安心感

19/19
前へ
/101ページ
次へ
 善次郎さんは大きく嘆息して、私から身を離した。 代わりに私の手を取り、握り込む。 職人さんらしい皮の厚い大きな手だ。幾つもの大切なものを守ろうとする手に思えた。 「雪乃さんは、自己肯定感が低すぎです。もっと自分に自信を持ってください」 働くことに関してはそこそこ自信があるつもりだったのだけれどと、私は曖昧に頷くよりない。 彼はもう一度、私を席に座らせ、仕切り直しとばかりに向かい合わせた。 「俺があなたに求めていることは、仕事のパートナーとしての話だけじゃありません。勿論、あなたの仕事の処理能力は高く評価していますが、俺はそこに惹かれている訳じゃないですからね」 善次郎さんはご隠居さんと同じに思えた。 ご隠居さんは私の為に『ひじり荘』を始めたようなものだ。 私の過去を知ってしまったがために、同情し、私に居場所を与えようとしてくれている。 「私はもう子供じゃありません。いかようにも強く生きていけると自負もあります。もう、身を壊すほどがむしゃらになってまで労に費やすことも無いと、自分を甘やかせそうです」 でなければ悲しむ者がいることを知った。 「今はもう、私を心配してくれる人がいると胸を張って言えるようになりました」 胸に手を添え、大丈夫だと微笑んだ。 「……だから、そういうところ何ですよ」 善次郎さんは額を抑えて、何も分かっていないというように項垂れてしまう。 「俺が、雪乃さんに甘えたいんですよ。所帯を持ちたくないと言うあなたに甘えるには、他にどうすればいいんですか?」 「……え?」 耳を疑うような言葉に、私こそがどうすればよいか分からない。 ドキドキと高鳴る心音が邪魔をして、思考が上手く纏まらない。 「俺も子供では無いので、宗太のように全力で泣き喚いて、あなたに縋りつくわけにはいかないし、あたなを俺のものにするにはどうすればいいんですか?」 癇癪を起す前触れのように、苛々と頭を掻きながら、善次郎さんは苦悶の表情を浮かべていた。 「ほ、本気でおっしゃっているんですか?」 「本気ですが、何か問題が?知っての通り俺は独り身ですし、あなたを抱え込んでも何の問題も無いでしょう。文句を言うのだとすれば、葵くらいですが……。葵は、俺が今生において女の一人も幸せにできないことの方が、よほど愛想を尽かすと思います」 葵さんの名を口にする善次郎さんの目は仄かに切なげに揺れた。 その名を口にできるほどに、彼は彼女を失った悲しみを昇華できたのだと、私は安堵を覚える。それほどに、彼女を失ったばかりの彼は危うく見えていたのだ。 「どんな形であってもいい。俺の一番近しいところにいてください」 ──本当に、なんて人だろうか。 私は腰を上げ、彼の傍らに立った。 この(ひと)には敵わない。 強情な私でさえ敵わなかった。 もう、逃げる気も起らない。 「ゆ、雪乃さん……?」 見上げてくる善次郎さんに私はほのかに笑んだ。 「では、私をあなたの一番近くに置いてください」 まるで幼子にするように、愛おしいとばかりに、私は彼の頭を抱き寄せていた。
/101ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加