1章

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3  提出締め切りは本日21時。今はまだ昼の13時だから、余裕はある。  そもそも探偵から招集を受けた時、本当は現場に行くつもりはなかった。貴重な休日を潰したくなかったのだ。しかし、警察の招集に応じないのはいかにもまずい。結局私は、しぶしぶ、サイドAホテルへと向かったのだった。ああ、私の貴重な休日が、探偵の推理を聞くためだけに半分終わってしまった。  とにもかくにも、私はやっと自宅に帰ってこられた。データはもう完成している、はやめに送付してしまった方が良いだろう。私はノートパソコンの電源ボタンを押した。青い起動画面が画面に表示される……はずだった。  画面に真っ赤なウィンドウが現れた。 『お使いのパソコンからウイルスが検出されました』  私は固まった。うわあなんだこれ。 マズいマズい、私はエンターキーを何回か叩き、マウスを適当に押すが反応はない。赤い画面が点滅している。 やばい。 データ。データはどうなった。消えてしまったのだろうか。……いや、大丈夫だ。バックアップデータはUSBに保存してある。  私は大きく深呼吸した後、パソコンを強制終了させた。赤い画面がぷつんと切れて、ノートパソコンの画面が真っ暗になる。しばらく置いてから、もう一度スイッチを入れる。  起動画面の直後、やっぱり画面には赤い画面が表示された。 『お使いのパソコンからウイルスが検出されました』  私はため息をつくと、下の方に書いてある小さい文字を途中まで読んだ。 『正常にPCを起動させたい場合は、以下の住所に…………』  身代金型のマルウェアか。嫌すぎる。もっと、しっかりとしたウイルス対策ソフト入れておくべきだった。 その後、私はしばらくウイルスと格闘し始めた。パソコンの電源を抜いたり、セーフモードで起動させたり、マウスを抜いたり、さかさまにしたり、放置したり。  結果は徒労に終わった。30分ほど奮闘したのに、未だに私のパソコンには、忌々しい赤が表示されている。私は放心状態でしばらく椅子に座っていた。  こんなことってある? 大事な時にパソコンがウイルスに感染するとか?  しかし、なんとしてもデータだけは提出しなければならない。私はUSBを手に取ると、椅子から立ち上がって時計を見た。14時である。 パソコンを修理に出している暇はない。ネットカフェへ行こう。  自転車を飛ばしてネットカフェまでやって来た。カウンターに『とりあえず1時間』というと、そのままブースに案内される。 店員が去った後、私はブースの扉を閉めた。ブースに付属している説明書をよく読んで、もう電源が付いているパソコンのマウスに触る。メールサーバーにアクセスするために、私はインターネットのアイコンをダブルクリックしようとする……。  悪夢が再来した。目の前が真っ赤になる。何が起きたのか一瞬わからなかった。パソコンには赤い画面がいっぱいに表示されていた。 『お使いのパソコンからウイルスが検出されました……』  赤画面に、無慈悲な白文字が表示されている。なんなんだこれは、マルウェアが流行りなのだろうか。ネットの世界に、大規模なサーバー攻撃でも起こっているのだろうか? 「すみませーん」  私は通りかかった店員さんを呼んだ。 「はぁい、どうされましたか」  ブースの扉が開いて、エプロンをつけた店員がやってくる。 「すみません、パソコンに変な画面が……」 「はい、操作方法で何かお困りでしょうか?」 「だから、画面が……」  私は振り返った。そして眼を見開いた。  パソコン画面から、あの忌々しい赤い画面は消え去っていた。代わりに、穏やかな、ネットカフェの青いデスクトップが映っている。私は挙動不審になった。 「……すみません、さっきパソコンが動かなくなっていたんですけど」  私は言葉を紡いだ。 「……気のせいだったみたいです」  パソコンもわからない客だと思われてしまっただろうか。私は何でもなかった風を装うことにした。 「何かご不明な点があればお呼びください」  テンプレート文を言うと、店員は扉を閉めて、ブースから去って行った。  私は店員が去るのを見送った後、大きくため息をついてパソコンの画面に向かい合った。そしてそのまま動きを止めた。 また赤い。  また、例のウイルス感染画面が表示されている。なんで。さっきまで普通の青いデスクトップ画面だったじゃないか。こんなにタイミングの悪いことってある?  私はもう一度、真っ赤な画面の白い文字を読んだ。 『お使いのコンピュータからウイルスが検出されました』  赤い画面は目に悪い。私は目をこすった後、下に細かく書かれている文字をもう一度読み直してみた。 『このコンピュータはラプンツェルに感染しています。正常にPCを起動させたい場合は、以下の住所を訪れてください。この手続きを完了させない場合、あなたがコンピュータを使うことはできません』  はて……? 私は首を傾げた。変わったウイルスだな。こういうタイプのウイルスは、たいていの場合は『この口座にお金を振り込むまで』とかいう手法だった気がする。『以下の住所を訪れてください』? こんなタイプの文章は初めて見た。  私は下に書いてある住所を読んだ。『K県K市旭日町53番地……』とってもご近所さんである。この住所に、このウイルスを操る犯人が住んでいるのだろうか。  しかし住所をさらすだなんて、馬鹿なハッカーもいたものだ。この住所を警察に通報してしまえばお終いじゃないか。  だがしかし、時刻は午後15時過ぎ。データ提出の締め切りまで、あと6時間しかない。警察に相談している時間はない。まずは目下の目標を達成しなければ。  私はもう一度店員さんを呼ぶことにした。 「すみませーん」 「はぁい、ただいまぁ」  店員にまたこの客か、思われたかもしれないが、仕方がない。私は店員が来たことを確認して、コンピュータの画面をチラッと見てみたが、やっぱりもうウイルスの画面はなくなって、青いデスクトップ画面に戻っていた。  一体何なのだろう、このウイルス。時限式で画面が切り替わるタイプだろうか。それとも、私の行動を、どこかで見ている……? そんなわけないか。このコンピュータがおかしいだけだ。  やってきた店員さんに、私はこういった。 「すみません、このパソコン調子が悪いみたいで……。他のブースに移りたいんですが、いいですか?」
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