AM 2:10 -新栄町

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AM 2:10 -新栄町

やはりただ、「普通」ではないという烙印を押されただけだった。 ずっと誰かと同じであることを嫌い、私は特別であってほしいと願い続けた人生ではあったものの、やはりその烙印を押されることはとても心苦しかった。 周りを見渡しても大して変わりないやつらが大勢いる中で、私だけがそういった落ち目を背負うことになるとは思えなかった。 病気とは言え、この目に見えない病のせいで、たくさんの人を傷つけた。失いたくないものから順に失っていった。ただ、その失いたくないものというのは、失った今でしか分からずに、ただずっと永遠に「そこ」にあると思っていた。 部屋の扉を閉め、オートロックのボタンに指が触れる寸前に、中から鍵のかかる音がした。 普段であれば自分が鍵を閉めていたであろう扉から、もうここに君の居場所はないと改めて念押しされたかのようにカラッとした軽快な音は、珍しくイヤホンをしていなかった私の耳をすり抜け、一気に力が抜けてしまった。 君は泣いているだろうか。後悔してくれているだろうか。 このオートロック錠が閉まれば、容易にそこに戻ることはできないというただの平凡な事実だけが私の足を前に進めた。 十月中旬の夜の空気は寂しい。知っていたつもりだった。もう二十数回もこの季節を越えて、やはりこの空気を好きになることができなかった。 歩き慣れた大通りから一本中に入った道はもう誰も歩いていない。まばらな街灯や無人交番の漏れ出る蛍光灯の灯りが温く世間を照らす。私は一人ではないという虚勢があらわになって、さらに一層巨大な力を発揮しきる前に私は新しい家に到着しなければいけない。午前二時、私は歩かなければならない。 思えばいつも、君は疲れた顔をしていた。日々の仕事に追われ、偶に合う休日すらも笑顔のない日々の会話のみで、ため息すら日常と化していた。私も仕事が忙しかった。家に帰れずに店で眠ることもしばしばあった私が、せめて君との時間を作れるようにと同居を提案し、君は親を泣かせてまで家を出てきてくれた。一緒に暮らす日々の中で気付くことはあっても、言葉にすることはなくなっていくことが増え、甘えられているのかクッションと間違われているのかすら分からないほど、ソファーの上で砕けた姿勢で、テレビの液晶に映る内容のないバラエティを眺めたこともあった。 一緒に風呂に入り、一緒に寝る。そこに営みというものもほとんどなく、どちらかがそういうベクトルの向いた時にだけ、半ば作業のような気持ちで事を済ませ、誰が書いたか分からない青年向けファッション雑誌に載っているようなアフターケアは、各々の眠りの中で行う。そんなひどく青春のような恋愛ではなかった。 二つ目の信号を左に曲がり、ここからは大通りに面してしばらく歩く。先ほどのような黒いコンクリートではなく、せめてもの三代都市としての威厳を残す為に敷き詰められた、タイルのようなレンガのような道を歩いて行く。 深夜のこの街は開いている店自体が少なく、飲み屋も大通りにはあまりないため、この時間になると人はほとんどいない。 眠ってしまった街を起こさぬように、私もできるだけ声や気持ちを殺し、ひたむきに歩いている。 私が鬱病と診断されたのは二週間前のことだ。 その前日、会社でのいざこざから精神的に疲弊していた私は、帰り道を覚えていないほどひどく酔っ払っていた。 私は気が付くと、涙で濡れた頬と私の肩を揺する君が目の前にいた。 ドアノブにかかったベルトから引きずり剥がされ、リビングの床に横になった私の手は小刻みに震えていた。 死ぬなとも生きろとも君は言わなかった。 ただ聞こえないほどの声で「ごめんね」と何度も呟いていた。 それは私に言っているのか自分に言い聞かせているのか分からなかった。 私が冷静に話をするようになるまでに、そんなに時間はかからなかった。君の目が赤く充血していることにすらすぐに気付いた。 「ごめんね。もう大丈夫だから。」 圧迫された後の喉は、詰まっているような濁っているような、バツの悪そうな声しか出なかったが、君に謝罪しながらそんなことを考えていた。 君は黙って頷き、私の胸に顔を押し当てながらまた泣いた。 体験したことのないことを想像するのは難しい。私は「取り返しのつかないこと」というのが現実的に分かるタイプの人間ではない。 しかし私は今のこの状況がなければ、そんな状況になっていたんだろうなとは思っていた。「遺された人」。君をそうさせなくて本当によかった。 翌日、朝の仕事を終え半日休暇を取得した私は、君の車に乗せられ近所の心療内科を受診した。 質問に淡々と答えるだけで、病気なんか分かるはずがないと思っていた。 簡単なヒアリングを終え、少し待合室で待たされた後、診察に呼ばれ、私は鬱病と診断された。 病名を聞いた私は、ほっとするわけでもなく、何かが腑に落ちるわけでもなく、さっぱりとした短めの笑いが口から出ていた。 診断書を書くので、一ヶ月は仕事を休んでください。と言われ、会計を済ませた私と君は病院を出た。病名と休職のことだけが耳に残り、ほかのほとんどの内容は聞いていなかった。君を連れて行ってよかったなと今になって思っている。 翌日、職場に診断書を提出し休職する旨を伝えた私は、上司という上司から罵られ、怒られ、退職に追い込まれた。 私が鬱病という単語に過剰反応していたのは、こういった「心の病に犯される人間は弱い人間である」という固定観念を持った人間に、なんの裏付けもないことを言われることを警戒していたからだ。 大変失礼な話ではあるし、そういう人をかわいそうなどと思っているわけではないが、「がん」や何かしらの重い病気であればこんな話もすんなり受け入れられたのだろうか。などと考えていた。 死と隣り合わせであること、余命幾ばくもないこと、それがもし共感してもらえる対象なのだとしたら、私のこの病気はとても厄介なものでしかなく、退職の武器にもならず、私と君を苦しめるだけの枷である。 しかしその枷にすら縋りたいほど、私は「私」を辞めてしまいたかった。 簡単な事務手続きを終わらせ、会社を後にした。円満な退社であれば今こそ大きく羽を伸ばし、希望に背中を押され、少しの寂しさや後悔で眼球を潤しながらこのビルを振り返り眺めていただろう。そんなこともできずに、猫背の私は普段より少し早めの帰路についた。 それから数日間、とても苦痛な日々を過ごした。苦痛と言っても、私の病気は身体のどこかが痛むわけではない。追われていた日々から解放された身体と、未だに追われていると錯覚している脳が私の心の上で乖離し、寝床から起き上がれないまま、まるで風呂に入るために外された時計のように重たい体と、まだ活動を止めない秒針のような脳を制御できていなかった。 何かに手をつけようとしても体が思ったように動かず、食欲もなく、眠くもないのに眠りに就く。そして脳が何かを思い出し、慌てて目が覚める。身体は動かない。その繰り返しがとても辛かった。 大通りの向かいにあるホテルは、まだまばらに明るい部屋があり、フロントでは事務作業をしているであろう男性が頭を掻いている。 目の前に続く道は平坦ではあるが、街によって光り方が違う。そんなことを思いながら、二十四時間営業の薬局を眺めていた。 この信号が変われば、君と出会った街に着く。 そこで足を止めるわけではないが、まだ青かった日々を思い出してしまうだろう。二人でなくなっていく。そんな感覚を実感できるなら、どれほどいいだろうか。 涙は出ない。ただ過ぎていくだけだと思っていた時間が、私の記憶を思い出という形に変え、溢れ出てきているだけだ。 「遠いな。」 白くもならないため息が、誰も乗らない都心環状線の入り口に消えて行った。
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