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第4章 彗星の如く現れた
「あっ……」
カリンちゃんの靴が玄関で乱雑に脱がれている。棚側に揃えて置いてある彼女らしくない。自分の分も直し、アロマランプが灯る寝室へ行くとベッドに座る彼女を見つけた。
「……ただいま」
返事はない。
「ただいま」
次は堂々と挨拶してみる。部屋に響く大声は出せないけど、食堂の開く十七時なら近所迷惑にならないだろう。
返してくれへん。こうなったら……!
「たっ、」
「お帰りなさい。聞こえているわよ」
「だー……お帰り、カリンちゃんも」
振り返らずに読書中。正座なのもシュールに映るけれど、心做しか姿勢が猫背になっている。
「何読んで……って。一五〇六!?」
背後から覗き見するのは御遠慮願いたいのに他人のは気になる性はなんだろう。「悪い?」と一言返ってきた。今朝、学園へ登校する前に自室の棚に仕舞い込んだはずなのだが。
「悪か……ないけど、なんでまた?」
受験時期に齧り付いて読んでた跡に今のが加わり、紙の寄れやみぞの折り跡が目立ってきた。何気なく聞くと、彼女は跡を撫でる。いない思い出を慈しむかのように。
「もうここまで来たのね、と振り返っていたの」
栞の推し花は使う度味が出てくる。桜を使っていた。
「そうやね……。もう四章か……」
全六章。章ごとに世界観は異なっていても、重厚な話が纏まっている。ゆめはら先生は早筆で長編ストーリーを完成させてしまう特技を持つ。
契約……結局のところ契約とはどういうことなんだろう。改めて考えてみると分かるようで全然だ。目紛しい
あの頃より、少しは成長してるのかな。演技でも堂々と演じられるようになったんかな。
唇を重ねた接吻から唇を舌でなぞるキスにハグ。食堂でご飯を食べた後、入浴する時間がやって来る前に毎晩愛でられてる。これが日常だ。よっぽどのことがない限りこのルーティンは崩れることなく、結果的にお風呂に入るのはうちらが一番最後だ。耳が熱くなり、うちはかき消すために頭を振った。
「か、カリンちゃん。今から先輩達が話したいことがあるからゾーンで集合やって!」
鞄からノートパソコンを出し、説明通りにアカウント名を検索するとヒットする。授業でも機械オンチが未だ絶好調なので内心ほっとしたのはここだけの話だ。
「如月ちゃーん、水瀬ちゃんも見えるかな?」
手を振る部長は既に寝巻きで抱き枕まで準備している。これ、リモート会議やっけ?幸先から不安であるが、ちほちょんを除いては顔を引き攣らせていないから通常運転なのかもしれない。
「はい!ほら、カリンちゃんも」
「おはようございます、皆さん。音声映像共に良好です。先ほどはご迷惑をおかけしてすみません」
「ご馳走様な場面だったからね。ビックリしても仕方がないよ!次からは気を付けてね」
部長、鬼灯先輩が笑いながら黙ってるんでそっちも気を付けてください……。
「よし、八人全員揃ったね。起立!礼、着席!」
普段の作法がもたついて一つもやっていない。部長だけが唯一見切れてた。
「挨拶後は基本的に副部長である麗ちゃんが仕切ってくれるんだけど、今回はあたしがやるから、聞き辛かったり映像が乱れたら回線のせいにしてね。良いニュースから聞きたい?悪いニュースから聞きたい?」
「悪いニュースからでお願いします」
「ごっめーん。一回は言ってみた……えええ!?麗ちゃんがノッてくれた!?悪いものでも食べた……?」
「ハッ倒したいところですが、その話題は脇に置きまして。後の方が聞こえが良いのではないかと思います」
茶番が入り、和やかな空気にスイッチの入った部長の眼差しがメスとなって切込みを入れる。
「実はね、文化祭二日目での演劇発表は白紙になったんだ」
事実の大きさが個々のキャパを超えている。小さな窓に映るほぼ全部員が咀嚼も出来ずに唖然としていた。
「どうしてっすか!?なんでそうなったのか説明してください。生徒会っすか?教員会議でですか?文化祭は拙者達にとって一大イベントへのワンステップっす。文化祭の公演が無かったら選定カップリングなんて……」
「あっ……」忍さんのは止めておいた方が良かったことに気付いたそれだ。隣に座るシェリー先輩の表情が沈んでいる。
文化祭での演劇が中止?公演といっても付属の幼稚園で読み聞かせをしただけなのに……?選定カップリング?
大きさと数が合わない。チラりとカリンちゃんを見ると、表情を全く崩していない。どうして平然といられんのかな。
「大きな目標として特訓してくれた一年生やここまで支えてくれた二年生にも本当に悪いと思ってる」
思い詰めた顔をしないでください。うちも何故、演劇部だけ出番がないのか理由は分からないけれど、部長が一番苦しいのは画面越しからも伝わる。彼女は三年生で部長だ。
やのにまた、うちは言葉を声に乗せることが出来へん。基礎が出来ても根本が無理なんかな。
「僕が思うに、それを覆すような代案があるよね。キャプテンさん」
のんびりと話題を振ったのは部を取り締まる二人ではなく、彗星の如く登場した千遥先輩。「おにぎりの抱き枕、ホウちゃんにもらったものだね。可愛いね〜」とマイペースに手を振っている。
「これは懸賞で当選してもらったウメ君だからコネを使ったわけじゃないよ!」
「乃音さんってば……」
「ごめんごめん。次善の策として、みんなに全国大会に出場してもらおうと思うんだ」
夏の合宿で観に行った、全国の高校の優れた演劇部が集って闘う場所ーー全国高等学校演劇大会。優勝した高校は二連続だった。登場するのが人間ではなく、全員動物の斬新な劇で、人の新たな可能性を実感して鳥肌が立った。
この案にはカリンちゃんも目を見開き、音を拾わない声で「全国大会」と唇を動かしている。
「良いですね!高校の部活といえば全国大会……は言い過ぎかな。えみみんも出場したいよね!」
「あ、うん!でも、本当にうちらが出来んのかな……」
「うち……?」
「大丈夫、大丈夫。遅いスタートでも戦場に立っちゃダメだと誰が言ったか!一部の評論家と一部のみだ!ただ、やるからには本気だからね」
こめかみに触れる厨二病ポーズで決めた彼女に「決まりませんでしたね」と副部長が毒づいた途端、画面が抱き枕にチェンジした。後が大変そうだけど、部長の言う通り今まで以上に本気で取り組まねば他校のレベルに追い付くことなんてない。心配ごともあるが、情熱の灯火が心の中に宿る。
「あの。"してもらう"の発言はいささか問題があるとお見受けしますが」
画面に収まるように手を上げたカリンちゃんが指摘をした。たしかに言われてみれば変だ。部長なら『するよ!』『しよう!』と誘いつつも団結する力を持つ言葉を使用する。
小さい画面先で忍先輩と慰め合っていたシェリー先輩が喋り始めた。
「ノンノンは三年よ?来年あるゼンコクには参加しないに決まっているじゃない。カリンちゃんなら察することは出来たのでは?」
癪に触ったのか、それとも傷がまだ癒えていないのか言葉には棘がある。けれど、うちにとって重要なのはそっちじゃない。
部長が……いない?ほんまに?唯一の三年生で、まだ、憧れの人が演じるのを待ち望んでいる自分がいて、「そうだね」と頷く部長が嘘の演技してると信じたかった。
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