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彼女は入院している。
そんな情報を知ったのは、図書室で会ってから寒さが増した数日後の事だった。
あの日から、なんとなく彼女の事が気になっていた俺は、不自然さのない理由を考えながら病院に向かっていた。
病院を見ると気持ちが沈んだ。
気の持ちようなのだろうか、俺はなんとか自分を誤魔化しながら、重たい空気に逆らって足を進める。
病室につくと彼女は、真っ白な空間で、入院してることが嘘のような笑顔で俺を向かえた。
「おっ、偉い!君は来ないと思ったよ」
元気そうな顔をみて安堵した表情を誤魔化すように、椅子を探しながら、さりげなく彼女に様態を聞く。
「…… 大丈夫なのか?」
「全然平気。慣れっこだからね」
彼女の反応を見ると、確かに平気そうだと思った。
いつもと変わらない。
それどころか普段より明るく振る舞っているようにも見える。
「そっか、退院したらまた図書室で本の感想聞かせてよ」
「…… 退院かぁ。次はできるのかな……」
「え……」
予想外の答だった。
きっと彼女はいつものように弾んだ声で「まかせとけ」と言って笑顔を向けると思っていた。
少し動揺した俺に、彼女は笑顔混じりの儚げな表情を向けた。
「私ね、もうそんなに長くないんじゃないかって思うの」
「そういわれたの?」
「ううん、自分の体だからなんとなくわかるの」
なんて返していいかわからず、俺は携帯の液晶を見つめて時が流れるのを待った。
「あっ、そうだ!公園連れてってよ」
思い出したように彼女はそういって心を踊らせる。
「あ、うん。じゃあ、今、病院の先生に……」
「なにいってんの?
言ったら断られちゃうよ。こっそりぬけだそうよ」
「そんなことできるわけ……」
「今しないと、もしかしたら一生できないよ」
縁起でもないことを言って、彼女はそそくさと準備をはじめる。
「行こっか」彼女はそう言って笑顔を向けた。
俺と彼女はなんとか誰にも見られずに病院から抜け出した。
悪い事をしているのかもしれない。
でも、外に出た彼女のはしゃぐ姿を見るとそんなことはどうでもよくなっていた。
公園に着くと日は落ちて外はすっかり暗くなり、空から落ちる白い結晶が地面を薄ら白く輝かせていた。
「寒いからもう戻ろうよ
公園に来たけど今は冬だからどのみち木に花は咲いてないよ」
俺の言葉など、聞こえていないかのように、彼女は回りを見渡す。
「ここかぁ、やっとこれたね!ムード台無し君、雪だよ」
「見ればわかるよ。雪なんて一年に一回は見るだろ」
「私はその一回が、大切なんだ」彼女はそう言って空を見上げていた。
白くなにもない世界から色を探そうとする彼女は、目を開いて四季を求める。その姿は雪ように透明で、溶ける事が決まって空から落ちてくる儚さを、自分と照らし合わせているかのような彼女の表情に俺はただ見とれることしかできなかった。
「私がこの世から消えても、君は私の分まで生きて、ずっとそのままでいてね」
彼女がいない未来はつまらなそう。
そんな気持ちを押し込んで答える。
「縁起でもないこというなよ。お前も消え……」
「咲菜……」
「え……」
「私の名前。
君には呼ぶ権利を与える」
「上からだな、さ、さきなも……」
寒さを忘れるほど、顔が熱くなるのを咲菜は「わー照れてる」と言って大笑いした。
「約束ね!ムード台無し君」
「俺の名前はそれで決定なんだな」
「あと……」
「今度はなに?」
「……ありがとう」
白く儚い笑顔で彼女は笑った。
彼女はその日、病院で亡くなった。
寒空に舞った羽のような雪は、彼女に翼を与えて外へ飛び立たせたのかもしれない。
上宮咲葉と書かれたお墓の名前をみて突然記憶が浮かびあがった。
「君を知っている……」
「…………」
少しの沈黙を置いて、彼女はそのまま「そう」とだけ言って、俺と目を合わせようとはしなかった。
花を添えて手を合わせている女性をみているその表情はどこか寂しげで、俺の記憶にある彼女の表情とは対照的だった。
なぜ彼女の事を今の今まで忘れていたんだろうという疑念と自分にたいする混沌とした不確かな思いが頭をめぐり、その場に呆然と立ち尽くした。
「君も俺を知ってたんだろ? なんでもっと早くに教えてくれなかったんだ?
言うタイミングならいくらでもあったろ?」
思っていることをそのまま口にした。
動揺を言葉で紡ぐように、溢れる不安をかきけそうとしていた。何か話さなければ頭がおかしくなりそうだった。
彼女は目を向けず一人言のように口を開いた。まるで彼女の中にはもう、俺という存在はいないかのようだった。
「私が言った言葉も、あなたからすれば小説の一部みたく、ただの一コマでしかなかった」
「え? どういう意味?」
「あの小説の話し、覚えてる?」
「覚えてる…… というか、突然思いだしたんだ。君のことも、君の本のことも……
そのお墓の名前を見た瞬間に」
「…………」
彼女は寂しげな表情を向けた。
「ん? いや確かに忘れてたのは悪かったと思うけど、俺はあの日から変わってない」
「お墓の前で、お参りしてるこの人、誰だと思う?」
彼女の意味深な質問に俺は、嫌な予感と共に答えた。
「えっと…… お母さん?」
「名前は美咲……私が死んだ時はまだ、小学生だった」
「…………え?」
「私の妹なの、多分歳は20前後だと思う。君の見た目って今何歳?」
背筋がぞっとしたのは見た目の変化に気づいたからだけじゃなかった。
思えば手を添えている女性は俺にすら気づいていない。
本当は高校生じゃない。彼女と俺の時間だけがこの世界で進んでいなかった。
「じゃあ…… 俺も …… 死んでるのか……」
「…………」
彼女は答えなかったが、その冷たい表情が全を表しているように思えた。
「もう、私の前に現れないで。でも、告白してくれて嬉しかった」
彼女は自分のお墓にそっと持ってた本を添えて立ち去っていった。
彼女の後ろ姿をまるで、ただの風景のように見送った。
俺は唖然として動けずにいた。彼女の妹が帰っても、暗くならない空をひたすら眺めながらお墓のまえで何時間も立ち尽くした。
幽霊だからか、どれだけいても疲れずお腹もへらなかった。
これからどうしていいのかもわからないが、どうしても気になることが一つだけあった。
それは、記憶にあった彼女と知り合ったきっかけでもある本。
あれだけ読んだはずの本の内容がどうしても思いだせなかった。視線をお墓に向けて彼女の置いていった本をてにとって俺はそのまま本を読みはじめる。
公園につくと、彼女はベンチに座っていた。
「ここ以外いくとこないのか?」
「何しにきたの? もう現れないでって言ったはずだけど……」
彼女はこっちを見ずに、淡々と話した。
「ごめん、でも…… 俺、後悔はないんだ」
そういうと彼女は目を丸くして、こっちを見る。
「え?」
「死んだことにだよ。現実世界の俺は確かに君との約束を破っちゃったかもしれないけど、それでもここで君と出会わず戻ったらまた同じ事をしたと思う」
「全然意味がわかんないんだけど……」
「本を読んで全ての記憶がもどって気づいたんだ。これは夢で現実世界の俺は今、眠ってる」
「どうかしら……」
彼女は呆れたように溜め息をついた。
「この世界はあの本と同じようにすすんでる。それで気づいたんだ。これが夢だって。君が俺に対して嫌がっているのは、君への未練を立ちきって、元の世界に引き戻そうとしてくれてるんだろ」
「…………」
「ありがとう。俺…… 帰るよ。元の場所に」
再び生きようと思えたのは、彼女は自分の中では生きていて、約束を破るとまた彼女を悲しませると思えたからだった。
うつむいたままなにも言わない彼女に俺は想いを打ち明けた。
「でも、これだけは言わせて欲しい。俺は君の事が好きで、それは生きてようが、死のうが変わらない。これからもずっと」
彼女はこっちをみて、驚いた反応をした。
「やめてよ。そんな事言ってるから帰れないんじゃないの? それに、私はもう……」
「約束破って本当にごめん。もう心配いらないから」そういって寂しそうな顔をした彼女を抱きしめると彼女の背中は震えていた。
「君といたいけど、俺はまだかろうじて生きてるみたいだから、待たせちゃうかもしれないけど、咲菜が言ってくれた約束を果たしてきっとまた会いにくる。今度は絶対約束を破らないよ」
彼女は泣きながら「うん」とだけ答えた。
彼女の体が徐々に消えていく。
消えかけている彼女の姿は儚い透明さで日差しを体に通していた。
確かに彼女との約束は守れなかったのかもしれない。でも不思議と後悔はなかった。
それどころか、もし俺が、彼女を失って生きる事を諦めたんだとしたら、それは小説だときっとありきたりで、退屈な物語だと思う。
でも、現実の一ページの出会いは俺の退屈だった人生を変えてくれた。そんな彼女との記憶のない人生を選べなかった自分の事を少しだけ、嬉しく思えた。
生きようと思えたのは、彼女は自分の中では生きていて、俺が死のうとすると彼女も消えてしまうと思えたからだった。
「次は約束破んなよ。ムード台無し君」
最後に悪戯な笑顔を咲かせて、彼女の姿は消えた。
彼女が病院で亡くなったあの日から、全てに興味が持てなくなっていた。
そのまま脱け殻のように生きて大学3年の春、俺は人生に意義を見いだせず自殺を試みた。
機械音が鳴り響く、簡素な空間で母親と恐らく医師と思われる男の声が聞こえる。
「先生、うちの息子はなんで目を覚まさないんですか?」
「容態は安定していますので、今我々にできることは、本人が目を覚ますのを願うしかありません」
病室のベットで目を覚ますと、母親がそれに気づいて、泣きながら俺を怒った「親より先に死のうなんて、もう二度とするんじゃないよ」そういってベットに顔を伏したままさらに泣いた。
「ごめん、母さん、もう大丈夫だから」
どうやら俺は自殺をしようとしたらしかった。彼女のいない人生がどうしよもなくつまらないものに思えたからだ。
枕の側には小説が置いてあった。
「これは?」
「あんたが倒れている時それを抱えてたから大事物かと思ったけど」
「うん、凄い大事なんだ。ありがとう。母さん」
本のタイトルは『彼女は季節をしらない』
内容はありきたりで、たいして取り柄のない主人公が公園で知り合った美女に一目惚れをして、何度も告白を繰り返していく中で、四季を通しながら心を通わせていく物語だった。
読んでいたのは俺と彼女だけで、人気は全然なかったが、彼女と俺が仲良くなった唯一のきっかけの本だった。本の中で、彼女との恋が実ったのかどうかは曖昧にぼやかされて終わっている。
でもその主人公の振られても何度も告白するカッコ悪い姿に共感と憧れがあり、何度もその本を借りていた。
もしかすると彼女にもそんな出会いに憧れがあったのかもしれない。
本の最終ページに挟んであった図書カードの最後のらんに上宮咲菜と書いて本を閉じた。
病室の窓からは照れたように赤く火照った白い桜がこっちをみていた。
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