生きることに消極的でありながらも最大瞬間風速の中で生きる日々。

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生きることに消極的でありながらも最大瞬間風速の中で生きる日々。

自分は生きることに消極的だ。というのも、何がなんでも生き抜いてやるという意志を持っていないだけで、それなりに生きることを毎日楽しんで過ごしている。自分のやりたいことをやり、好きなように自由に生き、感じたいことを感じ、会いたい人に会い、食べたいものを食べ、行きたいとこに行き、寝たいときに寝る。でも、運命が「君はもういらない」というのであれば素直に人生から退場していく準備もできている。 よく言われるように、人生は生きた時間ではなくどう生きるかによって左右されるものであり、ただ惰性で長らくこの世に存在しているだけの社会のお荷物には絶対になりたくないと常日頃思ってる。もし仮に脳や体の機能が一切絶たれて病院のベッドで一生を寝て過ごすことを余儀なくされれば、私は生きていく自信がないしおそらく自ら命を断つだろう。これは自分の感覚であり、決してそのような人たちを否定しているわけではないことを理解してもらいたい。 人生は究極的には自己満足だし、自分が生きる価値を感じていなかったり生きる意味を感じないのであれば無理に生きる必要はない。頭ごなしに死ぬまでどんなにつらくても生きなければならないんだ、とは言うつもりもないし一ミリたりとも思っていない。もちろんこれも自分の感覚であり、自殺を肯定しているわけではないことを理解してもらいたい。 日本人はよく頭が固くて他人の価値観や考えを許容できないと言われることが多い。自分の考えや世間の考え、常識や当たり前といった概念が絶対的に正しいものだと思い込んでいるのである。しかしそれは間違いであり、この世に絶対的な真理など存在しなく、すべて人間が生み出した幻想で虚構なのだ。どんな概念も状況が変われば意味も変わり、これまで正しいと思われていたものが間違いになることはごまんとある。 自殺や覚せい剤、暴力や殺人、強盗や強姦、窃盗やスピード違反まで、今の世の中では禁止とされていることはたくさんある。でもこれも現段階の話であって、一度戦争でも起ころうものならすべてが覆り、犯罪が当たり前になる日が来るかもしれないのだ。それは幻想でも虚構でもなく現実の話であり、人間が生きる現実はどこまでも残酷で冷たくて予測がつかないものである。 楽観的思考というのは絶望的な状況を味わったことがある人だからこそ価値を持つ思考体系だ。絶望も苦しみも味わったことがない人が、前向きにポジティブに生きようといったところでただの綺麗ごとにしか聞こえないだろうし、実際問題そうなのだろう。楽観は悲観の果てにたどり着く境地であり、耳障りのいい言葉を投げかけるだけの表面上の楽観的思考は気休めにしかならない。生きるのが苦しく、つらい経験を乗り越え、それでも這い蹲りながらも必死に前を向く。人はそうした生き方に感化され影響されるのだ。 生きること自体には覚悟はいらないのかもしれない。ただ呼吸をしているだけで生きると解釈している人もいるだろうし、存在しているだけで人間は価値があると思っている人もいる。これは人それぞれ感覚が違うのであれこれ否定したり肯定したりするつもりはない。みんな違ってそれでいい。それがみんな大好き多様性だ。 でも私は「なにもせずに一日を好きに過ごしてください」といわれれば、やっぱり仕事をしてしまうだろうし、何か物書きをするだろうし、たくさん頭を使って自分にとって意味のあることを考えるだろう。趣味としてYouTubeや音楽を楽しむときもあるが、基本的には自分は仕事が大好きで、やることがあるってのは幸せなことで、一日中遊んだりゴロゴロしたり動画や映画を見ているよりも何かを書いていたい。自分の中にある言葉を吐き出す行為はなによりもストレス発散になるし、感情を言語化して具体化することで思考がすっきりして新しいアイディアもたくさん湧いてくる。それがまた生きる楽しみにもなっていく。 はじめにもいったように、私は生きることに消極的だしなにがなんでも長生きしてやるという意識も持っていない。ただ毎日を最大瞬間風速的に生きられればそれでいいのであって、そこには自己満足以外のなにものもない。ただ毎日を一生懸命に生きる。それだけ心掛けている。自己顕示欲や承認欲求を満たす行動で一日が終わることはないし、明日や明後日の心配をして不安になることもない。将来日本がどうなっているかとか、自分は生きているのかとか、世界がどう変わっていくのかといったことにも興味がない。仮に明日死んでしまえばすべてが無になるからだ。 死は唯一誰にでも平等に訪れるものだとよく言われる。人は死からは決して逃れることができず、死に向かって毎日一歩一歩前進しているのだと、だからこそ毎日後悔しないように過ごしなさいと、昔から死に関して言われることは同じだ。一言で要約すれば「後悔せず生きろ」である。でも、人は後悔があるから前に進めるのだし、人間から後悔を取ったらきっとなにも残らない。人は一つ一つの選択に後悔を抱えながら生きているのだ。後悔なくして生はなし、といった感じだ。 生きることはつらい。生きることは苦しい。生きることはめんどくさい。でも、生きることはそれほど悪くない。生きることは楽しい。生きることは心地良い。 「生」について考えたところでなにか答えが出るわけではないけれど、定期的に生について考える習慣はやめたくない。生と向き合うことが自分らしさを見失わずに生きる手段であり、自分にとっての生存戦略だからだ。最後にお気に入りの言葉をもう一度引用して終わろうと思う。 「人生は生きた長さではなく、どう生きるかによって左右されるものである」 毎日の瞬間最大風速を記録しながら永遠の一瞬を生きていこう。
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