憂鬱な現代人への手紙。

1/1
前へ
/24ページ
次へ

憂鬱な現代人への手紙。

一体いつからだろうか。やりたいことを素直にやりたいと言えなくなり、行きたいところにパパッと行ったり、好きなことを堂々と好きと言えなくなったり、愛している人に愛してると伝えることができなくなったのは。 人と関わる度に傷つけてしまうことを恐れ、それと同時に傷つけられることを恐れ、いつしか自分の殻に閉じこもって生きるようになった。優しくされる度に偽善を疑うようになり、優しくする自分のことも偽善者だと感じるようになった。生きる意味を求めては他人に依存し、生まれてきた意味を考えて人生の儚さを知る。 なんでもできる時代に生まれながら、なにもできない呪縛に縛られ、死を恐れるよりも生を恐れるようになった。無常にも過ぎ去る時間の流れとは逆に、歳をとるにつれて子どものような自分に嫌悪感を感じる。大人になりたいと願いながら、大人の言うことには従いたくないと社会に中指を立てて必死に若さを保とうとする。 選択肢の自由が不自由な選択を引き起こし、努力が報われない世の中が、努力をエサにお金儲けするビジネスマンを生み出す。何にも囚われたくないと望みながら、社会に囚われている自分には気づかない。ストレスには敏感に反応するが、他人の痛みには鈍感。言っていることとやっていることが矛盾し、自分は本当はなにがやりたいのかがわからなくなる。 いつもなにかを求めながら、なにを求めているのかは知らない。欲しいものは目の前に現れるまで気づかず、必要ないものばかりを抱え込む。責任感という言葉を振りかざす割には、道徳と倫理については考えようとはしない。栄養のないジャンクフードを頬張っては、体調を壊し歳のせいする。ここでも責任は自分ではなく、時間だ。 周りにあるものは時間とともに変化しているが、昔から変わらない自分に失望する。他人に必要とされることばかり夢見て、自分で自分を必要としようとはしない。存在する意味はいつだって他人が握り、自分で手網を握って人生を生きてはいない。議論に勝つことと頭がいいことを勘違いし、正解が真実と同じく一つしかないと思い込む。 記憶が行動を制限し、過去のトラウマに縛られる。モノを集めることに必死でも、信用を集めることには興味がない。楽しければいいと言いつつ、楽しくない毎日を過ごしている。人脈が大事だと言いつつ、一人きりの週末を過ごしている。幸せは気づくものだが、いつも不幸ばかり気づく。 人生の豊かさを測る指標は生きた時間ではない。豊かさはどれだけ愛する人と時間を過ごしたかで決まるのだ。愛する人と大切な人を裏切っちゃいけない。自分を大切な人にいれるのも忘れちゃいけない。ダラダラと100年生きるより、目いっぱい愛する人と笑う50年のほうが価値がある。 永遠に生きるように生きてはいけない。愛する人と過ごす一時間と、残業の一時間には天と地ほどの差がある。いつも忘れずにいたい。人生でもっとも価値があるのは競争に勝つことではなく、競争に参加しないことだと。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加