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「忘年会ですか?」
下宿生の最年長である京橋さんを代表にして、皆さんから相談を受けたのは、夕餉を過ぎた頃合いだった。
これまで『ひじり荘』では大々的な忘年会も新年会もしたことはない。
それらの類は各々が勤め先などで果たしてしまうというのもあるが、顔見知り程度で個々がそう近しい間柄でもなかったというのが正直なところだ。
その顔ぶれは少しずつ変わっても、皆さんが随分と近しい関係を築けてきているということなのだろう。
「今度、向井さんが退所することになったでしょう?」
そうなのだ。
『ひじり荘』開所以来からの付き合いである向井さんが年内で引き払われることになっていた。
ご成婚されて、お嫁さんのご実家の方に移り住むことになったのだ。
都市には彼のように出稼ぎに来ている若者が多いために、彼のように婿養子でなくとも、お嫁さん側のご家族と一緒に住むことを選ぶ者や、核家族世帯が増えていた。
「彼には何かと世話になって来たので、ささやかながら祝ってやりたいよなって、話になりましてね。もう、帰省している者もいるので、残った者らだけでってことになるんですがね」
それで食堂を借り切っての忘年会と掛け合わせて、祝賀会をサプライズしたいとの申し出だった。
「二十九日の夜ですか……」
その日が仕事納めの夜だった。年末年始の間は食堂を閉じている。
下宿生が皆出払ってしまうというのもあるが、商店街も閉まるからだ。
世間は五日間分の食料を買い込まなければならないので、最終売り出しのその日は、どこもがてんやわんやにごった返すことになる。
「恥ずかしながら、あんまり金を掛けられないので、余所を借りるっていうのは難しくて……申し訳ないです」
一斉に頭を下げられてしまった。
「ご隠居さんの了承があるのであれば、私からは異論はありませんよ」
紗代さんを見やれば、紗代さんの方もにこやかな頷きで返した。
「勿論、私も協力させていただきますよ」
その言葉に、皆さんから安堵に交じって小さな歓声が上げられた。
年末年始は、紗代さんもご隠居さんを伴って、ご実家に戻られることになっている。ご隠居さんはその足で湯治に向かうらしく、気ままな一人旅を楽しむと言っていた。
帰省の準備もあって忙しいであろうに、にこにこと快い笑みを覗かせている紗代さんに、ここは見習わなければならないところだと、私は内心で反省していた。
「始めるのは夕餉の後なんですが、酒の肴にちょっとした小料理をお願いできればと、予算はこれくらいで――」
メモ書きのように書き出された書面を見て呆れてしまう。
好きな食べ物を上げ連ねただけなのかもしれないが、お料理の内容と、金額には眉根を寄せてしまう。
「酒代を入れるとなるとちょっと……」
厳しいどころではない。完全に舐めている。
私は割烹着のポケットから万年筆を取り出し、容赦なく斜線を引いていく。そして、その隣に代案を記入していった。
それでも厳しい数字に唸る。
なんせ、何もかもが値上がりするのが年の瀬だ。
「酒代を削ればもう少し何とか……」
私の言葉に皆は一気に顔を顰めた。
「あいつは婿養子に入るようなものですしね、羽目を外す機会は流石に減るでしょう?独り身を謳歌できる最後と思って、心置きなく飲ませてやりたいんです」
そう言って胸を張られれば、何も言えなくなった。
「……分かりました。ですが、節度ある振る舞いをお願いしますね」
学生を終えたばかりの下宿生もいる。
未成年飲酒は御法度ですよと、厳しい目を向けた。
「はい、その点は分かっています。勿論、お二人も輪に入って、祝ってやってくださいね」
「はい、おめでたい席ですものね。楽しみにしています」
紗代さんに倣って、今度は私も快く頷いた。とは言え、お邪魔はしませんよという意味を込めて、お料理を出し終えたら先に休ませていただく旨を伝えておいた。
興に沸いて引き揚げていく彼らを見送りながら、私の頭はこれからの段取りをフル回転で考え始めていた。
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