線香花火

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漆黒のビロードのような夜空に、何億もの星が輝いている。 そういえば誰かが、夜空の星たちはこの世界から旅立った人だって言ってたな。 誰が言ってたかは忘れちゃったけど。 「あれ……」 僕はふと公園の前で足を止めた。 木々がうっそうと生い茂り、なんだか今の時間帯は不気味な感じがする場所だ。 ところが、そんな公園の真ん中にあるベンチに人影が見える。 誰だろう。 ちょっと気になるが、こんな時間に公園にいる人とは関わらない方がいい。 僕はそう考えて、そそくさと立ち去ろうとしたけど、 シューッ 突然蛇の鳴き声みたいな音がして、ビクリと公園の方に視線を戻す。 僕は息を呑んだ。 なんとあの人影が光っているのだ。 いや、正確には、その人物の手元がまばゆい光線を放っていたと述べたほうがいい。 その光の筋はだんだんと薄くなっていき、数秒して消えてしまった。 あれは……たぶん、手持ち花火だ。 夏によく家族でやるので、遠くからでも見当がつく。 この時、僕が何を思ったかわからない。 けれど、気がついたら僕は糸に引かれるように、斜めっている石段を下りてその人物へ近づいていた。 ザクザクと砂を踏みしめる音が響いて、だんだんその人物の姿が見えてくる。 その人は女性だった。 でも、近くの高校の紺のブレザーとプリーツスカートという装いから、女子高校生だと推測できる。 さらに金色に染めた髪にピアスを開けていて、派手なグループにいる系の女子なのだろう。カバンについているストラップもラインストーンがついていて、闇夜でキラキラ光っていた。 カバンの隣にはスーパーなどでよく見る花火のビニールが開封した状態で置いてあり、下に目線を移すとベンチの下には消化用のバケツも鎮座している。 「あの……」 僕は若干挙動不審になりながら、恐る恐る口を開いて声をかけた。 すると女子高生はチラッと僕を一目して、 「なんだ、ガキか」 と、またビニールから細い花火を取り出してライターで火をつけ始めた。 この人、思ったより口が悪い。 その口調と服装のせいで、花火がタバコに見えたのは仕方ない。 僕は少しムッとしつつ、女子高生の座っているベンチの端に腰掛けた。 「お姉さんは、こんな夜中に何やってるの」 「……は? 見りゃわかるでしょ」 僕が質問すると、片眉を上げて睨まれた。 「花火っていうのはわかるけど、こんな夜中にひとりで花火してる女子高生なんて変だと思うよ」 「あー、うるさー。あたしより若いくせに先生みたいなこと言うね。てか、あんたこそこんな時間になにしてんの?」 「塾の帰りだよ。すぐそこの交差点にあるやつ」 「へぇ、あんた小学生っぽいけど、もう塾に通ってるわけ。なーんだ真面目くんなのか。てっきりあんたも逃げてきたのかと思った」 そう言いながら女子高生はバケツに燃え尽きた花火を突っ込んだ。 あんまり花火を楽しんでるように見えない。 なんだか流れ作業を見てるみたいだ。 「あんた……『も』ってことは、お姉さんは何かから逃げてるの?」 僕が女子高生の方を向いて聞くと、急に苦虫をかみ潰したような顔で、 「あー……これだから中途半端に優等生のガキは嫌い」 と、イラついた口調で次の花火に火をつけ始めた。 今度はライターが上手くつかなかったらしく、何度かカチャカチャやってつけていた。 それからしばらく吹き出す光の束を眺めていたが、やがて、 「逃げてきたの。自分から」 「自分?」 「……そう。学校とか家族とかそこそこ上手くやってたけど、なんか嫌になったんだよね。そんでどんどんグレて、堕ちてって、もう取り返しがつかなくなった」 ふぅーと息を吐きながらそうつぶやく女子高生に、僕は何にも言えなかった。 むしろ、その話の内容は僕には想像できないもので、答える言葉を持ってなかったと言った方が正しいかもしれない。 暗がりの公園で、目に眩しい花火の光ばかりが目立っている。 「でもなんで花火なんかしてるの?」 僕が初めとほとんど同じ内容の質問をすると、女子高生はちょっと笑って、ビニールから戦隊もののキャラが印刷された花火を手渡してきた。 「ガキはこういうの好きなんでしょ」 答えはまたもや返ってこない。 手渡されたそれは小さな優しさに思えたが、さすがに小学校高学年なので戦隊ものは卒業しており、やはり馬鹿にされているように感じた。 ガキガキって呼ばれると気分が悪い。 それでも相手は年上なので、僕は花火を両手で握りながら不服な気持ちを飲み込んで、 「火、つけてもいい?」 「はいどーぞ」 女子高生は今度は一発でライターの火をつけて僕にぐいっと差し出し、僕は花火の先をその中に突っ込んだ。 初めに先端の緑の薄い紙が燃えて、数秒してから先端から火花を吹き出した。 それを見てちょっと気分が明るくなったので、花火を魔法の杖のようにくるくる回して遊んでいたら、 「危ない。やめて」 と、女子高生に注意された。 派手な女子高生の口からそんな言葉が飛び出してくるとは思わず、僕は目を丸くしてすぐに手を止めた。 その動きに合わせてさっきまで日輪になっていた火花は、また枝垂れ桜のようにおとなしく流れ続始める。 「最後はー、っと……これか」 急に声のトーンが下がったので何事かと女子高生を見やると、その目はビニールの中身に注がれていて、残りはたった一本の線香花火しかないようだった。 女子高生は渋々といったように、袋から最後の花火を取り出す。 「あたし、線香花火嫌いなんだよね」 「え、どうして?」 「だって寿命短いし、集中してないと落ちるし、めちゃくちゃ光ってるのって一瞬じゃん。つまんない」 なるほど。思いっきり火花が吹き出す手持ち花火が好きなタイプなのだろう。 女子高生は線香花火に火をつけようと、ライターを近づけてカチャカチャいわせた。 でもライターが限界値まで来ているのか、先程からますますつかなくなっているようだ。 「あーもー。消えかかってんのはお互い様だって……」 言葉尻はうまく聞こえなかったが、何やら焦っているようにも感じる。 消えかかってるとは、どういうことだろう。 でも、イライラしている女子高生に質問する勇気はなかったので、じっとその奮闘を見ているしかなかった。 「……あ、よしっ」 数分後、ようやく弱々しい火が出たので、急いで線香花火の先端を火の中に入れる。 それからシュッという音とともに、小さな紅の玉がジリジリと踊り始めて、周りに曼珠沙華のような火花を散らしだした。 僕は一番、線香花火が好きだ。 確かに儚いけれど、それはそれで心を掴まれるし綺麗だと思う。 パチッパチッと跳ねる火の粉が、人生を流れていく時間みたいに一瞬にして消えていく。 ふと女子高生の方に目をやると、彼女は真剣に線香花火に目を凝らしていた。 そのつやつやした黒い瞳の中には確かに赤い火があるのに、どちらかというと、その奥の別の何かを睨んでいるようだった。 それから僕は先程の会話を思い出して、 「……ねぇ。お姉さんは短いからつまらないって言ってたけど、僕はそこがいいところだと思うよ」 「え?」 心の底から驚いているような素の表情が、その時初めて女子高生に現れた。 「今の瞬間から逃げないで、その一瞬に賭けて輝くって感じがする」 「…………」 女子高生は僕の答えを聞いて黙り込んでしまった。 僕はその反応を見て、自分の説明がわかりにくかったのだと反省し、 「あ……、まあ、ずっと全力だと疲れちゃうでしょ? だから一度に頑張ろうってことなんだけど……。なんか、僕も言いたいことがわかなくなってきちゃった。ごめん、忘れてください」 せっかくいい事を言おうとしたのに、文章がぐちゃぐちゃになってしまった。 僕が慌てて撤回すると、まるでそれが聞こえなかったようにゆっくり女子高生が目を上げて、 「……やっぱりあたしは間違ってたんだ」 そうぽつりとつぶやいた。 僕は唐突に飛び出してきた言葉にびっくりして、女子高生の顔を凝視する。 すると、その視線に気づいた女子高生がハッと我に返って、 「あー、ごめん。考えごとしてた。ていうかあたし上手くね? こんなに続いたのあたし史上初だわ」 確かに、いつも僕がやるより長く続いている気がした。 さっきまでとは打って変わって明るくなった女子高生の態度に引っかかりを覚えたけれど、僕はわざわざその違和感の原因を掘り返すほど馬鹿ではないので、進んでそのテンションに合わせた。 「こんなにたくさんひとりでやったから上手くなったんじゃないの?」 「うわっ、褒めるってことを知らないのか、このガキ」 「うん、褒めても僕は得しないし。それにちゃんと片付けなよ。残したら迷惑だからね」 「はー? そこはあんたが片付けなさいよ。落ちたものもしっかり拾っといてね」 「なんで僕がやらなくちゃいけないの」 パッ 僕がそう言い返したところで、突然何かが弾けるような音がした。 それと同時にあたりが一瞬にして暗くなって、僕は思わず身構えてしまう。 天変地異か。悪魔の襲来か。 ところが事実は単純で、線香花火がその火を地面に落しただけだった。 あんなに続いていたのだから、そろそろ落ちてもおかしくない状況だったのだろう。 「あはは。終わっちゃったねーー」 お姉さん。 そう言葉をかけようとした。でも、その言葉は音にならなかった。 なぜならベンチの隣には、もう誰も座っていなかったからだ。 まるで、もとから誰も座っていなかったように、空になった花火のビニールとバケツがたたずんでいるばかりだった。 「お姉さーん? どこいっちゃったの」 慌てて立ち上がってあたりを見回すが、静まりかえった木々が僕を見下ろしているだけだ。 しばらくオロオロしていると、いきなり足元が暖かくなった。 そこで下を向くと、不自然にそこだけ雑草が生えていない丸い地面があるのが見えた。 僕はかがんでそこに手をついた。 「ここって……線香花火が落ちたとこ?」 そう独り言を言うと、真横にあった平たい石で地面を掘り始める。 なぜ掘っているのかは、自分でもわからない。 この公園に入ってきたときと同じだ。 まるで何かに引き寄せられるような変な感覚。 僕がそのまま無言で掘ってゆくと、ある時コツンと何かに当たった感覚がした。 そこからは両手で丁寧に砂を除けていく。 すると、 「あっ……」 土の中から光り輝く米粒ほどの宝石みたいものが見えた。 僕は静かにそれを手のひらに乗せると、顔を近づけてその不思議な球体を見つめた。 よく見れば硝子のような薄い羽が一対あって、ゆっくりとパタパタ動かしているのがわかる。 それから僕は立ち上がると、パッと手のひらからその球体を空中に放り投げた。 蛍のようにそれはぐんぐん舞い上がり、いつの間にか星空の彼方へ行ってしまう。 「またね」 女子高生はとっくに落としていたのだ。 それを誰かに拾ってほしくて、ひとりで花火をしていたんだと勝手に推測する。 遠くの星がひとつ瞬いて、優しい夏の風が通り過ぎた。 僕はしばらくそんな夜空を眺めていた。
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