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警察が躍起になって探している彼が目の前にいる。
彼は窓をバックに座っていたので、逆光でなんだか神々しく見えた。彼は不敵に笑っている。
「残念なことに、僕は朝倉相馬じゃない」
いや、見間違いなどではない。あの窓から華麗に逃げていった顔形、そのままだ。あの時驚きと恐れに染まっていた顔は、今は余裕しゃくしゃくの不敵な笑みである。
「いや、あなたが朝倉相馬です」
「ふん。じゃあ少し推理してみるといい」
そういって、目の前の人物は指を組んだ。
「推理?」
「僕は朝倉相馬ではない。だとしたら?」
「だとしたら、って……」
「キミの本業は鑑識なんだろう? そのぐらいすぐにわかるだろう?」
いや、待ってくれ。なんで彼は私が鑑識だと知っているんだ。
「……あ」
私はやっとピンときた。同じ顔。それなら答えは一つしかない。
「あなた、朝倉相馬の双子の弟の……」
確か、名前は何と言ったっけ。龍人……リュート……
「……リュート?」
「ご名答。僕が朝倉相馬の弟、来栖龍人だ。」
未だに椅子から立ち上がろうとしない目の前の人物は、ちらっと手元の懐中時計を見た。
「ふむ。気づくまで38秒か。意外と鈍いな」
なんだかこの人、ものすごく失礼な人物な気がする。態度というか、表情も話し方も鼻につく。
「あなたが、あの赤いウイルスを作ったの?」
「赤いウイルス? ふむ」
リュートとやらは、時計の鎖を指でもてあそんでいた。
「まさか、ホイホイとここまでやってくるとは思わなかった。子豚並の警戒心しか持っていないようだね」
さっきからこの人、言葉の節々から悪意を感じる
「僕が悪い人間だったら、今頃臓器売り飛ばされて船の中だよ」
ウイルス仕込んでくるのなら、悪い人だと思うのだが。
「あれ、どういう仕組みだったの?私が触るパソコンに、次々と出てくるあの赤い画面……」
「簡単だよ」
リュートは、時計の鎖から目を離そうとしない。私に視線を向けないのだ。
「ハッキング。クラッキングとも言うね」
「は……?」
「まずはキミの家のパソコンをハックした。次にGPS探知して、向かった先のネットカフェをハッキング。君が使用するブースを特定。ウイルス発動」
「そ、それって犯罪じゃ……」
「大丈夫。痕跡はきれいに消しておいた」
私はだんだん頭が痛くなってきた。
「なんでそんなことを……」
「キミをここに呼び寄せるためだよ」
「私に何か用があるの?」
「全く、キミときたらさっきから質問ばかり。少しは頭を使ってみたらどうだ。もしかしてそれは帽子置き場なのか?」
「さっきからあなた失礼じゃない?」
初対面の筈である。どうしてこんなに罵られなければいけないのだろう。
「余りにも哀れだからヒントはあげよう」
リュートは手元のキーボードをいじったようだった。あの机の上にパソコンは見当たらないが、どうやら引き出しの中に隠しキーボードがあるらしい。なにあれかっこいい。
もっとかっこいいことが起こった。私の右手側の絵画が、くるりと一回転したのだ。城を描いた絵画がひっくりかえり、裏側のモニター画面が出てくる。
「うわぁ、かっこいい」
思わず口に出していってしまった。あのモニター、うちにも1台欲しいな。
「呑気だね」
口調とは裏腹に、リュートは得意げである。
私は出てきたモニターを見た。どこかの洋館の一室に、たくさんの人間が映っている。
『皆さんに今日ここに集まってもらったのは』
画面の真ん中で、両手を広げている人物がいる。なんだか見覚えのある光景だ。
『先週に起きた、あの悲惨な事件の真相をお話しするためです』
これはあの探偵さんじゃないか。これは今日の午前中の映像だ。右下に日付も刻印されているから間違いない。探偵さんの傍にいるのは金安刑事だし、その右端にいるのは私だ。なんでこの動画がここに?
「ちょっと監視カメラにアクセスして、動画を貰って来た」
リュートが、動画を倍速再生した。
「ちょっとアクセスって……」
「あの会場、セキュリティがガバガバすぎるんだよ」
「ねえあなたは何者? 普段何している人?」
「僕はハッカーだよ」
「ハッカー―!?」
「プログラムとコンピュータを愛する、善良な人間さ」
ウイルス作ったり、人の個人情報を勝手に見たりするのは、善良な人間がやることなのだろうか。
リュートが動画を一時停止した。朝倉相馬……彼の片割れが、窓から逃げていくシーンである。
「面倒なことになってしまってね」
リュートは言葉通り、心底面倒くさそうな顔をした。
「相馬が逃げたせいで、僕自身の立場も危うくなってくるんだ。もちろん相馬は人殺しじゃないし、僕も人殺しじゃない。双子の入れ替わりトリックなんて、ちゃちな三文小説みたいなこと、思いついてもやるはずがないし、できるはずもない」
「でも監視カメラが……」
「あんなの何かの間違いに決まってるだろ。日付がズレてるか、別のデータ持って来たか、動画自体が改変されているか。いずれにせよ、僕はコンビニに買い物なんて行かないね。買い物なんかネットで十分だ」
「……じゃあ、探偵さんにそういえばよかったのに」
「なんで僕がわざわざ人前に出なきゃいけないんだ」
私は、机の前のリュートを眺めた。私の、彼への人物評はこうである。
毒舌無礼ひきこもりハッカー。現に、彼は一歩も机の前から動いていない。
「ということで、僕の目的は、相馬と僕の冤罪をはらして、枝川剛殺人事件の真犯人を見つけることだよ」
リュートが指を組んだ。
「だから、キミには協力してもらいたいんだ。K県警鑑識課の一番下っ端、柏木ミナトにね」
「……断る」
初対面の相手に、職業と名前が割れているのを知り、私は警戒した。それに下っ端と言われていい気はしない。現実にはそうなのだが、初対面でにやにやされながら言われる筋合いはない。
「私があなたに協力しなくても、K県警と警視庁が、責任をもってこの事件は解決する」
「しないから、こうして仕方なく僕が動いてるんじゃないか」
リュートはあくびをした。
「嫌だよ。あの無能な警察のゴミどもに任せるなんて。脳内はお花畑だし、犬にボールでも与えたほうが、ちょっとはましな働きをするんじゃないかね」
「その無能なゴミどもの下っ端の鑑識が私なんだけど」
K県の鑑識課は少し特殊な位置に位置している。K県は科学捜査研究所が鑑識課に付属しているのだ。
警察の元で働き、犯罪に密接にかかわっているものの、そこで働く白衣を着たサンプルを解析する人間は警官ではない。
だから鑑識に所属しているものの、私は警官ではない。警察手帳も持っていないし、捜査権もない。だけど働き先は警察署の中にある。人に説明するのは面倒なので、いつも私は『鑑識です』とテキトーな答えをしている。
「それに、私が個人的に、あなたに協力するって言ったら、たぶん上司から怒られると思う」
殺人事件の容疑者に、個人的に肩入れするのはタブーだ。リュートはそこで、初めて笑顔を見せた。
「なんと言おうと、キミには、僕に協力してもらう」
有無を言わさない態度だ。だけど私はその笑顔に屈するわけにはいかない。
「断る」
「僕に協力しろ」
「嫌」
「どうしても?」
「どうしても」
「じゃあこれから、キミを脅迫する」
私は、今日ここに来たことをものすごく後悔した。
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