SNSに蔓延る意識高い系お節介インフルエンサーに惑わされずに生きる。

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SNSに蔓延る意識高い系お節介インフルエンサーに惑わされずに生きる。

自称「意識高い系」を装っている人にありがちなのが、「自分は毎日努力している。努力もせずに何もしていない奴らはアホだ」「もっと未来を見据えて自分だけのスキルを身につけることに時間を使うべき」などという、「頑張っている自分」を客観視して普通に過ごしているだけの人よりも自分の立場が上だと思い込んでしまう現象だ。 ツイッターとかのSNSによく出現する自称「意識高い系」の連中。自分の生き方こそが正しくて正解だと本気で勘違いしていて、他人を煽って自分の信者をつくろうと頑張っている連中。 「これからは個人の時代」だとか普通に過ごしているだけの人に対しても「そのままの生き方でいいんですか?」と必要以上に他人を煽る。 そのビジネスモデルが儲かるのかは知らないけど、最近はツイッターをはじめとしたSNSではそんな連中ばかり溢れ返っている。 別にネット上やブログで自分の生き方を発信したり情報交換をするのは全然構わないが、最近は特に他人に自分の生き方を押し付けてくる連中が多すぎると感じる。もちろんそれは見なければいいだけの話だけなのだが、情報過剰社会である現代で自分が見たくない情報をすべて排除するのはとても難しい。 普通に楽しく幸せに暮らしている人に対してまでも、「そんな生き方じゃこれからの時代生き残れないですよ」「これからはAI(人工知能)が進化して今ある仕事の半分以上はなくなりますよ」とか未来がわかったようなことを言って不安を煽り、自分の信者に加えようとしているのを見ると正直言って不快だ。とても不快だ。 しかし、そうした人たちはなぜそこまで他人の人生に口出しするのか? それはもちろん「自分のため」であり「お金を稼ぐため」だろう。他人を煽って不安にさせて、自分の生き方に共感させて信者として取り込む。最近のブロガーやインフルエンサーはこんな人たちばかりだ。 自分は基本的にそういうのフルシカトでまったく相手にしないから関係ない話なんだけど、知り合いが何人もインフルエンサーに影響されて夢や希望を語っているのを見ると甚だ滑稽で余計なことしてくれたな、と思う。 そもそも人には誰にでも「その人に合った生き方」があって、他人の生き方はその人に合った生き方ではないわけだ。もし、あう人がいるにしてもそれは他人の人生を生きてるのと同じことになりかねない。 人には人の生き方がある。そして年代別にもその年代に合った生き方がある。 「この年代はこう生きるべき」っていう「べき論」を語るつもりは一切ないけど、学生には学生の生き方があると思うし、楽しい学校生活を送っている人に対して「遊んでばかりでアホだな」とか「勉強もしないでアホだな」などと大人が口を挟むのはどうなのか。 そして何とも悲しいことにそういうことを平然と言ってのけるのが、ネット上で成功者とか言われている人だったり少し名の知れたブロガーやインフルエンサーだったりするわけだ。 「自分はネットを使って賢くお金を稼いでいる」 「ブログを書くだけで生活できますよ」 たしかに、毎日仕事と時間に追われているサラリーマンだったり忙殺されている会社員にとってはそういう生き方に憧れを抱くかもしれないが、たかだか10年20年しか生きていない学生たちにそんな生き方を押し付けるのはなんだか虚しさというか呆れた感情が湧いてくる。 相手が「どうすればいいですか?」とアドバイスを求めてくる場合は問題ない。でも今のインフルエンサーがお金を儲けるために、相手の都合も状況も環境も考えずにただ考えを押し付け、「ユーザーのため」とか「誰かのため」とかいっときながら結局は自分のお金稼ぎのためでしかないのがただただ滑稽だ。 まぁこういうことをいっても、自称「意識高い系」の人たちは「だからなに?」と開き直るだろうが。 別にお金を儲けることが悪いとは思ってないし、どっちかといえばそれはとても大切なことだと思ってる。でも、だからといって学生とか新社会人の人たちを必要以上に煽って不安にさせるのは違うだろう。 学生なんて友達と遊んで騒いで恋愛していればそれだけで十分幸せで楽しいはずだ。それを自分のお金稼ぎのために横から入って「そんなんでいいの?」と煽ってぶち壊すのは本当に余計なお世話でしかない。 まぁ何がいいたいかっていうと、「ユーザーのため」とか「誰かのため」とかいって自分の生き方を押し付けてお金稼ぎしている連中をみてると本当に不快だということだ。 情報社会だからこそクソッたれインフルエンサーに騙されないように最低限のリテラシーを持って、自分の軸を保ちながら生きていってほしいと思う。
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