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第2章 彼女の気遣い
「はぁ……」
「えみみん、今朝はきつねうどん?」
クロワッサンのサンドイッチを朝食にしたちほちょんは向かい側に座った。
「うん。急に食べたくなって」
お椀からの湯気がくまを労るかのように当たり、ツヤツヤの白いうどんをすする。絡みついた汁が少し辛い。
「昨日は疲れて寝ちゃったかと思ったんだけど……大丈夫?まだ疲れ取れていない?」
「それに関しては大丈夫だよ。今日から部活だから気合い入れて長めに寝たら体が硬くなっちゃって。心配させてごめんね」
「えみみんが大丈夫なら安心したよ。じゃんじゃんアタシを頼ってもいいからね!」
胸をバンバン拳で叩く彼女に感謝しつつ、心の中で「ごめんね」と謝った。
昨夜、一度キスをしただけで即就寝した水瀬さんはそれ以上何もして来なかった。この目がたしかだから証拠人にもなれるが、同時に当事者でもあるため、ちほちょんや他人に話せるわけがない。
ちほちょんがサンドイッチにかぶりつくと、金色のスクランブルエッグがトロンと溢れる。うちは黒の汁を飲むも、やはり辛くて水に口をつけた。
「演劇部は今日からなんだね」
「うん。平日は中等部の子も一緒みたいなんだけど、週末は高等部だけ練習するんだって」
相槌を打つ彼女はあっという間に完食しており、手を合わせていた。うちも朝練に遅れないように食べ進めるが、東西の食の違いだけで腹がいっぱいになりそうだった。それでも必死に箸を動かせていれば、入口の方から歓声が聞こえてくる。二人同時に視線を動かせば、昨日見た光景に近いものがあった。唯一違うとしたら、声を掛けられていることだろう。
「あの俳優の……ジョーンさんの御息女ですよね!?」
「まさか来日されているなんて……!サインください」
「人形みたいだわ……」
朝の食堂で黄色い声を上がるとは不思議な状況だ。もっと不思議なのは囲まれていてもトレーを持つなりバイキングしてる彼女なのかもしれない。
遠くからでも直視出来るきらびやかなホワイト、日焼けしらずの首筋も細長く、一つ一つの動作が優雅である。
「うわあ……昨日の人じゃん。めっちゃシカトしてるう〜」
人気者はその場の雰囲気や視線を独占するというが、まさにそれだった。
モデルやってるくらいやから、声掛けられるよな。
恋人のなりをしようと持ちかけ、弱みを握りながら迫っても美人は美人なのだ。ぷるぷるの唇に触れただけで浅い呼吸になり、肩をガチガチにさせていたうちとは違い、
『ウブで可愛らしい子ね』
二度目のウブね発言を最後に布団に入ってしまった水瀬さん。置いてけぼりで沸騰したまま寝付けなかったことなんて些細なことに決まって……。
「頭振ってどうしたの!?風邪薬貰って来ようか?」
「目が覚めるかなって、あはは〜」
心配するちほちょんを他所にもう一度、水瀬さんのいる方に視線を動かすも忽然と姿を消していた。
あれ?もう席に着い……、
「隣、いいかしら」
箸で持ち上げたうどんがとぷんと落ち、汁が頬に跳ねた。
確認せずとも水瀬さんだ。空笑いしてるちほちょんが確信を後押ししている。
「いただきます」
彼女にとって返事はどうでも良かったようで、手の合わす音がした。了承を得ないところはどうかと思うが、食事前の挨拶はきちんとしている。故郷での習慣かもしれないが、シャキッとしない頭でこれ以上色々考えるのは面倒くさい。
「えみみん……!!」
小声で呼ぶちほちょんは隣を指している。美人がうちみたいなのと隣に座ってるから余程変に見えているやな、差別化されてるみたいや。事実だから仕方ない。
もう彼女と自分はペアになってしまったわけで、なりを演じなければいけない仲だ。今は演技モードじゃなくても気にかけた方がいいはず。
「水瀬さん、おはよ………」
和洋折衷のおかずを盛り付けた大皿が三枚並び、丼に入った白米。
咄嗟に「おお…」すら飲み込めたことは褒めて欲しい。視線を送り続けてくれたちほちょんと目が合う。なにこれ!?知らない!
二人の心中知らず、黙々と箸でおかずを取り、ごはんにバウンドして食べている。姿と食が全く一致していないのに、何故か外国風朝食を優雅に取る様に見えてしまう。唯一その雰囲気を確実に表せているのはミルクの入っていないブラックコーヒーだ。
あの細い図体で一体何処に消えるんや?めっちゃ丼でかいやん!?ツッコミどころ満載過ぎて危うく外に出してしまいそうなうちに食事中の彼女の意識が向いた。
「そんなにじっと見つめて、何かあるの?」
「何もありません、けど……!」
けどの後が出なかった。なんて言えばええの?人の食事にとやかく言う必要もないよな?テレビでも女優が一人焼肉をハシゴしてるとも聞く。
「……けど?」
「別に何でもないです……」
「そう。あと、あれくらいのことで眠れないだなんて、慣れて貰わないと。わたしも手加減はしたくないわ」
水瀬さんの発言に食堂がどよめいたのは気のせいだと思いたい。いくらトーンは普段調子でも場所を考えずに、見ずに口にした彼女にはもっと周りを気にして欲しい。
「わたしたちが次のステージに行くにはハード過ぎたかしら?そんなことないわよね。だって、貴女が良くなりたいと思ったのだから」
発狂せずとも、堪忍袋の緒は切れた。ぷつんと綺麗に。
あ〜あ、あ、もー無理。やだ、無理無理無理!!
ふつふつと熱くて不快だ。腸が煮えくり返るとはまさにこういうことなのかもしれない。澄まし顔で朝食を食べる白髪美女が一瞬にして憎たらしくなる。その女が手に取ったのはよりにもよってうちがご飯に合わないおかずランキング十年トップ一位。
「………っ、た……」
白雪のような指に桜が咲いたような爪。美人は爪まで恵まれているらしい。パックの開け口に苦戦してるのが見えた。
「?ちょっと、納豆ならあっちにまだ残っていたわよ。欲しいのなら奪わず……」
「うちの嫌なことはせえへんって、約束したやん!この、この白兎!!」
手中にあった納豆は料理が並ぶ台の上に片付け、唖然とする空気を掻き分けて食堂から逃げ出した。
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