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あなたが生きる呪いをかけた
私、中原広(なかはら ひろ)は性別という概念が"嫌い"である。
嫌悪感を感じるし、失くなればいいのに。
全世界の生命体の中には、そんなことを言えば石を投げる人間もいるだろうと思うが、これだけは己の感情として唯一と言っていいものか、融通が効かない面倒なものだ。
穂波津先生は性別も年齢も、失礼ながら人間なのかと疑うような雰囲気だった。
だから、より一層ファンになってしまった。作品でなく作家のファン、というのは作家的にはどうなのだろう、人それぞれか?あの人は、何を考えているのかさっぱり、分からない。
「中原さん、男性って度々力仕事を任されるじゃないですか」
「ええ、そうですね」
「でも男性の中にも力が弱い人、居るじゃないですか」
「はい、私もそう思います」
「女性は男性に力で勝てない、と言われていますよね」
「ええ」
「中原さん、本気の殺意を持った人間に性別ってないんですよ!」
ぶが、なんて音を出して吹き出しそうになった珈琲を口の中で抑え込んだ。急いで店員を呼ぶベルの横にあるペーパーを取って口を抑えながらなんとか飲んだ。
穂波津先生は喫茶店でなんという事を大発見みたいな顔をして言うんだ、と驚きのあまりタイミング悪く咳き込んでしまったのだ。
私たちはお茶を飲んでいる。本当にあの取材の後連絡が来て、お気に入りの喫茶店があるので予約していいですか?とURLまで送られてきてしまったのだ。断る理由もないので赴いた。
真っ白な穂波津先生と、どこか古めかしいが質素で、仄かにクラシック音楽的なものが流れている喫茶店。もうこれだけで穂波津首写真集とか出せるのではないだろうかという画になる様だった。
「殺意なんてそんな……物騒な」
「え?でも前ニュースか何かで僕見ましたよ、殺意と凶器を持った人間には殆ど誰も勝てないからとにかく逃げろってコメンテーターの方が言ってて、確かに!って考えたんです」
「まあ……そういうのは"無敵の人"が多いんですよね。何もかも失った、守るべきものもこれからの未来もないと思っている人がなる無敵」
穂波津先生は私が返した言葉に一度笑みを浮かべてから頷いた。魔女か?と思ったがメロンソーダのアイスを食べているのでそうでもなかった。
「だから俺、無敵の人って強いからきっと性別なんて無いんだろうなあと思ったんですよねえ」
「関係無い?」
「そう、女でも男でも、必ず殺す絶対殺す死んでも殺すと覚悟を決めていたらそりゃあ現代日本では最強だと思いました」
「最悪ですけどね」
「中原さん性別嫌いでしょう」
「……言いましたっけ、それ」
「言ってないかな?でも、ブログ読んでたらなんとなく、性別の差みたいなものが煩わしいんだろうなあって、映画や本の感想とか読んでて思いました」
「なんだか恥ずかしいな」
穂波津先生は本当に私のブログを読んでいるんだなと、疑っていた訳ではないが実感してしまった。だから恥ずかしい。いわば憧れの人に日記を読まれているのだ。一般人の中では目立つなんて思っていたが、プロのヒット作を生み出した人気漫画家に読まれているなんてもう過去の遺物だし消そうかなとも頭に渦巻いてきた。恥ずかしい。
「あ、消さないでくださいね。あたし以外にも楽しみに読んでる人たっくさんいるんですよ」
「いやあでも……先生には見透かされるようでなんだか」
「僕は読むのやめたほうがいいですか?」
「い、いえ、うーん、その……」
「読みますけどね」
「ですよね……」
「小説家とか向いてるんじゃないかなあ」
先生の言葉に返事はしなかった。私は自分が今の仕事に就いたこと、ブログが伸びたことはすべて"他人様の作品や他人様自身が居なければ成り立たない"もので、自分で0から何か生み出すことには自信がない。考えたことも、ない。珈琲を飲んで誤魔化していると、穂波津先生は続けた。
「中原さんは最強になりたいですか?」
「……今の文脈だと、何もかも失いたいですか?に聞こえるんですけど」
「そんな質問はしてませんよ、ちなみに私は最強でした」
「は?」
穂波津先生に何も無い訳がないだろうと過ったが、この人からはいつも綺麗な目に見えない空気で満たされているような雰囲気があるのだ。つまり、空っぽな感じもするという訳である。
「でも私は、中原さんと会ったら最強じゃなくなっちゃいました」
「ん?え?」
「中原さんは失いたくないんですよ」
「ええ……」
なんだ、この熱烈な言葉は。
「中原さんの頭の中、すべて俺で支配したい気持ちがあるのに、それでは私の好きな中原さんではありません。でも壊れたあなたを僕の家のベッドの抱き枕にしたっていいと思う」
「いや、あの、なんですかいきなり、え?先生、いつもそうやって人を口説くんですか?」
「うーん、どうかな。ここまで強烈に直接言葉に出して、あなたを失いたくないと告白したのは初めてです」
「は、はあ……?」
「中原さん、動揺させてすみません。これから先私もあなたも変わらないでいいんです。所謂友人だ。でもあなたがどうにかなったら必ず俺のものにする、だけど、だから、どうか長く生きていて」
やっぱりこの人は恐ろしい人なんだと再確認させられてしまった。というか私のどこに、このとてつもなく魅力的な人に強烈な告白なるものをさせる魅力があるというのだ。そして何故見透かされていたのか分からない。今の私を見透かされていた。
私は、そろそろ死んでもいいかと思っていた。
別に鬱だとかなにかが辛いとかでもなんでもなく、私にも特にそんな極めて重要な守るべきものも、目指す未来もない惰性の人生が、面倒だなと思っていた。それだけで、通販サイトのおすすめに出てくる自殺セットの並びみたいなものを見詰めてはカートに入れようか迷っていたのだ。でもただそれだけだった。
喫茶店に来ただけなのに、憧れの先生に熱烈な"告白"をされて、きっと他の人にだってなにか強烈なことをしているんだとも思うのに生きようかな、と呪いをかけられた。
これは呪いだ。求められて嬉しくなってしまった。最悪だ。命を救われたから最高のハッピーなエンディングでも流れるのか?それも含めて最悪だ。
「中原さん、私の事は怖がらないで。もう最強でも何でもない。あなたに嫌われたら落ち込んでしょぼくれてしまいますからね」
「……はは、はい」
「もう嫌い?じゃあこれから私の家に行きますか?」
「行ったら出して貰えなさそうなので、遠慮しておきます」
「俺は放し飼い主義だから大丈夫!」
ペットかよ。穂波津首先生はやっぱり恐ろしい、でもどこか惹かれて離れられない。私はもう可笑しいのだろうか?
「あ、そうだハンドクリーム貰ったんですけど、僕まだ自分のが沢山あるのであげます。未開封ですから」
「え?」
「手カサカサじゃないですか」
確かにそうだった。差し出されたのは見た事はないがどこか高級感があるチューブタイプのハンドクリーム。
「合わなかったらごめんなさい」
「いや、有難うございます。いつも乾燥してるんで」
「さっき、少しは湿りましたか?」
「…………私が?」
「はい」
「……相手が相手であれば、官能小説みたいなセクハラとか言われますよ」
「心の話ですよ」
「一時的にほんのりと」
「あはは!」
穂波津先生はこういう、直接的に言葉を使う割には遠回しな会話が好きなようで、私も嫌いではない。小説や映画の中での掛け合いのようだと少しだけ調子に乗れるからかもしれない。
と言っても、今日は呪いをかけられた。
ハンドクリームを少しだけ塗ってみたら思ったほどぬるぬるしたりしなくて、これは使おう。とため息を吐きながら自宅の椅子に腰掛ける。
私は性別が嫌いだし、自分の性別もどうだっていい。だけど他人の目が気になる。だから、普段自宅でひとりで仕事を出来るのは、最高なんだ。
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