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食堂の賑わいが落ち着き始めた頃、善次郎さんが階を降りて来た。
すっかり空になったお膳に安堵の笑みを零す。
「全部食べてくれましたか。良かったです」
「ええ、食欲があったので安心しました。今はよく眠っています」
「善次郎さんも召し上がってください。なっちゃんは食堂でテレビを見て待っていましたけれど、先程セキさんが迎えに来てくれましたよ」
登場したばかりのカラーテレビは、まだ街頭テレビでしか見たことがない。新しい物好きのご隠居さんが来週あたりに電気屋を覗きに行くと燥いでいた。
「はい、いただきます。雪乃さんもこれからでしょう?私もこちらで一緒に食べても構わないですか?」
「あ、はい。えっと、でもいつもそこの階でお膳を置いて食べているんですが、よろしいですか?」
卓も椅子も無いので食べ難いことを伝えたが、善次郎さんは構わないと笑ってくれた。
せめてものと座布団を敷き、お膳を段上に並べて互いに隣り合う形で合掌した。
「「いただきます」」
先ずは大分名物団子汁に手を付ける。
「小麦粉を練って作るんです。甘めの麦みそ仕立てですが、いかがですか?」
もっちりとした独特の触感で、お出汁と味噌を含んでいるところがとろりと柔らかくなっていて美味しい。
「温まって旨いですね。宗太も好きな南瓜が入っていて喜んでましたよ」
「少し甘過ぎました?」
善次郎さんがホクホクの栗南瓜よりも、あっさりとした水南瓜の方を好むことを知っていた。私は断然ホクホク派なのだが、善次郎さんに限らず、男の人はそうでもない傾向にあると知って驚いたものだ。
「汁物だとそうでも。旨いです」
言いながら、善次郎さんはイワシの煮付けに箸を進めた。
「今回は生姜でなく梅干しで煮絡めました。梅干しも塩梅に酸味が抜けていてご飯に合うと思いますよ」
善次郎さんはクスクスと含み笑いを漏らす。
「?」
「いや、雪乃さん、いつになく饒舌だと思って」
「す、すいません。職業病でつい、張り切ってしまって」
パッと、頬に熱が溜まってしまう。
煩い人だと思われただろうか……?
「いえ、愉しいです。俺は口下手なんで、大抵は黙々と箸を進めてしまうんですよ。張り合いがなくて申し訳ないですかね」
私は慌てて首を横に振った。
「えっと、私もこうしてご飯を誰かといただくのは久しぶりですので、嬉しいですよ」
人の引き揚げた頃合い、静まり返った食堂で食べるのも、テレビを相手に食べるのも味気なくて、炊事場でチャチャっといつも済ませてしまっていた。
「そこは俺とと、言って貰えるともっと嬉しいんですがね」
先程の比ではない。本当に顔から火が出るかと思った。
思わず咽てしまうところだ。
「ぜ、善次郎さん、からかっています?」
声が完全に裏返ってしまったではないか。
そもそもこんなお人柄だったろうか?
「まさか、正真正銘に口説いているんですよ」
真剣そのものの眼差しに茶化した様子は見られない。
私は、胸に何かがつっかえてしまったまま、動けなかった。
「わ、私……」
何と言えば良いのか分からなくなった。
本当に分からなくて、言葉に詰まる。
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