距離感

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 どうあっても、彼の手を取ることは出来ないのだ。 私は膝の上で拳を握り込んでいた。 「……そう、ですか。分かりました」 伊藤さんは、『振られちゃいましたか』と、たははっと、乾いた笑みを零して席を立った。 私は頭を下げたまま、上げることは出来なかった。 「……教えてくれませんか?」 その声に、私はゆっくりと顔を上げた。 帰ろうとする伊藤さんを余所に、訊ねたのは意外にも善次郎さんだった。 「あなたは人嫌いでは無いでしょう?なのに、線を引くのはどうしてです?なぜかをあれからずっと考えていましたが、俺にはどうしてもわかりません」 あまりに真摯な目を向けられ、私は驚いていた。 「お、親方、いいですって、もう」 伊藤さんが善次郎さんの肩袖を引いた。 「うるせぇ!お前はいいなら、てめぇだけで(けえ)りやがれ!!!」 これはもう、両目を見開くどころではない。 私は思わず身体が仰け反ってしまう。 職人さんの気質とは本来こうなのか? (私の見ていた善次郎さん像っていったい……) 外面か。外面なのか? 「な、何なんですか?お、親方には関係ないでしょう?」 明らかにビクつきながらも、伊藤さんは食い下がった。 「関係ある、無しの問題じゃねぇ。俺が気になる。そんだけだ」 腕を組んで完全に居直り体制に入ってしまわれた。 「お前はもういいんだろう?なら、聞く必要は無い。(けぇ)れ」 有無を言わさない命令口調に、伊藤さんでなくとも唖然としてしまう。 善次郎さんは、伊藤さんを無視して私に向き直る。 「他人(ひと)には言いたくないことなんでしょう?それぐらいは如何に唐変木な俺でも分かっていますよ」 苛々とした様子で善次郎さんは、頭をくしゃくしゃに掻いた。 「雪乃さん」 「は、はい」 又しても向けられる鋭い目に、私もビクついて衿を正した。 「俺はあなたのことを知りたい。どうか後生です。教えてください」 善次郎さんは机に額を打ち付けるのではないかというほどに、深々と私に頭を下げたのだ。
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