他人の評価と生きづらさ。

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他人の評価と生きづらさ。

他人の目を気にしていると途端に生きづらさを感じてしまうのが現代社会の特徴である。他人から認められることや必要とされることばかり望んでいれば、それが叶わなかったときに不幸を感じてしまい自己肯定感が低くなってしまう。現代人の生きづらさの正体は自己肯定感の低さにあるのだ。 しかし、なぜ人は(特に現代人)は他人からそこまで必要とされたいと願うのだろうか。以前に何度も言っているが、人生は基本的に自己満足的なものであって、自分が満足できる生き方をしていればそれで十分である。ということは、先述したような人たちは「自分が満足する状態=他人から必要とされている状態」と解釈することができる。 だが、こうした人たちの大半は望んでいることが叶わないばかりか、自分で自分を満足させることが一向にできない。どこまで行っても他人の存在が不可欠であり、幸せや喜びはすべて他人次第となり、人生の充実度や幸福度もすべて他人によって左右されるようになってしまう。このような状態が生きづらいかどうかは考えなくてもわかるだろう。 他人の評価を軸にして人生の喜びや楽しみを定義してしまうと、いつか必ず人は不幸になる。必ずだ。なぜなら他人はあなたのために存在しているわけではないし、他人はあなたの思い通りに行動する存在ではないからだ。自分がどれだけ他人に期待をかけていたとしても、しょせん他人は他人でしかなく、他人も自分のことで精一杯なのであなたのことなどそこまで気に留めていない。 他人から「裏切られた」と感じる原因は、自分が過剰に他人に期待しているからこそ成り立つ概念なのである。他人は他人だときちんと納得しているのであれば「裏切り」という概念は生まれないし、「裏切られた」と感じることもなくなる。 しかし、だからといって他人のことを一切気にかけずに自己満足的な人生を追求していればいいわけでもない。人生はとても複雑だ。どっちか片方の生き方を追及すれば、もう片方の生き方を諦めなければならないわけではない。世間ではなにか一つのことに集中するのが大事だといわれることが多いが、あっちこっちに縦横無尽に動き回る生き方のほうが人生においてはメリットが多い。 おそらく他人の評価を気にする生き方が人気なのは、他人からの人気を得ることができればそこにはお金が集まるからだろう。お金の流動性は人がいるところに集まり、信頼をお金に換金することができる。これが最近「信用経済」などともてはやされている所以である。現代はSNSを駆使して人気と信頼を得ることができれば好きにお金を稼ぐことができるのだ。 だからこそ人は他人の目を気にし、他人の評価を考え、他人から必要されたいと願うのだろう。お金は多くの人にとって行動のインセンティブとしてはもっとも強いものであり、お金が発生しないのであればできるだけ行動したくないと思うのが人間である。 でも、他人からの評価を獲得できたとしても、それは一時的なものでありずっと長続きすることは一部の人たちを除いてほとんどいない。次から次へと湧いて出てくるインフルエンサーやYouTuberを見ていればわかるだろう。彼らや彼女らの中で十年後にも活躍しているのはほんの数人で、インフルエンサーやYouTuberといった言葉自体廃れている可能性のほうが高いはずだ。 他人に依存した生き方はとても脆くて壊れやすい。自己満足的な生き方は頑強で壊れにくい。しかし、現実では他人への依存と自己満足をうまく調和させて生きなければならない。他人の評価がなければ生活費を稼ぐことができず、自己満足がなければ生きづらさを感じてしまう。何度もいうが人生はとても複雑なのである。 依存は弱さをもたらし、自我の強さは孤立を余儀なくする。社会の中で強く生きるためには、他人と社会と自分を調和させることが大事なのだ。他人に依存せず、お金に執着せず、自分軸をしっかり持つことを意識して生きていきたいと思う。
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