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 あの時、私を手篭めにしようと抑え込んで来た彼に、私は思いっきり打ち込んだのだ。 別に狙っていた訳ではない。 逃げようと足掻いた挙句に偶々肘が当たったに過ぎない。けれど、良い具合に入ったそれに、彼は悶絶に喘ぐように膝を付いた。 その時の痛みを思い出したのか、彼は苦々し気に顔を歪めて胸元を抑えていた。 「もうやめましょう。どうしたって、私はあなたのものにはなりません」 愛人にすることが、私の身の程にとってはさも善行だと考えている彼に、話が通じるとは思えなかった。それでも、人として向き合う心根が彼にあることを願って、私ははっきりと告げた。 「女が独り身で生き抜くには厳しい世間だ。僕なら君を囲うことくらい造作もない」 私が彼を袖にした代償は、業績不振となって返って来た。 『一度や二度抱かれてやれば気が済んだものを……御大層にしやがって』 平然と嫌味を告げる同僚の目は、私を捨てた身内の者らの目を思い起こさせた。 悔しい、悔しい。 見返してやりたい一心で、飛び込み営業で(つぶさ)に頭を下げて回った。 小さな口でも数があれば、挽回できる数字になる。 取って来た顧客を営業部に紹介するも、労をねぎらう言葉は一つもなかった。 『女のくせに……枕営業だぜ、きっと』 何の根拠もなく、そんな蔑んだ眼を向けてくる者もいた。 それでも努力の甲斐あり、伸び始めた受注に工場は忙しさを取り戻すことができた。 何とかこれで挽回できたろうと、ふっと気が抜けた反動で倒れた私の手を取ってくれたのが、ご隠居さんだったのだ。  あの手に見合う温かい人でありたい。 「これ以上、他人を蔑みたくありません。お願いです。退いてください」 男の蟀谷に青筋が立った。纏う空気に狂気じみた陰湿さが混じる。 「随分とお高く止まったもんだな、売女のくせに。俺に泣きつくのが嫌で枕営業までしておいてなぁ?」 不味いことになると、リヤカーの柄を握り込む。 人の往来の邪魔にならないようにと、物陰にリヤカーを置いていたことが仇となっている。 もう、声を、声を上げなければ……。 でも、誰か、誰か助けに来てくれるの? 面倒ごとに関わりたくないと、そっぽを向かれるのでは? ――善次郎さんっ! 私は固く目を瞑った。
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