第3章 はじめて

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第3章 はじめて

「なぜ、カレー粉を隠し味にしたらダメなの!?」 「隠し味も何もスパイスが強すぎて丸分かりなの!カレーライスも作ったのなら我慢しなさい」 「ヤーダー!ニッポンのカレー製品、ソーデリシャウスなの!シシグにもドリアにもゼッタイ合うに決まってるわ!」  数種類のスパイシーな香りが鼻腔を擽ると、口の中で涎が湧いてくる。シンクで言い合う先輩達を背にうちは食品棚から最適な皿を詮索しているところだった。  これは大きすぎる……。これはティーカップ用?どれも高級なんばっかりや。  和風な陶器から西洋の貴族が使用してたような紋様の皿まである。百均なんて言葉がこの世で一番遠いのかもしれない。 「上の方に西瓜柄の大皿があると思うので、それに六人分乗せちゃいましょう」  鬼灯先輩の指示を受け、まだ手付かずの天井に近い場所へ顔を上げる。  そこしかないよな。台があるからこれで……。  二段になった台へ両足を乗せて、腕を伸ばしても僅かに身長が足りない。 「せんぱ……」 「ニッポンのお出汁は繊細かつクールだわ!」 「特に西の出汁文化は東の人間からしたら興味深いのよね」 「ワタシ、いつかゼンセカイの料理を作って、するのがユメなの!だから、たっくさんのこといっぱい見て、食べて研究したいわ!」  シェリー先輩の瞳は子供が宝箱を見つけた時の輝きがあり、無邪気な笑みに愛おしさすら感じる。  親指に体重を乗せ、爪先立ちをしてから肩甲骨を使って腕を伸ばす。棚の中にはピラミッド型に片付けられた皿の中で縁が緑色で表面が赤のが真ん中に。きっとこれや。  割らないように、そうっと引き抜いて。上の椀との隙間から引き抜くことは無事に達成し、肩の荷が下りた。それが仇となるとは露知らずに。 「だから味噌汁にカレーはナッシング。スプーン探すから絶対に入れないでね?」  家庭科室より、寮のキッチンよりも幅は狭く、品に反してごくごく普通の面積だった台所。鬼灯先輩の頭がうちの腰にポンと軽くぶつかっただけで、体幹のないうちはまたもやグラグラして揺れた。 「……っ!危ない!!」  一枚割れたのを合図にけたたましい亀裂音が響いた。 「二人ともダイジョウブ……!?」 「うちはなんとか……。鬼灯先輩は……!」  低くなった視線で辺りを見回すとシェリー先輩の指が下をさしている。エプロン生地を頭まで被った鬼灯先輩が倒れていた。  無言のままの先輩の末恐ろしさに声が出ない。  や、やっち、やっちまった………ぁああ……。  床には硝子を含む鋭利な破片から、半月の緑皮まで散らばっている。おまけに先輩のお腹にはスイカの汁がベッタリと形作り大惨事だ。 「ごめんなさい、すみません、申し訳ございません!!」  いく、いくらなんやろ……一生分の貯金じゃ足りん?保険とかいる?先輩、重かったし痛かったよな!?  芸術家の作品だとうん何万のオークションが瞬きの間に決まるという。庶民には最悪の事態が頭を過ぎり、這いつくばってでも土下座した方がいいんとちゃう?と怖くなった。 「あっははは」  この状況下で似つかわしくない吹き出しは嗤いなのかもしれないのに、崩してお腹を抱える先輩にうちは豆鉄砲を食らう。どういうこと?何がツボ?涙目を浮かべるほどひとしきり笑った先輩は阿呆面の二人に向かい合った。 「すみません、日常茶判事だったものでつい」  さらに困惑するうちにシェリー先輩が補足してくれる。 「ホウホウは五人キョーダイでね、一番上のイモウトなの」 「ごっ……」 「妹じゃなくて、長女で姉。妹が生まれるから六人姉弟ね。十一人の大所帯でわんぱく達がいるのもあって、ドタバタには慣れているんです。お皿はなんとかなりますので安心を」  こちらは聞き慣れない人数に驚きが隠せない反面、ある種奔放な部長と部員を纏めあげる副部長の力量にも納得する。 「話が逸れましたが、怪我はありませんか?」 「はい。先輩こそお怪我は」  どっぺりと垂れる赤は鼻から溢れ、床にぴちょん。 「あっ」  二重の声の主は鬼灯先輩と、台所の入り口から。数分前に別行動した彼女らにカリンちゃんが加わっていた。「御三人方、お疲れ様です」なんて口にする余裕はない。なぜなら、先頭に立つ部長の瞳は激しく動揺し、鼻血を垂らす鬼灯先輩を凝視してるようで、虚無の瞳。まるで生が宿っていないようにも見えたからだ。 「血、血液、赤、あかあかあか……血……っ」  絹を裂くような悲鳴の後、部長は体勢が崩れた。膝はつき、曲がった腰に身体は震え上がり、ブツブツ何か呟く様子はうちの知る部長ではない。袋からゼリー容器が転がっている。  恐ろしい?だって、あの人は部長に変わりあらへんやろ?なんかおかしなことを言うてるだけやんか。  床と足が繋がったみたいに離れない。どないして?部長は直ぐ前にいて、介抱した方がいいのに。  呆然と立ち竦む居合わせた部員で唯一反応したのは鬼灯先輩だ。彼女はキャミソール一枚になり、キッチンペーパーをティッシュの代用に鼻を押さえ、歩み寄る。 「悪いけど詩恵理、如月さん達を二階に送ってくれない?ここはなんとかするから」  え、うちにもお手伝いさせてください。言葉は喉の奥で引っかかっていて、また奇声を発する部長から意識が働かない。 「わたしが連れて行きます」  潔く挙手したのはうちのペア相手。「お願いね」鼻が詰まった声で念を押され、最後まで言葉が出ずに回収されてしまった。
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