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美紀と珠希の進む道
高校の卒業式が近づいてくる。
美紀は母と同じ道を進みたくて、秋に珠希の母校の短大を受験し合格した。
中学で体育教師。
これで少しは正樹の助けになるはずだった。
珠希と同じ夢……
それが美紀の目標だった。
中学でソフトテニスの顧問をしながら、国民体育大会の出場準備をする。
珠希と全く同じコースを美紀は歩もうとしていた。
誰に教えてもらった訳ではない。
美紀は自らが希望して、この道を選んだのだ。
美紀はやはり正樹だけを愛していたのだった。
ママの思いを一心に受けて……
――ガチャ。
玄関を開けると又水仙が目に入。
水仙は長く咲いてくれるから嬉しいはずなのに、あのバレンタインの日を境に辛い花になった。
その花は春の香りを届けてくれる。
でもそれは……
もう一つ。
悲しい珠希との別れ日を思い出してしまうからだった。
もうじき、珠希の七回忌が来る。
ホワイトデーのお返しに男性陣の作った花壇。
其処に咲くこの花が又悲しみを告げていた。
でも又……
まだ美紀は……
あの日の自分を許せないでいた。
パパに愛してもらいたくて、バレンタインデーの夜決意した。
本性を剥き出しにしたのは自分なのに、全てを二人の母のせいにした。
自分に憑依しているママがパパを欲しがっている。
鏡に映る姿にそう言い聞かせた。
だから、そのために行動させられたと思い込もうとした。
でも美紀には解っていた。
本当にパパを欲しかったのは自分なんだと。
そうでなくては説明出来ない数々のママに対する嫉妬。
ジェラシー。
メラメラと燃え上がるその炎は、まさにそれだったのだから。
パパに愛されているママを妬んだ証拠だから。
その炎は自分が産まれて来た時よりあった。
いや、産まれる前に……
結城智恵が、長尾正樹と出会ったあの日より持ち続けていたのかも知れない。
もう一人の母のせいに又しようとしている。
そう感じながら……
でもそれが正解なのかもしれないと美紀は思った。
結城智恵の正樹を思う心が自分の遺伝子の一部となって刻み込まれた。
そしてそれに新たに、珠希が加わったのだ。
珠希の死が、美紀に新たな愛を植え付けたのだ。
それ故に、美紀は更に激しくその身を焦がしたのだった。
ママの夢が自分の夢となった時、パパが喜んでくれると信じてた。
だから決意したのだ。
ママと同じ短大に通うことを。
でもその夢は、美紀にとってあまりにも遠い存在だったのだ。
珠希の通ったその学校は、長尾家から一番近い短大だった。
だから珠希は正樹と離れないで済む其処を選んだのだ。
その短大は専門学校同等に授業料が高い。
だから珠希はその資金を捻出するために頑張ったのだった。
そう……
それが美紀の悩みのタネだった。
美紀も珠希同様に、その資金作りに奔走しなくてはならなかったのだ。
珠希は開校間もない短期大学の情報を得て浮き足立った。
でも授業料は高かった。
だから珠希は新聞配達のアルバイトをしながら、一生懸命にその資金を貯めたのだ。
その短大の試験日程は秋だった。
まだ正樹と出会って三ヶ月しか経っていないのに、珠希はしっかりと自分の行く末を見つめていたのだった。
新聞配達員の奨学金制度と言う物もある。
新聞配達はアルバイトでも、かなりの高収入だったのだ。
でも珠希はその事実を正樹にも内緒にしていた。
だから正樹は早朝トレーニングだと主張した珠希の言葉疑わなかったようだ。
新聞配達員の奨学金制度。
所謂新聞奨学生は、大学に入学する生徒にとって頼みの綱と言っても過言ではない。
でも珠希の生きた時代の環境は劣悪だったようだ。
午前三時前に起床して、前日に用意しておいた折り込みチラシを新聞本体に挟み込む。
全て終了した後、配達に出かける。
雨の日は今では当たり前になったビニール袋に入っていないので、配達途中で濡れてしまうのだ。
そのために、配達された家庭からの苦情も絶えなかったようだ。
新聞配達には欠かせない冊子がある。
一軒一軒、どんな銘柄の新聞を取っているかなどが書かれている大切な書類だ。
今で例えるなら、一筆箋位な大きさで片手で持てるサイズだった。
中には、独特の印が刻まれている。
この道真っ直ぐ。
一軒おいて隣の家。
此処で戻る。
そんな記号で埋め尽くされたそれは、新聞販売店の命とも言えるべき品物だった。
そして万が一、別の地域の配達に支障をきたした場合は応援に駆けつける。
そのためにも、記号は勿論全ての地域を頭の中に把握しておかなければならないのだ。
走り回って配達を終えた後食事を済ませ、学校へ向かう。
午後からの授業は、三時から始まる夕刊の配達のために出席出来ないこともある。
そのために単位不足で留年させられる場合もあったようだ。
それでも、入学金や授業料など肩代わりしてくれるこの制度は、今でも多くの学生の支えになっていることは間違い事実なのだ。
珠希が通った私立の短期大学に美紀も通う。
家から一番近くて、自転車で通える距離にあったこの短大は美紀にとっても魅力だった。
だから美紀も其処を選んだのだった。
正樹と離れなくても済むこの学校を。
珠希も美紀も、片時も正樹と離れたく無かったのだった。
その上、大好きなソフトテニスをずっと遣っていける。
だから……
珠希はそのための努力を惜しまなかったのだ。
その短大に通う間も、珠希は新聞配達のアルバイトを欠かさなかった。
約二年半。
珠希は正樹の夢を叶えるために自分の時間を犠牲にしたのだった。
一途に正樹を愛した珠希。
その限りない愛の炎は……
今娘へと受け継がれようとしていた。
たとえ養女であっても、美紀は珠希の心意気を受け継いだ愛娘だったのだ。
決して派手ではない。
堅実に賢く生きた珠希。
夫である正樹を愛し、子供を愛す。
それ故に……
その大き過ぎる愛故に……
美紀は到底及ばないと思い込んでいたのだった。
だから余計に正樹の愛を求めた。
叶わぬ夢だと知りながら。
珠希の……
ママの代わりでもいいからと……
何故珠希が正樹との結婚に拘ったのか?
それは妹、沙耶が大反対したからだった。
所謂意地だった。
でもそれ以上に、正樹を愛していた。
自己犠牲も問わないほどに、正樹に恋していたのだった。
沙耶は不思議だった。
何故それほどまでに正樹を思えるのかが判らなかったのだ。
小さい時から珠希の背中を見て来た。
沙耶も軟式テニスの選手だったのだ。
あのインターハイの予選会場には沙耶もいたのだ。
そして、珠希と正樹の出逢いの場にも立ち会ってしまっていたのだった。
いや本当は、沙耶が二人のキューピッド役になってしまっていたのだった。
「私はイヤよ。同じ歳の人をお義兄さんなんて呼べない!!」
沙耶が大反対する姿を見て両親も意見を唱えた。
年下ので、しかもプロレスラーになりたいと願う男性に愛娘を嫁がせる訳にはいかなかったのだ。
ただがむしゃらに反対した訳ではない。
娘の一生が正樹によって奪われる。
そう判断したからだった。
今現在プロレスラーなら解る。
苦しくても、何とかお互いの力だけで生活して行けるだろう。
でも、正樹は違う。
其処までなるためには時間が幾らかかるかさえも判らない。
所帯を持ったところで先の全く見えない、未知の領域だったのだ。
沙耶の言い分を真に受けた訳でもないのだ。
沙耶は姉より年下の男性を義兄とは呼びたくないと言っていたのだった。
確かにそれも気になる。
でも両親はもっと深いところを心配していたのだった。
「ただいま」
リビングに声を掛け、何時ものように玄関を清めた後仏間に入る。
「ママただいま」
美紀は二人の母に声を掛けてから、結城智恵の日記の入っている引き出しにを開け線香を取り出した。
観音開きの仏壇には珠希の写真と、結城智恵と真吾のツーショット写真。
それは元施設長が、日記と共に美紀に託したものだった。
美紀はあの日沙耶と語り合った出来事を思い出しながら合掌した。
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