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彼ら親子と私の付き合いは割と長い。
ちょうど下宿を営み始めた頃だから、かれこれ三年ほどになる。
産後の肥立ちが悪いと、元医師のご隠居さんが善次郎さんから相談を受けたのが最初である。
私も気になって、見舞いと称して奥さんの元を通い始め、身の回りの世話を焼くようになっていた。それで、奈津も宗太も私を叔母のように慕ってくれているのだ。
その甲斐あってか順調に回復の兆しを見せ、もう大丈夫だろうと安堵していた矢先のことだった。
少しそこまでの距離を買い物に出ていた奥さんは、事故で儚い人となってしまう。
(……本当に、この世に神も仏もないのね)
私は深く嘆息し、彼ら親子を不憫に思わないではいられなかった。
奥さんが生前だったころは、職人気質の善次郎さんも朗らかな優しい印象の男だった。
なのに、今は無愛想で堅物の雰囲気にあった。
「また此処で世話になっているのか!?どうして家で大人しく待てない?」
厳しく嗜める善次郎さんの声が食堂内に響いた。
私は二人を弁護しなければと、慌てて暖簾を潜っていた。
「善次郎さん、うちは本当に構わないんです。こちらが勝手に世話を焼きたいんですよ」
二人を無理に連れ帰ろうとする彼の手を諫めた。
「施しは要らないと言った筈です」
彼は代金を机に伏せた。
「ええ、施しなんかじゃありません。この子達にはお味見して貰っていただけです」
「それとも何ですか?子供の世話は親だけでするものだとでも?違いますよ?この子たちは『金の卵』です。世の大人が、慈しんで育てたいと願って止まない存在です」
善次郎さんは私と同じだ。
肩に力が入り過ぎて、周りが視えなくなるほどに気張り過ぎている。
小さな宗太が私の腰に抱き付いて、泣き出した。
きっと、私たちが諍いを起こしていると勘違いしたのだろう。
「いいから、帰るぞ」
「やっ!!!」
宗太は帰りたくないとばかりにしがみつく。
「そ、そうちゃん……」
それを皮切りに、奈津までもが私の袂を掴んで、べそを掻き始めていた。
「お前たち……」
怒るというより、酷く傷付いた顔で彼は顔を顰めた。
「甘えたいんですよ。此処の灯りや匂いがこの子たちを誘い込むんです。安心するんです。善次郎さんもせっかくですので召し上がって行かれませんか?」
それにこれではお代はいただき過ぎだと、私は肩を竦めた。
「……一度甘え出すと、癖になるでしょう」
どこまでも職人らしい、己に厳しい人の言葉だ。
「仕事はそうであると思います。でも、子育ては――暮らしは、甘えることも、気を抜くことも同じくらい大事なことだと思います。食事をするときくらい、気を抜いても罰は当たりませんよ」
私はふんわりと宗太と奈津を抱き締めた。
「ああ、なんて可愛いの。癒されるなぁ」
ふるふると身震いして笑みを零せば、べそを掻いていた二人もきゃはきゃはと擽ったそうに笑みを零した。
「私、元気な顔を見せてくれるのをいつだって楽しみに待っているんですよ」
私は善次郎さんに、嘘偽りない気持ちをこれでもかと見せつける。
「こんな可愛い時期を見逃すなんて、勿体無いでしょう?」
きっと、バツが悪かったのだろう。
彼はパッと顔を赤らめ、直ぐにそっぽを向いてしまったけれど、『わかりました』と、椅子を引いて腰掛けてくれた。
「……今日のお勧めをお願いします」
律儀に頭を下げられ、私も慌てて居を正してお辞儀する。
「お父さん、けんちん汁が美味しかったよ」
すっかり元気になった奈津が彼の袖を引く。
「おかわり!おかわり!」
宗太がせがんで、私の割烹着の袂を引っ張って急かした。
「はい、ただいま。お魚も焼いてありますから、お父さんに骨を取ってもらってね」
気を取り直して、私は調理場に戻っていった。
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