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親類を頼って広島に戻っても、どこも余裕があるわけではない。
足手纏いにしかならない幼い私を抱える母は、心苦しいばかりだったことだろう。
『生きるも死ぬも地獄よね……』
ポツリと、母は零した。
『ユキちゃん、お母さんと一緒に行こうか?』
どこに?
見上げた母の手には帯紐が握られていた。
久しぶりに電車ごっこでもするのかと思って、喜んで頷いた。
まるで笑わなくなった母。
虚ろな目ばかりしている母。
当時の私にできることは何もなかった。
何一つ出来ないまま、どんどん壊れていく母を見ていることしか出来ないもどかしさから、私は大口をたたいたのだ。
『お母さん!ユキはお母さん、大好き。大きくなったら絶対に、絶対に守ってあげるからね』
蒼白く、痩けた母の頬に手を伸ばし、温もりを移すように頬ずりした。
それまで、待っていてと痛切に願った。
『ん、ありがとうねぇ』
母は涙を浮かべて喜んでくれた。
『一緒にお昼寝しようか。お母さん、久しぶりにお歌を歌いたくなっちゃった』
陽の当たる縁側で、二人してゴロンと横になって母の温もりに縋りつく。
『勝ぁて、うれしい花いちもんめ』
懐かしい大好きな遊び歌を一緒に歌い始めた。
『負けぇて、悔しい花いちもんめ』
『あの子が欲しい』
『あの子じゃわからん』
『相談しよう』
『そうしよう』
母と二人で交互に歌うわらべうた。
こしょこしょ相談代わりに互いを擽り合って、散々笑い合う。
『『決~まぁった』』
『母さんが欲しい』
『ユキちゃんが欲しい』
互いに抱き付き合って、また擽り合うのが私と母の流儀。
いろんな歌を飽きるまで歌って、私はいつしか眠ってしまった。
夕暮れの寒さに目を覚ましたら、母はもっと、ずっと冷たく冷え固まっていた。
伯母がその横で、『堪忍なぁ、堪忍なぁ』と、何度も謝ってすすり泣いていた。
「母は、私が眠っている内に首を括って死にました」
戦火に呑まれた訳でも、無差別な爆弾に殺されたのでもなく、母は父――家族という心の拠り所に裏切られて死を選んだ。
私を残し、一人逝ってしまった。
私が大人になるまで待ってはくれなかった。
「ほどなくして私は施設に預けられて……」
差して大差はないが、本当は捨てられたのだ。
気付けば置き去りにされていた。
『一緒に連れてってくれたら良かったのに……』
最後にそう零したおじさんも、昔は『たかい、たかい』をして遊んでくれたこともあった。
戦争は何もかもを奪って、本当に更に、どこまでも上乗せをしてくれた。
「そこからも何かと大変でした。でも、あの当時より酷いことはありません」
こうして今も生き抜いている。
ただ、もう誰かの庇護下に入りたくはない。
「他人に縋りたくありません。手に余るような大切なものを抱え込むのは御免なんです」
一人で駆け抜けるだけ駆け抜けて、潔く朽ちられたなら、それでこの世にきっと未練は何も残らない。
自身の澱のすべて吐き出して、それでも尚も私の渇きは治まらない。寧ろ、口にしたことで鮮明に思い出して私は眩暈を覚えていた。
「ゆ、雪乃さんっ……!!!」
善次郎さんの声が、遠く聞こえた。
不意に身体が傾いで、倒れてしまったことも私は理解していなかった。
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