1章

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7  警察が躍起になって探している彼が目の前にいる。  彼は窓をバックに座っていたので、逆光でなんだか神々しく見えた。彼は不敵に笑っている。 「残念なことに、僕は朝倉相馬じゃない」  いや、見間違いなどではない。あの窓から華麗に逃げていった顔形、そのままだ。あの時驚きと恐れに染まっていた顔は、今は余裕しゃくしゃくの不敵な笑みである。 「いや、あなたが朝倉相馬です」 「ふん。じゃあ少し推理してみるといい」  そういって、目の前の人物は指を組んだ。 「推理?」 「僕は朝倉相馬ではない。だとしたら?」 「だとしたら、って……」 「キミの本業は鑑識なんだろう? そのぐらいすぐにわかるだろう?」  いや、待ってくれ。なんで彼は私が鑑識だと知っているんだ。 「……あ」  私はやっとピンときた。同じ顔。それなら答えは一つしかない。 「あなた、朝倉相馬の双子の弟の……」  確か、名前は何と言ったっけ。龍人……リュート…… 「……リュート?」 「ご名答。僕が朝倉相馬の弟、来栖龍人(くるすりゅうと)だ。」  未だに椅子から立ち上がろうとしない目の前の人物は、ちらっと手元の懐中時計を見た。 「ふむ。気づくまで38秒か。意外と鈍いな」  なんだかこの人、ものすごく失礼な人物な気がする。態度というか、表情も話し方も鼻につく。 「あなたが、あの赤いウイルスを作ったの?」 「赤いウイルス? ふむ」  リュートとやらは、時計の鎖を指でもてあそんでいた。 「まさか、ホイホイとここまでやってくるとは思わなかった。子豚並の警戒心しか持っていないようだね」  さっきからこの人、言葉の節々から悪意を感じる 「僕が悪い人間だったら、今頃臓器売り飛ばされて船の中だよ」  ウイルス仕込んでくるのなら、悪い人だと思うのだが。 「あれ、どういう仕組みだったの?私が触るパソコンに、次々と出てくるあの赤い画面……」 「簡単だよ」  リュートは、時計の鎖から目を離そうとしない。私に視線を向けないのだ。 「ハッキング。クラッキングとも言うね」 「は……?」 「まずはキミの家のパソコンをハックした。次にGPS探知して、向かった先のネットカフェをハッキング。君が使用するブースを特定。ウイルス発動」 「そ、それって犯罪じゃ……」 「大丈夫。痕跡はきれいに消しておいた」  私はだんだん頭が痛くなってきた。 「なんでそんなことを……」 「キミをここに呼び寄せるためだよ」 「私に何か用があるの?」 「全く、キミときたらさっきから質問ばかり。少しは頭を使ってみたらどうだ。もしかしてそれは帽子置き場なのか?」 「さっきからあなた失礼じゃない?」  初対面の筈である。どうしてこんなに罵られなければいけないのだろう。 「余りにも哀れだからヒントはあげよう」  リュートは手元のキーボードをいじったようだった。あの机の上にパソコンは見当たらないが、どうやら引き出しの中に隠しキーボードがあるらしい。なにあれかっこいい。  もっとかっこいいことが起こった。私の右手側の絵画が、くるりと一回転したのだ。城を描いた絵画がひっくりかえり、裏側のモニター画面が出てくる。 「うわぁ、かっこいい」  思わず口に出していってしまった。あのモニター、うちにも1台欲しいな。 「呑気だね」  口調とは裏腹に、リュートは得意げである。  私は出てきたモニターを見た。どこかの洋館の一室に、たくさんの人間が映っている。 『皆さんに今日ここに集まってもらったのは』  画面の真ん中で、両手を広げている人物がいる。なんだか見覚えのある光景だ。 『先週に起きた、あの悲惨な事件の真相をお話しするためです』  これはあの探偵さんじゃないか。これは今日の午前中の映像だ。右下に日付も刻印されているから間違いない。探偵さんの傍にいるのは金安刑事だし、その右端にいるのは私だ。なんでこの動画がここに? 「ちょっと監視カメラにアクセスして、動画を貰って来た」  リュートが、動画を倍速再生した。 「ちょっとアクセスって……」 「あの会場、セキュリティがガバガバすぎるんだよ」 「ねえあなたは何者? 普段何している人?」 「僕はハッカーだよ」 「ハッカー―!?」 「プログラムとコンピュータを愛する、善良な人間さ」  ウイルス作ったり、人の個人情報を勝手に見たりするのは、善良な人間がやることなのだろうか。  リュートが動画を一時停止した。朝倉相馬……彼の片割れが、窓から逃げていくシーンである。 「面倒なことになってしまってね」  リュートは言葉通り、心底面倒くさそうな顔をした。 「相馬が逃げたせいで、僕自身の立場も危うくなってくるんだ。もちろん相馬は人殺しじゃないし、僕も人殺しじゃない。双子の入れ替わりトリックなんて、ちゃちな三文小説みたいなこと、思いついてもやるはずがないし、できるはずもない」 「でも監視カメラが……」 「あんなの何かの間違いに決まってるだろ。日付がズレてるか、別のデータ持って来たか、動画自体が改変されているか。いずれにせよ、僕はコンビニに買い物なんて行かないね。買い物なんかネットで十分だ」 「……じゃあ、探偵さんにそういえばよかったのに」 「なんで僕がわざわざ人前に出なきゃいけないんだ」  私は、机の前のリュートを眺めた。私の、彼への人物評はこうである。  毒舌無礼ひきこもりハッカー。現に、彼は一歩も机の前から動いていない。 「ということで、僕の目的は、相馬と僕の冤罪をはらして、枝川剛殺人事件の真犯人を見つけることだよ」  リュートが指を組んだ。 「だから、キミには協力してもらいたいんだ。K県警鑑識課の一番下っ端、柏木ミナトにね」 「……断る」  初対面の相手に、職業と名前が割れているのを知り、私は警戒した。それに下っ端と言われていい気はしない。現実にはそうなのだが、初対面でにやにやされながら言われる筋合いはない。 「私があなたに協力しなくても、K県警と警視庁が、責任をもってこの事件は解決する」 「しないから、こうして仕方なく僕が動いてるんじゃないか」  リュートはあくびをした。 「嫌だよ。あの無能な警察のゴミどもに任せるなんて。脳内はお花畑だし、犬にボールでも与えたほうが、ちょっとはましな働きをするんじゃないかね」 「その無能なゴミどもの下っ端の鑑識が私なんだけど」  K県の鑑識課は少し特殊な位置に位置している。K県は科学捜査研究所が鑑識課に付属しているのだ。  警察の元で働き、犯罪に密接にかかわっているものの、そこで働く白衣を着たサンプルを解析する人間は警官ではない。 だから鑑識に所属しているものの、私は警官ではない。警察手帳も持っていないし、捜査権もない。だけど働き先は警察署の中にある。人に説明するのは面倒なので、いつも私は『鑑識です』とテキトーな答えをしている。 「それに、私が個人的に、あなたに協力するって言ったら、たぶん上司から怒られると思う」  殺人事件の容疑者に、個人的に肩入れするのはタブーだ。リュートはそこで、初めて笑顔を見せた。 「なんと言おうと、キミには、僕に協力してもらう」  有無を言わさない態度だ。だけど私はその笑顔に屈するわけにはいかない。 「断る」 「僕に協力しろ」 「嫌」 「どうしても?」 「どうしても」 「じゃあこれから、キミを脅迫する」  私は、今日ここに来たことをものすごく後悔した。
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