距離感

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距離感

紺野(こんの)さん、あんたちょっと悪い噂になっているよ」 「ええ!?な、何ですか?」  昼時を過ぎて、食材の調達にリヤカーを引いている私に声を掛けてきたのは、ご近所でも噂好きでこの人の右に出る人はいないと言われているタキさんだ。そしてタキさんは、『お(えん)さん』と呼ばれるほどに、余所様(よそさま)の縁組に定評のある、名うての引き合わせ仲人でもあった。 私の反応に気を良くしたのだろう。少し、にんまりと意地の悪い笑みに目を細めて、内緒話をするように擦り寄ってきた。 「……言いにくいことなんだけどね」 言いたくて堪らないという顔つきのタキさんに頷きで返す。 『あんたのこと……直ぐに男を引っ掛けようとする尻軽女だって小耳に挟んじゃってね』 (嗚呼、さもありなん) 事実無根だが、それはしばしば立つ噂だった。  下宿人の多くは、地方から出稼ぎに出てきた年若い学生さん上がりで占められている。食堂付きの魅力も手伝って、『ひじり荘』はこちらがそうと決めたわけでもないのに男性ばかりだ。 (彼らとの距離感には十分に気を付けていたのになぁ) 「私はあくまでも管理人です。若しくは『お母さん』の立ち位置ですよ」 「ははっ、そんなことは分かってるわよ。あんた全然、色気ないものねぇ」 豪快に笑って、タキさんはバンバンと私の背を叩いた。 いろんな意味でダメージを負いながら、私はよろけそうになる足を踏ん張った。 「そっちじゃないの。ご隠居さんよ」 「そっち!?」 これにはうっかり横隔膜を刺激して、妙な奇声を上げてしまった。  色気は無くとも私はの24歳。丁度、結婚適齢期の山場を迎えたところだ。一方で、ご隠居さんは70歳。まだまだ足腰はしっかりされているが、親子以上の年齢差は歴然だ。 「財産狙いなんじゃないかっていう話も――まぁ、そういうの、無いわけじゃないだろう?」 (嗚呼、さもありなん) 「ご隠居さんは土地をお持ちですが、『ひじり荘』の改築費用で担保に取られていますし、借入を返すばかりで資産家とは言えない状況なんですがね……」 (ご隠居さんの飄々とした余裕の体裁がそう思わせるのだろうか?) 「貧乏暇なしで、馬車馬の如く働いているこの状況を見て下さいよ」 半ば呆れながら、野菜や米やらを積んだリヤカーに手を掛けた。 「……よねぇ」 タキさんも哀愁を漂わせる。 「建具屋のチビちゃんたちが、随分とあんたに懐いているから、なにかとやっかまれてるのかもねぇ?」 (嗚呼、さもありなん)  善次郎さんはちょっとした役者よりよほど男前なのだ。後妻を狙っている人は多いとみて間違いないだろう。 (だからこそ、妙な誤解を避けるために私の方からは、あちらを訪ねることは避けていたというのに……) 「まぁ、後妻を娶られたら、チビちゃんも離れてしまうでしょうね」 あの可愛らしい笑顔が遠のくのかと思えば、やはりにして寂しい。 そうでなくとも彼らは成長と共に離れていくのだろうと思う。 「ともかく、女狐紺野は居りませんのでご安心を。それどころか、私は生涯独身の心意気でいるんですから」 私は無い胸を張った。 タキさんはマジマジと私を上から下まで眺めまわして、目を吊り上げた。 「ちょっと!?何言ってんだい、あんた!」 「へっ?」 キョトンと首をかしげる私にタキさんは気迫を纏って詰め寄った。 「ちゃんとすればなるようになるから、早くも諦めてるんじゃないよっ!!!」 「えっ、ええぇぇ???」 私の何がいけなかったのか、タキさんは激高した。
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