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自由を求めて不自由になる現代人。
さい頃からよく「自由」について深く考えるのがクセで、それは今も変わらない。とはいっても、ツイッターなどのSNSによくいる「20代でお金をたくさん稼いで自由になろう!」とか「自由になるための4つの方法」とかいう胡散臭い謳い文句やビジネス臭がプンプンする自由の概念とは違う。
これは別にほかの人の自由の概念や考え方、生き方を否定しているわけではなく、お金を手にして自由になるという生き方に自分が違和感を感じているだけだ。自由にお金が必要だと考えるのは、青空の下を思いっきり走れる足と将来について不安など抱いていなかった子どもの頃に比べて、成熟することで心と頭が歪んでしまったのではないかと思ってしまうのだ。
結論からいってしまうと、自分の中にある自由の定義は「お金や仕事などの経済的な自由とはまったく関係なく、考え方や生き方、ライフスタイルといった普段の生活の中での思考の自由」を意味している。
たとえば、ただ漠然と「自由人」と聞くと多くの人は「毎日遊んでいる人」「経済的な自由がある人」といったイメージを抱くだろうが、自分が思っているのはそういうことではなくて、「毎日をどうすれば楽しめるか?」といったことにだけに焦点を当て、楽しむためなら努力を惜しまない生き方をしているのが本物の自由人だと思っている。
たとえどんなにお金を持っていても、どんなに経済的な自由があっても、どんなに遊び回る毎日を過ごしていても、思考が自由でなければそれは本当の自由とは違うんじゃないか?と昔からずっと考えながら感じている。
「会社に勤めて仕事をしているから自由ではない」と居酒屋でビールを注文しながらとうとうと語る人が多いが、まさにそれが「思考が自由ではない」の典型的なパターンであり、「会社に勤めて仕事をしているから自由ではない」という考え方自体が不自由の源泉であり自分で自分を不自由にしているのだ。自由を求めて不自由になるという矛盾だ。
おそらくそうした人たちがSNSにいる「自称自由人」かつ「成功者」と名乗る人の「会社をやめて自由に!」とか「3ヶ月で会社をやめる方法!」「誰でも副業で月収ウン十万円!」とかいう胡散臭いビジネスにひっかかったりするんだろうなぁとしみじみ実感している。
何度も言うが、自分が思い描いているのはお金や仕事から解き放たれた経済的な自由ではなく、思考の自由を基点とした情熱と行動力に溢れた状態であり、それこそが自由の本当の姿、在るべき形なのではないかと思っている。だから、自分はたとえ会社に勤めていようが何をしていようがどこにいようがいつでも自由を感じられるように意識し、呼吸をするかのように自由を感じながら生きることを常に意識している。これはある意味、仏教でいう瞑想状態を常に保つことに似ている。
マイナスな出来事もプラスに変える考え方を持ち、どんな場面でも楽しむことを意識すれば自然と自由は向こうからやってくる。自由も幸せと同じく求める必要などないのだ。自分次第で向こうから歩み寄ってくる。
苦手な人とのコミュニケーションも嫌な仕事もすべてが学びであり意味のあることだとも本気で思っているし、意味はすべて自分で生み出すものだとも思ってる。人は思考さえ自由になれば何をしてても自由を感じることができるのだ。これは子どもの頃から自由と向き合ってきた自分が如実に実感していることだ。
「意味のないことなんて何ひとつない」なんて使い古されたマニュアル化された言葉を使うのもアレなが、物事に意味を与えるのは自分であり、それを学びとして経験に変えるのも自分でしかないわけであって、月並みの言葉だがやはり人生はすべて自分次第なのだ。
自由な状態は誰でも考え方さえ変えれば明日からでも実感できるもので、学校教育でたっぷり洗脳された思考回路から解き放たれ、創造力と行動力に溢れた自由人になることで多くの人が望む「最大限楽しむ人生」を歩むことができる。
フランスの哲学者であるサルトルは「現代人は自由の刑に処されている」と述べ、自由を求めて不自由になってる現代人を揶揄した。その本質は、現代という時代性は自由を求めることがイデオロギーとして多くの人に蔓延しており、自由になることこそ人生の到達点であると生まれながらにして強制されているような状態のことを指している。
そもそも楽して経済的な自由を手にしようとすること自体、人間特有の傲慢であり驕りであり贅沢なのだが、自由という言葉が放つ魔力には誰もが抗えずに降伏し跪いている。合理的に考えれば自由の意味から考えなおしたほうが楽なのだが、どうも人間は不合理かつ矛盾で構成される肉の塊にしか過ぎないようで、よく脳みそをどこか別の場所に置いてきてしまうようだ。
もちろん自分がここで述べた自由について反論がある人もいるだろうし、自由の概念や定義は人それぞれ違っていい。違うからこそ人間なのだ。ただ、今自由を求めてる人は一呼吸ついて川の流れをボーッと眺めながら、「自由ってこういうことだよな」とポツリと自分に言い聞かせるような時間を持っていみてほしい。
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