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ふわふわと心が綿菓子のように、浮き立っておぼつかない。
熱に浮かされた夜を明けた心地に似て、何処か朧気だった。
「沢渡善次郎……」
その要因となる人の名を小さく口にすれば、トクンと心音が鳴り響いた。
噴き上げ、滾々と湧き出てくるのは喜びだ。
私にとって彼が特別だと、はっきりと自覚してしまう。
奈津と宗太の父親として見ていただけの筈なのに、『知りたい』と、近しい位置を望んで踏み込んで来た彼に、いつの間にか私は安心感を覚えていた。
「……ユキちゃん」
宗太の寝言にハッとして、宗太の額に手を当て安堵に目尻を下げる。
良かった。熱はすっかり下がっている。
起こさないように、そっと布団から這い出て、手元の行燈に明かりをつけた。
チラリと宗太を見遣り、心地よさげに眠っている様子に小さく息を吐く。
未だ夜の明けきらない暗がりの中、私はシュルリと寝間着の帯を解いた。
私の朝は早く、そして慌ただしい。
手早く着替えて、最後にもう一度だけ宗太の頬に触れた。
稚く、可愛らしい。
どんなにか無念だったことだろうと、善次郎さんの奥様を想った。
私はどちらかと言えば信心深い性質ではないし、魂なんてものはいっそ信じていない。
けれどそういうものがあるのであれば、宗太が一人眠ることになるこの合間を置いて他にないように思えて、何処を見るでもなく見上げて手を合わせた。
『どうか、お守りください』
『よろしくお願いします』
『ありがとうございます』
どれもが心からの本心だけれど、私から言えた言葉は一つもない気がして、ただ手だけを合わせていた。
そっと部屋を後にして、洗面場で顔を洗い、髪を梳く。
巷では巻き髪が流行っていると聞くが、そんな御大層なことを施すことなく、短いとも長いとも言えない肩口までの、利便性だけを備えた髪を後ろ手に束ねるだけである。
流行りのアメリカ映画の女優さんのように、思い切って短い髪にするとか、長く伸ばしてラジオ巻きやマガレイト巻きなどにすれば、少しは見栄えもするのだろうか……?
中途半端な長さはまるで私の心そのままで、誰に責められた訳でもないのに罪悪感を覚えてしまう。
『――大丈夫』
善次郎さんの声が耳奥で木霊した。
また、キュッと心が軋んで、思わず目をきつく閉じた。
『大丈夫です』
彼のあの言葉は、私のためらい、恐れ、そんな諸々全てを肯定してくれた。
――応えたい。
少しでも。
『あんただって、ちゃんとすれば、ちゃんとなるから』
芽吹いた気持ちを後押しするように、タキさんの教えが過る。
せめてものと、いつもより丁寧に髪を結わえた。
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