ラブトラブル

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ラブトラブル

 「みんなー! ご飯の支度が出来たわよー!」 美紀が兄弟達を呼んでいる。 何時もとは違うけど、何時ものような朝の始まりだった。 美紀のことが気掛かりで昨夜なかなか寝付けなかった秀樹と直樹。 それでもすぐに飛び起きる。 大急ぎでキッチンに駆け付けると、レース調の長のれん越しに見える美紀のシルエットに思わず高揚した。 その姿は、まるで天女のようだった。 「おはよう美紀」 二人同時に言った。 「へー、やればできるじゃん!」 驚いたように振り向いた美紀の言葉が妙にくすぐったい。 カウンターに着いた二人は何も言わずただ黙々と食べていた。 「ご馳走様。美味しかった!」 美紀に対して、素直に言える感謝の言葉。 母が亡くなって以来、ずっと朝食を作ってくれた美紀。 女の子なんだから当たり前だとどこかで思っていた秀樹。 今改めて美紀の存在の大きさに気付かされていた。  朝練にも力が入る。 寝不足も美紀の笑顔が吹き飛ばした。 秀樹と直樹は誰よりも早く部室にいた。 備品の手入れや、整備。 やることはいっぱいあった。 他の部員がやって来るまで二人は無言だった。 何となく気恥ずかしかった。 昨日のモヤモヤした気持ちが恋だと気付きながら、どうすることも出来ずに持て余していたのだった。  「基本は走り込みとウォーミングアップだ」 やっと集合した部員の前で一席ぶった後で、秀樹が率先して柔軟体操を始める。 「二人一組になって!」 直樹もそれに乗る。 「いや、それは止めておこう。パートナーストレッチングプログラムはユニフォームが汚れるから朝練には向かないよ」 知ったかぶりして大が言う。 パートナーストレッチングプログラムとは二人一組になってやる所謂柔軟体操のことだ。 でもそれが妙に的を得ていて、セルフストレッチングプログラムをすることに決まった。 太ももの表側は踵をお尻に付けるように曲げる。 内側は前屈みになり掌で膝を包むように。 腰は、そのまま掌で足首を掴む。 腰の外側は上に伸ばした手を繋ぎ体を横に倒す。 胸は両手を後ろで繋ぎお尻の下に移動させる。 後頭部で両手を組み、胸を反らす。 肩は手を伸ばし頭を向ける。 これは全員が常にやって来たものだ。 「これからも、そのまま続行だ。まずは体作りを基本にしよう」 直樹が最後に締める。 全員が納得したように頷いた。  其処へコーチが遅れてやって来る。 「遅いよコーチ。昨日から朝練早くなったんだから」 大が得意そうに言う。 「何ー!?」 部員のブーイングを受けて大は縮こまった。 「昨日遅れて来たヤツが……」 秀樹の一言でみんな大笑いをした。 秀樹の脳裏に、一瞬美紀が浮かんだ。 それはよって正樹に叩き起こされた事実を思い出した。  (あちゃ。大のこと言えねー、俺も下手したら仲間入りだったかな?) 秀樹は頭を掻いた。 その様子を見て大が首を捻った。 大は野球部のムードメーカーとしての素質は充実にあった。 秀樹は何とかチームを纏めるために一役買って欲しいと本当は思っていたのだった。  朝練の方向性が決まった。 柔軟体操と走り込み。 まずは基本となる一人一人の体力作り。 甲子園に向かって零からの出発。 本当は投げ込みたい秀樹。 自分を抑えチームを一つに纏める。 そのために頑張ろう。 秀樹が又少し大人になった瞬間だった。  直樹はキャプテンとて張り切っていた。 美紀にカッコイイところを見せたかった。 夕べのお風呂の中で、兄弟としてではない感情に目覚めて戸惑った。 そしてそれは、美紀が小さい頃から好きだった。 と言う気持ちに辿り着く。 直樹はその時、大のことなどすっかり忘れていた。  野球部は直樹が新入団の頃には余り纏まっていなかった。 上級生はてんでんに下級生をしごいていた。 でも太刀打ち出来るはずがない。 それでも直樹は屈せずに、それをバネにしてチームワークを勝ち取ろうとしたのだった。 時には炎天下での草むしりも命じられる。 その機会に、グランド整備をやってのける。 ローラーでの地盤固めやトンボでのならしなどを。 それは少年野球団で培ったスポーツ精神だった。 『一礼に始まり、一礼に終わる』 そう教えてくれた監督。 それはグランドに対する礼儀だった。 直樹は頑張り抜いた。 だから、野球部の部長になれたのだった。 生徒会長でもある直樹。 本当はキャプテンなんて無理だと思っていた。 でも全てが秀樹の一言で決まる。 『俺は野球に集中したい。だからキャプテンは任せた』 だった。  大はマウンドをトンボでならしながら、美紀の笑顔を思い出していた。 さっきベースを回収した時、自分の影にドキッとした。 隣に美紀の影を想像して、高揚したためだった。 大は確実に美紀を意識していた。 それは時間と共に増大していく。 それはもう自分でも止められない。 大はこの恋にのめり込んでいく自分を感じていた。  昨日、突然自分に掛けられた言葉に驚いた。 幼馴染みの美紀が急に大人びて見えたからだった。 その時から胸のトキメキが抑えられない。 だからつい直樹に告ってしまったのだった。 (あの時、慌ててボールを拾う姿を見て美紀ちゃんは笑った。きっと俺のことなんか……) そう思いながらも期待していた。 直樹が、自分のためにキューピットになってくれるかも知れないと思って…… (直樹頼むぞ。俺をお前の弟にさせてくれ) 大は交際と言うより、その先のことまで考えていたのだった。  工藤詩織のメモは直美を通してキャプテンである直樹に渡っていた。 詩織の行動力と知識は、確実に野球部全体に広がっていったのだった。 練習後は、野球部全員でボール・バットなどの備品を磨く。 今までも担当者が中心になりそれぞれにチェックしていた。 でもそれではいけないと思ったのだ。 それは、いくら朝練だと言っても手を抜かないと言う暗黙のルールになった瞬間だった。 野球部全員で甲子園を目指すと、決意を新たに走り出す。 新生野球部の誕生した瞬間だった。  部室に道具を全部しまった後で練習用のユニフォームを脱ぐ。 その時直樹は背中に殺気を感じて振り向いた。 其処に目をギンギラに輝かせた大がいた。 (あちゃー! 大に何ていえば……) 直樹はドギマギしていた。 「おいどうだった?」 大が直樹に詰め寄る。 「何が?」 直樹がとぼける。 「何がって、美紀ちゃんのことに決まっているだろ。ちゃんと伝えてくれたんだろ?」 「ああそれね。まだだけど。なあそのことで後で話があるんだけどいい?」 大は頷いた。 「美紀ちゃんって可愛いなー。そうだろ直」 「べ、別に」 「あっそうだった。お前等兄弟だったな〜」 何も知らない大は含み笑いをしながら、部室を後にした。 大の後から部室を出た直樹が鍵を掛けてキャプテンとしての使命を果たす。 「大に何て言おう」 教室に向かう足取りは重くなっていた。  放課後。 授業の後片付けもそこそこに、何時もより早くグランドに向かう直樹と大。 それを見つけ、こっそり後をつける秀樹。 (こりゃ何かあるな) 秀樹の脳裏に直樹の告白が浮かんでいた。 (確か『大の奴、美紀に恋したんだって』って言ってたな) そんなことを考えながら、物影からずっと二人を見ていた秀樹だった。  「何だって!」 突然大声を出す大。 (ほら、始まった。やっぱりそうか。あれっ、何で大の奴怒ってるんだ?) 昨日正樹から美紀が本当の妹ではないことを打ち明けられた。 そのことで秀樹は美紀を意識し始めていたのだ。 (直樹は何て言ったのだろう? もしかしたら?) ことの重大さを感じ慌てて駆けつける秀樹。 でも、途中で余裕をみせることにした。 覗き見ていたなんて気付かれたくない一心だった。  突然現れた秀樹の姿見て直樹は大の口を慌てて塞いだ。 「秀、聞いてくれ、こいつひどいんだ!」 でも大は直樹の手を振り払いながら叫んでいた。 直樹が大の口を塞いだのにはわけがあった。 秀樹には聞かせたくなかったのだ。 だから秀樹の出現に焦ったのだ。 美紀が好きだと言うことをとうとう大に打ち明けてしまった直樹。 いずれはバレると解っていた。 でもこんなに早いとは…… 直樹は戸惑っていた。  「こいつ、美紀ちゃんのこと好きになったって言うんだよ」 大がわめきちらしている。 直樹は俯いたままじっとしていた。 (兄貴だけには知られたくなっかった) 直樹は意気消沈していた。 大に打ち明けてしまったことを後悔して項垂れるしかなかったのだ。 まともに秀樹を見られるはずがなかった。 「いいじゃないか。何も問題ない」 秀樹の言葉に驚いて直樹は思わず顔を上げた。 「あるよ! お前ら兄弟じゃないか」 大は秀樹に詰め寄った。 「実は昨日、美紀が兄弟じゃないと分かったんだ。そこで俺も宣言する。俺も美紀のことが好きだ!」 「何ー!」 秀樹に詰め寄る直樹と大。 それは、兄弟&親友同士の恋のバトルの始まりを告げるゴングだった。 弟の直樹と親友の大にライバル宣言した秀樹。 してやったりと思う反面、秀樹は動揺していた。 本当に美紀が大好きなことに気付いたからだった。 それは遂にトリプルトラブルの第一幕が開演した合図だったのだ。  妙によそよそしい秀樹と直樹。 正樹は渇を入れようとリングの上に二人を立たせた。 ここは正樹の職場だった。 プロレスラーとしてのセンスを高くかってくれていたオーナーが、セコンドとして雇ってくれたのだ。 小型バスを運転出来る。 それが条件だった。 でもそのためには克服しなければならないトラウマがあった。 どうしても感じる凶器としての車。 珠希の命を奪ったことへの恐怖心。 それは未だに解決したわけではない。 それでも一歩踏み出すために、正樹は心に鞭を打った。 自分のやる気が子供達を励まし、元気に繋がる。 その事実に気付いて。  「よし! パパにかかって来い」 秀樹と直樹は顔を見合わせた。 いくら元プロレスラーだったとしても、現役の高校球児相手に勝てるはずはなかった。 「いいから来い!」 それでも正樹は両手を広げた。 秀樹と直樹は子供のように正樹の胸に飛び込んで行った。 正樹は小さな体で、大きな二人を受け止めた。 「どうした? 美紀が本当の兄弟じゃないと知って、好きになったか?」 ズバリと聞く正樹。 頷く二人。 「辛いな」 正樹は二人を抱き締めながら泣いていた。 沙耶が、一度断ったお見合い話を再び勧めるために訪問したあの日。 正樹は改めて美紀の存在の大きさを知らされた。 自分のために甲斐甲斐しく働く美紀を、正樹も愛おしく思っていたのだ。  あの朝確かに珠希を美紀に感じた。 初恋の女性・智恵を感じて戸惑った。 『大きくなったらパパのお嫁さんになる』  確かに美紀は何時も言っていた。 その言葉が今確実に、正樹の心の中で大きくなり埋め尽くそうとしていた。 沙耶に指摘されて、より感じる愛しさ。 正樹は自分の心の置き場を探し始めていた。 正樹はもがいた。 幾ら何でも、息子と同じ年の美紀は愛せない。 愛してはいけない。 でも正樹は感じていた。 既に美紀を一人の女性として見ている自分自身を。 このままではいけない。 美紀に本当のことを話そう。 秀樹と直樹とそして自分自身のために。 正樹はそう決意した。 その時、遂にトリプルトラブルの第二幕が開演されたのだったのだ。 秀樹直樹大は親友同社だ。 でも正樹は父親なのだ。 それは辛い。 本当に辛い恋の始まりだった。  正樹は美紀の部屋をノックした。 「美紀。実はお前に話しておかなくてはいけないことがある」 そう言って正樹は仏壇の前に美紀を座らせた。 真実をうち明けようとしていても、心が揺れた。 自分の愛のためではない。 息子達のためだ。 正樹は自分にそう言い聞かせながら、美紀の前に立っていた。 「私が本当の娘じゃないってこと? ずっと前から知っていたわよ」 意表を突かれた正樹。何故かへなへなと崩れ落ちた。 「良かった」 正樹がため息を吐く。何て切り出せばいいのか、試行錯誤していた。 「えっ! 知っていた。何時だ!」 我に戻った時、正樹はことの重大性に気付き驚きの声を上げた。 「高校に入る時、戸籍謄本を取ったでしょ。あの入学願書。それをこっそり見たの」 「そんなあんなに気を遣ったのに」 正樹はまたへなへなと崩れ落ちた。 「パパがずっと気を遣ってくれたから、三つ子として仲良くしてこられたの。ありがとうパパ」 美紀は正樹の胸に顔をうずめた。 「美紀。お前の本当の母親は、結城智恵さんと云う人で、パパの初恋の人なんだ。でもだから養女にした訳じゃない」 正樹は美紀を両腕で優しく包んだ。  「ねえパパ。今度のインターハイの応援に来てくれる?」 美紀は甘えながら言った。 でも正樹には珠希の声に聞こえた。 正樹は驚いて遺影を見つめた。 心なしか、珠希が微笑んでいるように感じた。 (珠希!?) 正樹は又美紀が珠希に見えていた。 「あぁ解った」 戸惑いながら発した言葉にドキンとする。 正樹は確実に美紀を意識し始めていた。 でもそれは美紀としてではない。 愛する珠希と重なったからだった。 だから余計に焦ったのだった。 美紀を愛し始めたことには間違いない。 でもそれは美紀の中に珠希を感じたからだと思われた。 (俺は本当に美紀を愛しているのだろうか?) 正樹はまだ迷っていた。  「六月九日の九時から始まるの。だから応援お願いね」 美紀がウインクをした。 その途端に正樹は萌えを覚えた。 心だけではない。 芯から疼く。 正樹は慌てて頭を振った。 「仕事は一応夜だから行けるとは思うけど、早めにオーナーの許可を二日分もらっておくようにするよ」 「流石パパ」 そう…… ソフトテニスのインターハイは二日間に跨がるのだった。
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