「ここで変われるんだよ、カズさん」

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 宗教法人『ナチュラル・マインド』富士山麓(ふじさんろく)昇浄(しょうじょう)センター。  一般相談室Aには7人の男女がいた。  部屋自体は、落ち着いたサーモンピンクが基調になっている。テーブルは丸く、そのまわりにゆったりと座れる椅子が6つほど、並んでいた。  椅子に5人、あと2人はドアの前に並んで立っている。  しばらくの沈黙の後、椅子にいた1人が、ファイルをめくりながら言った。 「精神科への受診は、されていない……と。今まで一度も、ですね」 「はい」  面やつれした女性が、うなだれたまま答える。  その隣に、シャツの裾をだらしなくズボンからはみ出させて、それでも少しは行儀よく座っているのが 「アオキ・カズハルさん?」  急に呼びかけられ、今まで貧乏ゆすりをしながらテーブルのふちをにらんでいた彼は、ひざを止めて、ゆらりと目をあげる。  少し長くなった前髪の間から、無精ひげに覆われた小汚い顔が、油断なく前を見た。  黙ったままだったのを、右隣りに座った男が困ったように 「……」  これまた黙ってひじで突く。 「アオキ・カズハルさん、」  向かい合って座るのは、このセンターのセンター長、ミツヨカワ・カイ。  教祖のテルヨカワと同じく、本名ではなさそうだ。  40前後だろうか、上背があってかっぷくがよく、ミシュランのキャラクターにもどこか似ている。さすが宗教家、笑顔がさわやかだった。  その隣は小柄な男。ミツヨカワと対照的な、俗世間を引きずっているような神経質な顔をしている。秘書のようなものだろうか、しきりに、メモを取っていた。 「横浜の中山にお住まい、なんですね。新横浜の相談所で、こちらを紹介された、と」 「はい」  妻が代わって答える。彼はまた貧乏ゆすりを再開した。 「なんだよここは、病院か?」  上目づかいにあたりを見渡す。 「オレはこんな所に入らねえぞ。何度も言ってんだろ、ビョーキじゃねえんだ」 「兄さん」  脇に座る弟、アオキミツヒコは、弱ったような目をカズハルの妻に向ける。 「ねえカズさん」  妻は小声で、夫の肩を揺らす。 「横浜でさんざん、話したでしょ? オレは変わりたいって、言ったよね?」 「……」 「ここで、変われるんだよ、カズさん。新横浜の相談の方もおっしゃってたじゃない。まだ全然遅くありません、修行すれば全く別の人生が……」 「このまんまでいい」 「よくないから、来たんじゃん」  妻が激昂した。
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