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 リヤカーの車輪の音に気付いたのか、家の前から奈津と、宗太を腕に抱えた善次郎さんが、私を迎えに出て来た。 「ユキちゃんっ!」 奈津が喜び勇んで駆けてくる。 「ね!ね!乗ってもいい?」 もう、『ひじり荘』はそこだというのに、何としてもリヤカーに乗りたいらしい。 「荷物が多いから、気を付けてね」 「うん!」 奈津を抱え上げて、ジャガイモの箱の上に座らせた。 「ユ……ユギっ……」 宗太の方はどうも寝起きが悪かったようだ。 参ったと言わんばかりの顔で、善次郎さんは私に救いを求めて来た。 「どうやっても俺では役不足でした」 宗太は顔をぐずぐずにして、私に手を伸ばしてくる。 「宗ちゃん、どうしちゃったの?怖い夢でも見た?」 善次郎さんの腕から抱っこを代わり、代わりに彼にはリヤカーを引いてもらう。 「違うよ、宗ちゃんはお父さんに怒られたの」 奈津がしっかり報告してくれる。 「あんまりに聞き分けがないものでつい……」 雷を落とした次第ですね。 お察しします。 「もう、いっぱい泣いたから、泣かない、泣かない」 宗ちゃんの小さな背をあやして、抱き締める。 「宗ちゃんはあったかくて気持ちいいねぇ。ふふっ、小さなお風呂みたい。ゆらゆら、ざぶんっ!」 「!?」 リズムに乗せて体を揺らし、ひと息にしゃがみ込む。 人間エレベーターに宗太はびっくりして泣き止んだ。 「あははっ。ほら、ほっぺがお湯をかぶったみたいだよ」 涙を手巾で拭ってやる。 「宗ちゃんも、なっちゃんの隣に座る?」 但し、納屋に収めるまでの僅かの距離だとしっかり約束を取り付けた。でないと、後で絶対に駄々をこねるに決まっている。 「うんっ!」 奈津の隣に座らせ、止まるまでは急に立ち上がってはいけないことを二人に言って聞かせる。 「流石ですね。そういうの、どこで覚えてくるんですか?」 あっさりと泣き止んだ宗太を指して、善次郎さんは少しばかり悔し気に眉根を寄せた。 「子守り歴は長いものですから。小さな子の相手は手慣れているんです」 当時、私の奉公先のご主人はとても裕福な方で、正妻と呼ぶ奥様の他にもお妾さんを抱えているほどの人だった。 戦前に比べれば、随分と聞かなくなった話かもしれないが、今もそうした人は一定層いるというのが現状だ。 「私はお妾さんとの子を世話するように、施設より引き取られていきました。十になる頃でしたから、遊び相手のようなものです」 少し、難しい表情になる善次郎さんに、それは素晴らしく幸運なことだったのだと微笑んだ。 「お妾さんはお優しい方で、学校にも快く行かせてくださいましたし、裁縫や、女性としての所作なんかも丁寧に教えてくださいました」 「でも、そこは出ることになったんですよね?どうしてですか?」 そのまま下働きをして過ごすことはできた。 但し――。 「……ご主人が望まれたので、私は暇をいただくことにしました」 学校を出て、その先の身の振り方を考える時期になる頃、私は妾になることを望まれたのだ。 また一段と善次郎さんの顔が険しくなってしまう。 言葉は濁したが、多分、善次郎さんはそれと気付いたのだろう。 勘違いされないでほしいが、あの家ではそれがごく普通の価値観だったのだ。 「ご主人は、ご自分の物差しで、私の幸せを考えての計らいだったのだと思います」 言い添えるも、彼には納得し難いのか口を真一文字にしたままだ。 ご主人は情に厚く、紳士的な人柄だった。正に、お妾さんが望まれたご主人であり、奥様あってのご主人だったと言える。 「ご主人は何ら強要することなく、私の意向に頷きで返して、餞別まで与えて下さいました」 そう、あの支社長とはまったく違うのだ。 あの男は私を飼いならそうと目論んだだけだ。 『――雌犬』 かつて、あの男の吐いた言葉が全てを物語っている。 人として扱う気などはなからなかったに違いない。 私は寒さを覚えて、腕を擦っていた。 (此処に……帰ってこれて本当に良かった) 安堵に胸を撫で下ろした拍子に、うっかり溜息が漏れ出てしまった。 「雪乃さん?戻られた時も少し様子が変だなとは思ったんですが、何かあったんですか?」 迎えてくれた善次郎さんの姿に、思いのほか気が抜けてしまったのだ。我ながら随分と情けない顔をしていたかもしれない。 「少し……でも、もう平気なんです」 そうですか?と、微妙な顔をする彼に私は元気に頷いて見せた。 「さぁ、子供たちのことは任せて、お仕事に戻ってください。今日はコロッケなので、子供たちにもお手伝いをしてもらおうと思います」 奈津に粉付け、宗太にパン粉付けを任命し、私は腕を捲って気合は十分だと張り切って見せていた。
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