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「は? 童貞?」
走馬灯の淡い光に照らされた静かな部屋に、青年のその声はいやに大きく響いた。
「…」
事実だが、出会って間もない他人に改めて言われるのは、流石にくるものがあるな、と清真は苦々しく顔を歪めた。しかし、青年が大袈裟なほど驚くのも無理からぬ話なのだ。ここはいわゆる、陰間茶屋。若い男が己が春を売る店だ。
その店で、清真は今まさに男娼を生業とするこの青年を押し倒している。彼からしてみれば、このような状況下で、突然客に「経験がない」などと打ち明けられたのだ。驚きたくもなるだろう。
だが、事実初めてなのだから隠していても仕方がない。
「そうだ。だから、その、作法がわからんのだ…。君はその点、なんというか、これを生業としているのだから、…手引きを…頼めるか?」
恥を忍んでなんとか言葉にした清真だが、居心地の悪いことこの上ない。青年が沈黙を続けるのも、なにやら恐ろしく思えて、いっそここに来たことさえ後悔した。さぞ呆れているのだろう。いい歳の男が、男はともかく女すら抱いたことがないのだ。これからそれを相手せねばならないこの青年からしてみれば、笑い話にもならないかも知れない。気まずい時間は得てして長く感じるもので、清真は押し倒した体勢のまま、石にでもなったかのような心地だった。
すると突然、清真の下でおとなしく横たわっていた青年の指先が清真の頬に触れ、鼻筋をなぞり、唇をやわりと押した。
走馬灯が回り、甘ったるく重い香が充満する部屋がそう思わせるのか、どこか官能的なその指の動きに、乾いた喉が情けなくもひくりと鳴った。
「童貞? 旦那のこの顔で、一体どうやって童貞を守り抜いたってんだい?」
欲情を煽るような指の動きから一変。青年は茶化すようにころころと幼く笑う。その笑い声に、清真の張り詰めていた緊張の糸が切れた。いつから息をするのを忘れていたのだろうか、肺の中の空気を全て吐き出すような深いため息が出た。
「…そう笑ってくれるな。この顔のせいで女には散々な目に遭わされてきたんだ…」
そう言って項垂れた清真の脳裏に、過去にあった女難の数々が忌々しくも鮮やかに蘇る。整った容姿に人目を引く高身長。よく通る声は離れたところからでも、その類稀なる存在感を周りに示してしまう。他人は、清真のそれを生まれ持った宝だというが、所詮人間というのは無い物ねだりの生き物なのだろう。顔も知らない、名前も知らない女から好意を抱かれる不気味さは、味わってみなけれなわからない。
好意を持たれるだけならば、まだ良かったのだ。自らの預かり知らぬところで、婚約者を名乗る女が数人現れ、その女たちが取っ組み合いの、それは見るに耐えない争いをしているのを見せつけられた時は、さしもの清真も笑うしかなかった。女とはなんと醜く恐ろしいのだろうと、清真は身をもって知ったのだ。
「俺に女を抱けるはずがない…考えただけでおぞましいよ」
気持ちがしおしおと萎んでいく。また小さくため息を溢した清真をただ見上げていた青年は、不意に清真の首に手を回し、すべらかな脚を清真の腿に擦り付けた。
「そうかい、美丈夫には美丈夫の悩みがあるもんだねぇ。理解は出来んが慰めなら出来る。童貞だなんだと気にするこたぁないよ」
するすると戯れるように服の上から胸板を撫でる指先に、清真の背筋は粟立った。三日月の形に歪む青年の目が官能を誘う。
「俺ぁ、あんたと同じ身体だ。あんたが善いと思うことは、俺だって善い。上手く抱きたいってんなら、そうだな、俺をうんと甘やかしてみてくれよ」
あとは、追々教えてやらぁ。
瞠目する清真を、紅がひかれた薄い唇が笑った。
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