全然好きじゃ無かったのに

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「あなたいつだってそうだったわ。」 窓ガラスがガタガタと震えている、さっきから降り始めた雨は嵐となって部屋の外を覆っているらしい。 どうりで部屋が暗いはず、足元を見下ろすと窓から差し込む薄明りで机の上に流れる赤茶色がてらてらと光る。 せっかく淹れておいた紅茶が机の上にこぼれてしまっているのに、やっと気づいた。 咄嗟に手元に何かをつかんで、机の上一面に広がる赤茶を拭い取ろうとするが、まるで湖のように広がるそれは小さなローテーブルの上だけでは足らず、向こう側へと流れ落ちているほどだ。 浅く息をつく、じっとりかいた汗が気持ち悪い。 落ち着こうと目線を下ろすと、自分が何をつかんでいたのか見えた。 白かったはずのYシャツだ。 先月の誕生日に私が贈った。 ブランドものだったのに、もうその清い白さは無惨に汚れて見る影もない。私の手で台無しにしてしまった。 そうよ、あなたいつだって脱いだものをソファに脱ぎ捨てて、何度言っても治らなかった。 力が抜けて、ずるりとへたり込む。 足先に暖かな液体が触れた。 動く気にも、拭う気にもなれず、ただぼんやりと天井を眺める。 天井だけは、いつもと同じクリーム色だ。 雨の陰気な空気を含んで、灰色がかっているように見えた。 雨粒の窓を叩く音が聞こえる。 チャイムの音が聞こえた気がする。 もそもそと上半身を起こす。 起こしただけで何をする気も起きなくなってしまった。 目の前の光景は何も変わっていない。 ぶちまけられて机上の赤茶の表層が固まり始めている。 足先に触れていたものもだんだんと酸化しているのだろうか、パキパキと音を立てているような、そんな気がした。 サラリと顎先を撫でる、自分の左手の指先がまるで氷のように冷たい。 そっと右手を見てみる。 まるで自分の一部になったかのように、頑なに握られた包丁があった。 そうだ、紅茶に入れようとレモンを切っていた。 机の上の1つのカップを見る。 もう一つはどこへ行ったのだろうと視線を巡らせれば、欠片が散らばっているのが見える。 どんなふうに落としてしまったんだろう、まったく思い出せない。 雨音がする。 騒音が外から聞こえる。 何の話をしていたんだろうか。 そうだ旅行の話をしていたんだ。 何の気負いもなく旅に行こうって笑う顔が無性に嫌だった。 3年目の記念に、旅行へ、行こうと。 3年目の記念って、あなたもっと前から違う人とお祝いする仲だったんじゃない。 「遊びのくせに。」 ゴトンとレモンの端を切り落とした瞬間だった。 「面倒くさくなったな、お前。」 プツンと堰を切ったように、今までのすべてを否定されたのは。 柔らかなクリームの天井の下は、赤茶の海が広がっているのだろう。 包丁はまだ私の手と一緒くたになっている。 顎先を撫でていた左手をかいでみれば、薄らとレモンの香りがした。 彼の趣味だった、レモンティーは。 私は全然、レモンなんて好きじゃなかったのに。 ドアが開け放たれる音がする。 雨音が一層部屋の中に響いた。
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