夕食

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 私は夕飯という言葉に納得ができていない。我が家の夕飯の時間はおおよそ19時、日は大抵の場合沈んでいるからだ。  では、この1日の中の三回目の食事のことを何と呼ぶべきか。真っ先に思いつくのは「夜食」であるが、それでは意味合いが少々どころではなく変わってくる。夜食は一般的にはだらしのない人間が就寝前、あるいは眠れない夜、罪悪感と共に貪り食うものだと記憶している。すなわち、夜食という言葉はもう使えないのである。  これは困ったぞ。私は頭をかいた。ならばいっそ、締食(しめしょく)などはいかがだろうか。一日の締めとしていただく食事。どうであろうか、なかなかしっくりきている。だが、これを採用すると困ったことに一日の食事が「朝食、昼食、締食」になってしまう。なんとも気持ちが悪い。この案には時間という概念への配慮が欠けている。さらには夜通し起きて朝食をとったあとに眠るという働き屋さんにはこの言葉はつかえない。なぜなら彼らにとっては朝食こそが締食なのである。これはよくない。  余談であるが私はホテルや旅館の朝食バイキングが凄まじく好きなのだ。朝からいろいろな料理を食べられるし、そもそもバイキングという形式自体めちゃくちゃテンションが上がる。いや、もとより私は朝食というものを愛しているのかもしれない。一日の始まりの納豆ご飯、トースト、シリアルなど、私の栄養源たるラインナップが目白押しである。すべての食は朝食に通ずる。そういっても過言ではなかろうか。  本題に戻ろう。夕食のかわりに「風呂前後食」なんてのはどうだろう。日本人は太古より、ごはんにする?お風呂にする?それとも私?などというフレーズを常用している。それすなわち、風呂と夕食は密接な関係にあるという極めて論理的な証拠である。すなわち夕食の前後には入浴が付随し、逆もまたしかり。夕食は風呂前後食と呼ぶ資格を十二分に有している。おやおや、しかし考えてもみると、風呂の時間は様々である。  またもや余談であるが、私は昼食にこだわりがある。いや、こだわりがないというのが適当か。朝は消化のよいもの、夜はカロリー控えめ、健康志向だとどうにもこういう食事になる。しかし昼食は別だ。エネルギーの消費も見込め、朝と比べると体調もすこぶるよくなっている。好きなものを食べていい唯一のゴールデンタイム、それが昼食の正体である。ちなみに私はたいてい昼はスパゲッティを腹いっぱい食う。ミートソースだろがカルボナーラだろうが、アグレッシブな食事こそ昼食の醍醐味といえよう。  余談ついでに旧夕食、もとい風呂前後食(仮)についても触れておくか。やはり理想の夕食は寿司もしくは焼肉、あるいはステーキに限る。旧夕食を取る時間、もうこの後は仕事がないという人がほとんどだろう。つまり一日の労働をねぎらいつつ、終業後のハッピータイムへのスタート合図が夕食というわけだ。輝かしい食後への切符は豪華であればあるほどいい。寿司や焼き肉などといった誕生日にしか食えないものは流石にリッチマンではないと毎日というのは無理だ。だからこその理想である。日本人はつくづく働きすぎだ。だからこそ疲れは癒さなくてはならない。それが食事の意味だ。   再び本題に戻るとしよう。夕食の新しい呼称だが、「よるしょく」というのはどうであろう。夜食とは発音で区別して、朝と昼へのリスペクトも忘れない。なんだか語感もいいではないか。よし、これなら過不足なく夕食の代案として相応しい。うん、これで行こう。これでもう外が真っ暗な状況で夕食などといった矛盾を含む表現をしなくてよくなるのだ。この偉大な文学的発明を称える者は誰一人いないだろうが、私はそれでも構わない。正しいものを正しいという姿勢こそ私のポリシーなのだ。他人に後ろ指さされようが、私は私の正義を貫くぞ。こういった心持ちなのである。  「よるしょく、よるしょく~」 とある夏の日の19時、浪人中の私は自室で夕食のカップヌードルをすすりながら独り言をつぶやいた。窓から見える夕焼けがきれいだった。                              おしまい
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!