう。
運命を多用した私には、この浮ついた気持ちも輝いて見えた。
「だからね、僕は、あぁ、死ぬんだって思ったよ」
本の世界に生きていた彼は、彼の空想の世界を詰めた筒を落とした時の事を私に話してくれた。
「でも、恋々の想いを拾ったおかげで、身体が楽になって、皆に会えて――君に会えて。だから、本当によかったって思ってる」
笑って潰れたほくろが、私は好きだった。奏々はやめて、と言っただろうけど、私は細い身体の小さい顔の微かなえくぼが好きだった。
「いつか、皆で思い出に残る事が出来たらいいね」
そうだね、と私は奏々の腕に触れる。
ついぞそれ以上は、踏み込めなくて、震える指先はしゅんとうなだれる。
「なんで、恋々じゃなくて君だったんだろうね」
秋の薄暮に笑いかける彼の顔は、影を背負っていて、えくぼもほくろも見えなかった。けれど、それでも、彼の笑顔というだけで、私の心も夕日の色みたいに赤くなる。
音々がいて、恋々や奏々と出会って、友達が増えて、幸せで。
それが私以外の三人の落とし物――大切なものから始まった関係だったから、特別な名前をつけたくなるのも当然だった。
でも――。
今なら分かる。それは奇跡でも、睡蓮花音々、小春日和恋々、御伽語奏々、そして私――四人を集めた運命でもない。
残酷な、×の砕牙。私たちの時間を砕く、そんな血の気配だった。
――もう、私には。
「奏々。なんでって言うけれど、私はこう思うの」
自分がなんて言っていたのか、どこかに落としてしまったみたいに、思い出せなかった。
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