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デミアン〝世界婦人〟
ふりかえった横顔はマネキンから人間へと見事に生き返り、そればかりか得も云われぬ魅力的な微笑みさえ浮かべている。陳腐な表現かも知れないが俺は年甲斐もなく一瞬で魅了された。単に美女の微笑みだからと云うのではない、そこには人を癒すような、自然の懐に引き込むような、一種安寧の境地に誘うがごとき安らぎの相が浮かんでいたからだ。例えればモナリザ?…いやヘルマン・ヘッセの小説「デミアン」内に描かれた〝世界婦人〟と云うべきだろうか、とにかく少なくも俺の人生にあっては今まで悉皆お目にかかったことのない微笑みだった。稲妻が心に走り俺の身をその場に釘付けにした。一瞥を送ったあと女は店内に入ろうとしたが俺は矢も楯もたまらず女に声をかけていた。「あ、あの…」女がまたふり向く。神秘的な微笑みを保ったままで。「あの、お、お店をこれから開けるんですか?その…もう中に入れるんですか?」などと馬鹿なことを聞く始末。営業準備というものが当然あるだろうに、これじゃあ女に欲情してまといつく童貞のガキと同じじゃないか。さすがに赤面して何か言いわけを述べようとする俺に、しかし女は黙ってただ肯き右手でもって中へ入るようエスコートする仕草を見せたあとで、ドアを開け放したまま店の奥へと歩いて行った。俺は点けたばかりのわかばを無理矢理携帯灰皿に揉み消すとまるで夢を見るような面持ちで店内へと入る。
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