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生まれの奇跡を手にしておいてクヨクヨするな。
一度決めたことで迷ったり、考えても仕方ないことで悩んだり、状況が変わるわけではないのに悲しんだり、自分次第でしか解決できないことに苦しんだり、人は毎日なにかしらの障害にぶち当り、まるでケーキを食べた後の血糖値のように気分が激しく上下する。
お昼すぎまで気分よく楽しく一日を過ごしていたとしても、夕方に知り合いからお金を貸してくれと言われたり、カフェの店員から失礼な態度を受けたり、友人からしつこい営業電話がかかってきたりすれば、今までの楽しい気分が台無しになり、一気に冷めた気分に転落してしまう。
一般的に、気分と喜怒哀楽の上下が激しい人は情緒不安定だと言われる。いつも精神が安定していなく、常にイライラしていたり、怒ってるかと思えば突然笑いだしたり、泣いてると思いきや缶チューハイを片手に幸せそうにあたりめを摘んだりしはじめる。こうした人は、きっと情緒不安定な自分を楽しんでいるのであり、メンタルが不安定な自分のことが実は好きなのだ。
世の中には中二病という人種がいる。「く…これっ…までっ……か…バタ」などといったセリフを恥ずかしげもなく本気で呟く連中だ。奴らは自分の現実と向き合うことをせず、アニメやゲームのような虚構の世界に逃げ込むことで、なんとか現代を生き抜いている。さきほど述べた情緒不安定な人たちは中二病であることが多く、中二病な人は大体情緒不安定だ。
感情に振り回されるのが愚かで虚しいものであるのは、これまで何度も述べてきたとおりである。感情は人間にとって必要不可欠ではあるが、理性という手網を握っていなければ、たちまち暴走して人生や人間関係を破壊してしまいかねない。感情の暴走率は中二病かつ情緒不安定な人ほど高い。情緒不安定だと理性はどこかへすっ飛んでしまい、手元に残るのは感情、感情、感情だ。これでは暴走してしまうのも仕方ない。
生きていて何もない一日は存在しない。自分が何もないと決めつけない限りは。一日は刺激に満ちている。自分が刺激的な出来事を感じる感性を持っていれば。幸せはそこら中に溢れている。自分がそれに気づきさえすれば。誰でも理性を発揮して冷静に行動することができる。感情の怖さを身に染みて理解していれば。
物事に意味を与えるのは自分自身だ。人生を良くするか悪くするかも自分次第。ポジティブになるかネガティブになるかも自分次第。老後にのんびり隠居生活ができるかどうかも自分次第。でも年金が貰えるかどうかは総理次第。
自分がしてほしいと思うことを他人にしなさい。というのは宗教の黄金律。自分がしてほしくないことは他人にするな。というのが白銀律。橋を作ったなら自分の家族と一緒に橋の下で生活し、手抜き工事が発覚したときにはリスクを負え。というのがパリのルーブル美術館に保管されているハンムラビ法典。
自分が最後に行き着く先を知っている人間は強い。決して感情に身を滅ぼされることはない。タワーマンションばかり高くなり、人の気が短くなっているのは現代性の病だ。スマホの利便性から得られたのは人間関係の断絶であり、コミュニケーションのフリー化ではない。
自分にとって大切な人だけは裏切っちゃならない。愛する人には愛してると伝えよう。人は生きているだけで奇跡なのだ。誕生日プレゼントに別荘を貰っておいて、お風呂のカビを気にするような人間にはなっちゃいけない。今日も明日も忘れずに心に刻んでおこう。今、自分がここに存在しているのが奇跡なのだ。
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