赤備え

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赤備え

 槍一本。  虎昌は槍だけでのしあがった男である。甲斐(山梨県)武田家の家臣で、戦では騎馬隊をひきつれて先陣を切り、獅子奮迅の働きをした。やがて虎昌の噂は野を越え山を越え、騎乗した姿を見せるだけで敵陣を震え上がらせるようになる。事実、凄まじい戦い方をした。  昔、鬼に憑かれたことがある。  普段であれば豪腕に任せて槍を振り回し、猛虎の如く暴れ回った。戦場は阿鼻叫喚に包まれ、耳には悲鳴がこだまする。しかし、その時は静かだった。馬の呼吸音だけが聴こえていた。  馬は激しく上下に揺れるが、耳を澄ませていると馬の挙動を完全に理解した。自分の呼吸を馬の呼吸に合わせる。流れる水に身を委ねるように、馬の動きに逆らわず槍を回すと何の抵抗もなく敵の首が跳ねたのだ。  不思議な感覚、そう、舞っているような感覚だった。いつもなら20人も切れば体力も限界を迎えるが、この時は疲れを知らず、勝鬨が上がるまで踊っていた。 「虎昌。よくやった。見事な活躍であったぞ」と主君に誉められ我に返った。  後になってわかったことだが、虎昌は一人で97人の首級を上げていた。  戦後は具足に付いた返り血を洗うのが大変だった。 「ああ、そうか、最初から赤い具足なら洗わんでもよいではないか」  それ以降、虎昌は真っ赤な具足を身に付けるようにした。赤備えの誕生である。  老齢になった今では、指揮をし自ら槍働きはしなくなったが、虎昌の率いる部隊が最強なことに変わりはない。  しかし、虎昌は戦とは別なことに力を注いだ。人材の育成である。 「武田の血潮を次の代に伝えねばならん。武田家が永遠たるために」  虎昌が武田家嫡男の傅役になったことは至極当然だろう。人を育て、その成長を見守ることが何よりの至福となり、やがて自分の全てを託せるものを見つけた。  そして、文禄八年七月(1565年)。  齢61になったときのことである。
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