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「この行李の中にあるので冬物は全部ですよ」
言いながら、彼女の前で上籠を持ち上げた。
一つ一つを丁寧に和紙で包んであるそれを紐解いていく。
「へぇ、どれも良い仕立てですね。こんなにあるのに、どうしていつも同じものばかり着ているんですか?」
紗代さんは一つ一つの着物を丁寧に広げながら、訊ねる。
「単に貧乏性なんです。それに、綺麗に取っておけば、こうして他人にお譲りすることも出来るでしょう?」
普段使用できる小紋でさえどれも上物。何気に袖を通すものとしては勿体ない代物だ。
「くださるんですか!?流石にこんな高価なものを頂けませんよ」
甘え上手かと思えば、途端に紗代さんは及び腰になる。
「ふふっ、はい。私もそのつもりはなかったんですが、久しぶりにこうして紐解いてみれば、不思議とお譲りしたくなったんです。ケチな私らしからぬ心境の変化ですねぇ」
並べた着物らはどれも惚れ惚れするほどに美しい。
この一つ一つがお妾さんの為にご主人が誂えたものだった。
奥方を持つご主人を不誠実と詰る者も当然いるだろうが、あの女は妾であることを承知し、ご主人は妾を持つことの責任を果たしていた。
「これなんかどうです。紗代さんには華やかな朱色が似合うと思いますよ」
角通しと呼ばれる柄。小さな正方形が縦横に連続して配置された江戸小紋。
『角通しはね、縦でも横でもどの道でも筋を通すという意味があるのよ。江戸の大名は着物に袖を通して、そんな気概を見せたのねぇ』
そんな懐かしい声が脳裏に甦る。
「帯は華やかに牡丹柄を合わせてはどうですか?」
その昔、お妾さんともまるで貝合わせのように着物に帯をあてて愉しんだ。
当時の私にとっては信じられないくらいに雅な世界観。
夢見心地で、着飾るあの女を眺めていた。
動きやすいように軽量の名古屋帯を勧めて、戸惑ったままの紗代さんに合わせて見せた。
「ほら、凄く綺麗です」
「雪乃さん……。雪乃さんって、どうしてそうなんです?」
てっきり手放しで喜んでくれると思いきや、紗代さんはどこか哀し気に眉根を寄せている。
「はい?」
「ご自分で着てみればいいじゃないですか。他人に譲るくらいなら、汚れたっていいじゃないですか。ご自分で着て、お洒落を楽しんだらいいじゃないですか」
何故か傷付いたような表情で、私の手から着物を奪い取るや、紗代さんは私にあてがった。
「ほら、こんなに素敵です。似合うに決まってるんです!」
どうしたことか、紗代さんは怒っているようだった。
「さ、紗代さん???」
「私、雪乃さんのそういうところ、嫌いです」
き、嫌い?
睨み据えられ、思わず腰が引けた。
「自分には勿体無いなんて考えてるところが、腹立たしいです。そういうの、人の好意を無にしているんですよ。形見分けしてくださった方に失礼です」
『雪乃さんは自己肯定感が低いです』とは、前に善次郎さんに言われた言葉だ。
紗代さんの言いたいことは何となくわかった。
けれど、人というのはそう簡単に変われるものではないし、勿体無いと思う気持ちはどうしたってそう手放せるものではない。
私というのは、根っこからの貧乏性だった。
「元々、これらは着るために手元にあった着物ではないのですよ」
「え?」
「お恥ずかしい話ですが……生活に困ったら、売るために取り置いておいた着物なんです」
保険のつもりで手元に残してあった。
「これまでは、これらの着物が私の支えだったんです」
言葉にすれば、何とも心許ない支えだと、少しばかり可笑しくなってしまう。
「私にとって、これらは大切な着物です。でも、もっと大きな支えを与えられて、少しばかり気が緩みました」
先行きの見えなかった未来に陽の光が差した。
思い起こした彼の手の温もりを包み込むように、胸元で手を重ねていた。
「それって……沢渡さん?」
紗代さんに直接話したことはなかったが、ご隠居さんから話を聞いているのだろう。
「はい。私はここを出て、善次郎さんと一緒にこれから先を歩んでいきます」
だから、一つくらい紗代さんに譲り渡してもいいと思えたのだと、私は締まりのない顔で微笑んでいた。
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