第5章 告白

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第5章 告白

 血塗れた硝子と紙屑が床一面に広がっていたと思えば、奈落へ身体が沈んでいく。手を光に伸ばしたくても、縄できつく縛られていて、見つめることしか出来ない。何回目の穴を通過した後、笑い声が反響して聞こえてくる。見ない正体に不気味さを感じていると、 『気持ち悪い』 『壊しちゃいたいな』  誰かに食べられた。  意識がぼんやりと覚醒し始め、暖かな陽の光が目元を照らす。眩しさより腫れて重い瞼の方が大変で視界が狭まる。頭だけでなく、全身どこもかしこも痛くて起き上がろうとしてやっぱりやめた。腕の中で抱いてたはずの守君ぬいは忽然と消えていて、寝相が悪かったんか……と苦笑してみる。 「如月!」 「は、はい、おはようございます……っ!」  直立不動すると、笑いがどっと起きた。ノンレム睡眠の状態からぼんやりしていた思考と視界がクリアになり、憤怒の形相を見せる小松先生に「後で職員室」と叱られるフラグが立った。  午前の授業が終わり、クラスメイトが廊下が足早に去っていく。お目当ては学生プライスの購買部が妥当だ。学園内にある階級も上の位ほど附属のレストランへ食事を楽しみに行き、その他の子は購買や弁当が主流。ただし、一般家庭出とは限らない。 「今日は迷わずに来られたな」  そりゃもう二学期ですから、迷宮に迷い込むような失態は犯しません!……なんて約束は出来ず、ここにうちがいる=廊下でちほちょんを待たせているのだ。定例化した挨拶もほどほどに本題に入る。 「如月の読書感想文、クラス代表で選出することになったんだ。おめでとう」 クラス……代表……、うちの読書感想文が……? 「フリーズしてるな。現実だ安心しろ。どうした、選出されるの人生初だったか?」  返事をしても未だ信じられない。夏休みの定番である読書感想文は個人の判断に任され、単位か自信がない限りまず弾くに違いが、その分、強者が揃っている。 「あ……はい。今までは結衣ちゃ……友達がクラス代表なのはありましたけど、自分が何かの賞の代表になるのは人生初めてです」 「演劇部で脚本とか興味ないのか?」  脚本。劇の筋書きを描き、台本を作る人だ。うちよりも才能のある人が向いてる役柄。 「………なくは……ないです、けど……。私よりも話を作るのが上手い人は演劇部にいますから」  例えなど無くても現役作家でキャラ愛が深い千遥先輩なら世界観がなんだって傑作で間違い無い。エチュードで表現だけでなく話の広げ方が上手いシェリー先輩なら惹き込ませる才能があるかもしれない。  忍先輩なら、鬼灯先輩なら、ちほちょんなら、カリンちゃんなら。部長自身が輝くのなら。 「……といった具合で他にも候補の子は沢山いますから、私如きが……」  椅子の足がキュッキュと鳴り、一周回っても先生の髪は乱れない。こめかみにペンをぐりぐりさせつつも、「ふーん」と相槌を打った。 「……あの、何か?」  小松先生は二つ折りにした原稿用紙をパラパラと捲り、ため息をつく。興味無さ気でもあったから、再提出なんだろうかとどこか安心した。 「再提出がない生徒に出会ったことなぞ、教師生活で一度もなかったんがな……。漢字の間違いすらなかったぞ。如月、大したもんだな」 「はい……締切までに直し……はっ?」  現代文の先生相手に漏れた一声に気付き、慌てて口を隠すけどもう遅い。鳩が豆鉄砲食らった顔をする小松先生が強面の顔に戻らないうちに口を塞ぎながら謝った。 「はっ、ははは!やっぱ、おもろいなぁ、如月は」  小松先生は突然吹き出し、お腹を抱えたことに他の職員の先生もこっちを見る。 「おもろい、おもろい。物静かなやっちゃなあ〜、学園に馴染めのかいな〜と心配してたのが杞憂やったわ」 「あ、あの……?」 「すまんすまん、こっちの話や。あ、別に謝罪を失笑したわけやないで?お前みたいに謙遜的で素直な奴はなかなかおらへんと思ってな」  ますます先生が何を言ってるか分からず、とりあえず頷いておいた。褒められてるんやんな? 「ここには親や社会が作り上げた衣を羽織って、名誉の為にも自信満々な奴らが多いやろ?誰かを上げるより自分を下げる方が非常に難しいのもおんねん」  聞き流しも出来ない生徒への愚痴を苦笑で受け止めてると、ボールペンの赤の芯が出てくる。 「せやけど、人生では自分を卑下した方が損をすることが多い。何か踏んでも毛躓いても堂々した方が、自然と良く見えることがあんねん。そうは思わへんか?」  うちの頭の中には二人が浮かんできた。一人は女の子には目がないし抜けてるところもあるけど、先頭を走る部長。もう一人は掴めない雲のようで自分らしく進んでくカリンちゃん。全く似てない二人に既視感を感じるのはそこだったのかと納得するも、うちの目指す姿のようでどこか違う。 「そうですね……。堂々としてた方がカッコイイと思います。うちにはその山頂に着くのも無理かもしれへんけど……」  また失言をしてしまった。あかんで、うち。弱々しくなると吐露しやすいのも考えものだ。 「今話したのはあくまでガワのことや。話は変わるけどな、如月はこの感想文に選んだ本を読んで、主人公は何故、帰郷せえへんかったと思う?」 「えっと……、家族に会いたくなかったからですか?」 「その判断をどう思った?」 「正しい選択……と同時に彼の心の闇を変えるのなら帰郷するべきだとも思います。過去と向き合わないことの方が彼にとって辛いことですし、彼自身を失うという未来がみえました。……これ、感想文に書いたはずじゃ……」 「それでええねん。俺が読んだ時は帰れよ!はぁ?で終わった記憶があるんやけど、如月は違う。俺も俺の思ったことに間違ってはおらへん。作家は作品だけ遺して引退したから真相は分からへんやろ?作者がどう思ってようが読者がどう思うのは自由であると一緒で、その逆も当然ありなんや。だから、自分の気持ちに対して堂々としてええ」  似たようなことをうちはカリンちゃんに言われたことがある。見掛けによらず、中身の温かさや優しさに気付いた瞬間であった。  先生のスマホに電源が入る。愛娘さん二人と綺麗な奥さんがいて先生は写っていない。写真を撮られるのが大の苦手なのは意外だった。 「どんなに取り繕ったガワを着ても評価が絶対良いとは限らん。皆が皆、同じ人間とちゃうからな。ナカミなんかさらに想定不可能やろ?評価したもんと全然違うちゃうかもしれんしな。それでも、自分の選択を信じられええねん。変化も……」  そこまで語りながら「俺としたことが放任主義のらしからぬら言葉やったな」なんて穏やかに笑っていた。 先生の言いたいことが十分理解したわけじゃない。ただ、パズルのピースが残りいくつ足らないのか、ヒントをもらったような気分になる。 「結局のところ、ナカミもガワもをどうこう出来るのは自分自身やったりする。鍵を渡されても解除しやんと入らへんようにな」 「自分自身」 「人間とは考える生き物や。考えて考えてるうちに見つかることもあるし、失うこともある。『主人公は闇に盲目になっていますし、そのことに気付いてないと思います』……これ、俺はめっちゃおもろいと思うで。時には盲目的になって自分を騙してもええんとちゃう?」  小松大輝先生は一年二組の担任で三年生の現代文の先生でもある。不登校生徒の担当と演劇部の顧問をしてる割には自他ともに認める『放任主義』を貫いており、家族第一で退勤してる。それでも愛されるキャラなのは、これだろう。  うちは黄色の付箋を渡された。Q&Aがビッシリと書き込まれ、消し跡が残り、インクが飛んだ形跡もある。先生の机の周りには似たようなものがたくさんある。唯一異なるのはうちの付箋には赤い文字で『図書室 裏 歴代脚本ココに眠る』と書かれた宝の在り処だ。 「また『きさらぎ』に食いに行くからな。お袋の豚玉に近しいものを感じて懐かしいんや」 「是非ご家族でいらしてくださいね。うちの父ちゃんが腕によりをかけて作らせていただきます」
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