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三年後-1
三年後。
国は混乱の極みにあった。
革命である。
民を虐げ搾取し続ける貴族と、政を放棄して享楽の限りを尽くす王家に対する不満は日に日に高まっていき、我慢の限界を超えた者たちがついに蜂起したのだ。
僻地の小さな農村で燃え上がった火は、やがて王国全土を燃やし尽くす炎となった。
王は碌な抵抗もできないまま捕らえられ、そしてその日のうちに処刑されたのである。
革命軍は王族の根絶やしを目論んでいるらしく、一昨日は王妃と王太子ならびに王太子妃が、昨日は第二王子、今日は第三王子とがそれぞれ斬首された。もちろん、それぞれの妃も同様である。
そしていよいよ明日は、第四王子であるカージナルの番だ。
彼は最後の夜を、自室で過ごすことを許された。
王族としてはわりとマシな部類であることと、抵抗する素振りを見せなかったためだ。
ほかの王族たちが全員地下牢に幽閉されたことを考えれば、格別の待遇であるといえよう。
部屋の外は不気味なほどに静まり返っている。時折り遠くから荒々しい怒号や叫び声が聞こえてくるが、おそらく城外のものだろう。
混沌が国中を包み込むなか、カージナルは暖炉の前の揺り椅子に浅く腰掛けていた。手には書簡の束。少し黄ばんだ封筒から、随分前に届けられたものだということがわかる。
一通一通ゆっくりと読み返しては、火にくべる。彼はそれをひたすらに繰り返していた。
時折り笑みを浮かべながらも、その手は迷うことなく暖炉に向けられる。
そしてまた一通、懐かしい思い出が炎に包まれた。
手にした束は、残り僅か。
もしこの場に彼以外の人物がいたならば、手紙の束が少なくなるたび彼の命も消えていくように感じたことだろう。
しかしこの部屋にはカージナルのほかに人はいない。だから彼は、気兼ねすることなく燃やすことができたのだ。手紙を……そして自分の心を。
やがて手の中に残された手紙は一通となった。
彼は恭しく便箋を広げると、ことさら時間をかけてその内容を読み耽った。何度もなんども繰り返し読んで、最後に一つ、深い息をはいた。
「ずっと君を愛していたよ……」
そう呟いて、手紙を火に差し入れかけたそのとき。
「殿下にとって愛は過去のものでしたの?」
静かな部屋に突如、女の声が響いた。
突然のことに肩をビクリと跳ねらせたカージナルが、背後を振り返ると……。
「まさか……」
女が一人、そこにいた。
コツリと靴音を立てて婉然と笑みを浮かべる姿は。
「プリステラ……なぜ、君がここに?」
三年前に婚約破棄をして以来、一度も顔を合わせることのなかったプリステラがそこにいた。
「君たちはとうに、他国へ渡ったはずなのに……」
「えぇ。たしかに我が一族はこの国を捨て、三年前から隣国に居を構えておりますわ」
あの日……カージナルから婚約破棄を告げられた彼女は、父と相談をして国を捨てることに決めた。
此度の件で、プリステラは疵物となり、父は失脚することになるだろう。何しろ王は、国のため、民のため、時に歯に衣着せぬに物言いで苦言を呈する侯爵を、酷く疎んでいたからだ。
それでも侯爵がこれまで国政に関わっていられたのは、彼が有能だったからにほかならない。
腹の中では侯爵を排除したいとは思っている王も、彼を失脚させれば国は崩壊の危機に立たされると理解していた。
すなわちそれは、自らの地位を脅かすことに繋がるというもの。そんなことは、あってはならない。
王の玉座に対する執着が、彼を現在の地位に留めていたのである。
しかし婚約は破棄された。
恐らく、カージナルが裏で手を回したのだろう。
彼は数いる王子たちの中で、一番優秀だ。学生の身でありながら、これまでにも治水事業を指揮したり、これまで折り合いの悪かった国との折衝に奮闘するなどし、いくつかの案件を成功裏に収めた実績もある。
侯爵の代わりを私が務めますから……そんなことを囁いて、王を納得させたのかもしれない。
ならば次に考えられること。
それは、侯爵家の取り潰しだ。
何しろ侯爵は、王の命に素直に応じる男ではない。朝議でも奸臣らとたびたび衝突を繰り返している。
王にとって、彼は目の上のたんこぶも同然だ。
関係は年を追うごとに悪化。近ごろの王は、侯爵をなんとか排除できないものか、と考えるのが常であった。
侯爵の代わりがいる今、プリステラの婚約が破棄に至ったことを理由に、侯爵を断罪しようとするだろう。その結果は、よくて身分剥奪のうえ国外追放、最悪は死罪……。
王の気性を考えると、死を賜る可能性は限りなく高かった。
ならば殺される前に逃げだそう――そう結論を出した侯爵は、すぐさま手にある現金や換金性の高い物品を持ち出せるよう指示。翌日登城して王に謁見を申し出ると、その場で自ら身分や領地の返上を願い出て、国外へ渡ることを報告したのだ。
まさかの申し出に虚を突かれた国王は、それを受諾。
その後すぐに侯爵一家は全財産を持って、この国を去ったのだ。
「隣国へ渡った君が、なぜ城に? それもよりにもよって、こんなときに……。身に危険が及ぶ前に、今すぐここを去るんだ」
「もちろん、そのつもりですわ。ただし、殿下も一緒に」
「何を言っているんだ、君は」
カージナルは今や罪人である。彼が特別何かをしたわけではないが、その体に流れる血がすでに罪であると革命軍が断じたのだ。
処刑を明日に控え、逃げられるわけがない。
しかしプリステラは、そんなことお構いなしと言わんばかりに、カージナルを急かすのだ。
「早くいたしませんと、時間がなくなりますわよ」
「私は君と一緒に行くことはできない」
「なぜですの? 王族だからという馬鹿げた理由でしたら、聞き入れることはできませんわ」
「この国は今、王族の血を欲している。革命の成功は、王族を根絶やしにすることにかかっているんだ。私が逃げれば、民は納得すまい。革命を成功させるためにも、私はここを動くわけにはいかない」
「それで明日、大人しく処刑されるつもりですの?」
カージナルは無言で、しかし力強く首肯した。
そんな彼に対し、プリステラはさも呆れたような表情でため息を吐く。
「この国をよくするために、ご自分が血を流す必要があるだなんて。思い上がりにもほどがありましてよ」
「なっ……!」
「王族の血が流れようが流れまいが、結果は同じ。成功するも失敗するも、全ては革命軍の腕次第ということが、なぜおわかりになりませんの?」
「しかし、王族を滅ぼしたという事実は、より革命は成功させるだろう」
「たしかにそれも一理ありますわね。現に王族を次々と粛清した革命軍は今、大いに活気づいておりますもの」
「そこまで知っているのなら、私が処刑されることだって理解して当然だ」
「けれどその革命軍が、殿下の血を拒絶していたら?」
「……そんなこと、あるはずが」
「わたくしがこのような状況で、しかも無傷でこの場所にいられるのはなぜか……おわかりになりまして?」
城内の秩序は比較的保たれているものの、城を一歩出れば暴徒と化した民衆が群れをなし、民を虐げてきた貴族たちを虐殺しているという。
そんな中、貴族令嬢であるプリステラが無傷でここに来られるのは、到底あり得ない話なのだ。
「わたくしをここに連れてきたのは、革命軍のリーダーです」
「なっ……!?」
まさかの答えに、カージナルが初めて顔色を変えた。
「殿下はご存じなかったかもしれませんが、わたくし、かの者とは二年前から面識がありましたの」
「二年前……」
「わたくしはここを去った人間ですが、この国の情報は常に収集しておりました」
王や奸臣共には疎まれていたプリステラの父だったが、実直で正義感に溢れ、自己の利益より他者を思いやる人柄から多くの貴族たちに慕われていた。そしてそんな父によく似たプリステラもまた、大勢の貴族子女らの憧れの的だった。
だから隣国に居を移した後もなお、かつて親しくしていた貴族や、仕えていた使用人らの中でも特に信頼できる相手と文を交わし、国内の状況を把握することが可能だったのである。
特にプリステラは、カージナルの周辺についての調査も怠らなかった。
「卒業パーティーでの出来事は、わたくしにとってもまさに寝耳に水。しかも明確な理由すら教えていただけませんでしたもの。何か裏があると思って、調査するに決まっています」
「裏があるとわかっていながら、それでも君は婚約破棄を受け入れたのか」
「えぇ、殿下のなさることですもの。わたくしを絶対に王子妃にしたくない、何かがあるのだと推察いたしまして」
「私が心変わりしたとは思わなかった?」
「全く! だって殿下の目はいつだってわたくしを想っていると、雄弁に語っておりましたから」
ほほほと笑うプリステラ。カージナルの頬が羞恥で赤く染まる。
「それに、その手の中にある文は、わたくしが殿下に宛てた物ですわよね」
そう指摘されて、カージナルは思わず文をキュッと握りしめた。
プリステラが言うように、それはかつて愛しい婚約者から送られた恋文の一つだったのだ。
彼女を手放した後も、ずっと捨てられなかった手紙。カージナルにとってはプリステラと自分を繋いでいた、たった一つの恋の形見。
しかし自分が処刑された後、それが革命軍に見つかればプリステラにどんな災厄が襲いかかるか……そう考えたカージナルは、自らの命が尽きる前に全て燃やし尽くそうとしていたのである。
「十何年も前の文を、こうして後生大事に取っていただけているほど思っていただけるなんて、女としてこれ以上の幸福はございませんわ。けれど殿下は婚約を破棄されました。あのときはあなたの並々ならぬ決意を感じたのでひとまず承諾致しましたが、その理由がなんであるか、ずっと考えておりましたの」
だからプリステラは、カージナルの周辺を綿密に調査したのだ。
そしてようやくたどり着いたのが、革命軍リーダーとの繋がりであった。
「よくわかったね。上手く隠していたつもりだったんだけれどな」
「全く骨の折れることでしたわ。直接やり取りはせず、間に幾人もの人間を挟んでいるのですもの。おかげで調べ上げるまでに一年も時間がかかってしまいました」
「あぁ。だからリーダーだって、私の存在は知らないはずだったのに」
「今は全て知っておりますわよ。だってわたくしが暴露いたしましたから」
「なっ!?」
「革命軍に資金や装備を提供しているのが殿下であると、革命軍の中枢にいる者は全員知っているはずですわ」
「ま、さか……」
「だからあのとき申し上げましたでしょう? 殿下は詰めが甘い方なのですから、いつか足下を救われる、と」
そこまで言うとプリステラは、肩をすくめながら悪戯っ子のような笑みを浮かべたのだった。
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