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やれ、新年だ、正月だと浮かれていられるのも三が日まで。
明日からはまた気を引き締めて日常に挑まねばならない。
その為にも、先ずは今日という日を感謝して迎えよう。
「奈津、宗太、お前たちの祖父母――お前たちのお爺ちゃんとお婆ちゃんだ。きちんと挨拶しなさい」
元日と同様に子供たちには晴着を着せ、俺は黒の紋付き袴という出で立ちにある。
そして普段は居間として使っているが、客間に設えた部屋に迎えた彼ら――父母、姉夫婦、達彦、その装いは和洋様々だが、同じく正装で居を正していた。
正月というのに急遽手伝いに来てくれたセキさんに、奈津と宗太は背を促され、縁側の方より敷居を跨いで現れた。
目にした庭に、少しばかり粉雪がちらつき始めていることに気づいた。
(寒いと思えば、また降って来たか……)
二人は手を繋いでいたが、意外にも宗太の方が奈津の手を引いている。
(いっちょ前に、お前も男だな……)
口を真一文字にしたまま、宗太は俺をチラリと見た。
『いいぞ』と、俺は目だけで応える。
見知らぬ人ばかりを前にして、二人は互いに緊張した面持ちで、ゆっくりと膝を折った。
そして、まるで雛人形のお内裏様とお雛様のように並んで居を正し、丁寧に指先を揃えて畳に手を付いた。
「「お爺ちゃん、お婆ちゃん、明けましておめでとうございます」」
二人は何かの発表会のように声を揃えて、きちんとお辞儀をした。
その姿に、元旦の朝に交わした挨拶を思い出した。
『ふふっ、たくさん練習していたんですよ』
雪乃さんがこっそり教えてくれたことが、まるで遠い日のことのように懐かった。
「うむ、おめでとう。ほら、年玉だ」
年玉袋を袂より取り出し、差し出してきた父の手は――。
その手を認めて、俺は僅かに顔を顰めた。
雪乃さんの言っていたことは思い過ごしではなかった。
父の手は小刻みに振るえていた。
(……一体、いつから?)
母は気付いているのかと見やれば、まるで意思疎通したかのように、母は俺の目を見止めた。
思わず舌打ちしたくなる。
(この、くっそ頑固親父がっ……)
父は大の医者嫌いだった。
『医者の手に掛かるくらいなら潔くくたばった方がマシ』とは、これまで聞き飽きるほどには聞いてきた台詞だ。
父は患っていると自覚しながら、医者に掛かろうとはしていないのだと母と見交わした目で理解する。
「お、お婆ちゃんがお父さんのお母さん?」
奈津が恐る恐る母に問いかけた。
「ええ、そうなの。奈津さんは幾つになったのかしら?」
母が奈津に笑みを向ける。
奈津は幾分安心できたようで、縮こませていた背を伸ばした。
「五つ」
小さな掌を見せながら、奈津ははにかんで笑った。
「もうそんなに……、直に学校ですね。宗太くんは?」
三本指を出したかった筈が二本指になっているまま、「三さい」と、宗太は素気無く応えた。
「宗ちゃん、こうだよ」
奈津が隣で袖を引いて、三本の指を見せる。
「し、したもん」
自尊心を傷つけられたのか、宗太は小さなこぶしを握り込んで俯いてしまった。
こういう些細なことからいつもなら喧嘩に発展するのだが、流石に宗太も今日という日は堪えてくれたようだ。
(そうだな、お前たちにとっても今日は大事な日だもんな……)
初めて、父と母に孫として迎えられた日でもある。
「二人ともお行儀よくお話できてお利口さんですね」
母が嬉しそうに目じりを下げて、微笑んだ。
「二人は葵が残してくれた宝です」
これまで一度も会いに来なかった彼らが、容易く二人とふれあうことを疎ましいと思い切れないことが疎ましい。
「お前は儂の倅だ。とあれば儂の孫には違いないだろう」
勘当を言い渡した身でありながら、当然のように父親面する父を父と受け止めている己の甘さに苛立ちが湧く。
「出来ることなら、葵がいる前でその言葉を言って貰いたかったですね」
皮肉を口にしながらも、腹立たしいほどに俺は彼らを切り捨てられない。
家のことなど知ったことかと、罵る言葉が喉元から出ることをためらっている。
俺はずっと親父の背中を見てきた。この男が職人として、経営者として足掻いてきたことを知っている。
切り捨てられない葛藤で、苦悶の表情を浮かべていた俺に、檄を飛ばしたのは雪乃さんだった。
『私の惚れた沢渡善次郎は情に篤く、責務を果たさんとする人です。ご家族を大切になさってください。これまでの行き違いは、善次郎さんの懐一つで変えられる気がします』
雪乃さんは強い。
そして、過ぎるほどに優しいのだ。
俺は家督を継ぐ決意を固めて、彼らを迎え入れたのだった。
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