第5章 告白

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第5章 告白

「はい、ではまた明日よろしくお願い致します。夜分遅くに失礼しました」  見慣れたホーム画面に戻る。床に突っ伏したうちは長く息を吐いた。 「随分、緊張していたようね。お疲れ様」 「びゃっ!?」  うなじに冷たい物体を押し付けられて飛び起きた。弛緩してたとはいえ、カチコチに固まってた体への負担は凄まじくて腰に鈍い痛みが走った。 「い、いきなり驚かさないでよ!」 「疲労には甘いもの。貴女だってココア好きでしょ?」 「だからって、コールドじゃなくてええやん……」  さすがにこの時期、冷房に頼ることはない。それでも彼女は根っからのコールド好きで雫が滴る缶ココアをごくごく飲んでる。 「冗談よ。ほら、ミルクココアのホット」  勉強机の上にマグカップが置かれ、一口含むだけでココアのほろ苦い甘さとふわふわの湯気が芯から温めてくれる。腰を撫でてくれるカリンちゃんの手つきも優しくて温かみがあった。 「これはマドレーヌ?」  ココアと一緒に持ってきてくれた皿にシェル型のお菓子があった。チョコ色とバター香る黄金色。しっとりとした味にレモンの爽快な味もする。 「美味しい。ありがとう」 「どういたしまして。草原先輩は教えてくれたの?」    電話越しになってしまったが、役者を知るため、またそれを劇中キャラに反映させるために取材を行っていた。うちは色んな人に背中を押されてようやく動き出せる気の小さな奴だと改めて自己分析出来たのは大きな収穫だった。 「後輩とはいえ忍先輩とシェリー先輩の過去話に触れていいのかと思ったけど、カリンちゃんがアドバイスしてくれたみたいに『思い出を教えて下さい』と伝えたらたくさん話してくれたよ」  話の内容は楽しい出来事が多く、聞いていてこっちも元気を分けてもらえた気分になった。盛り上がるにつれ、気を良くした先輩が口を滑らせ、深掘りしなくても話題に触れてくれる。書く材料である以前に先輩達を知れたことで仲が深まった感じがする……と思っちゃうのはまだ興奮が冷めないからかも。 「そう、良かったわね」 「カリンちゃんのおかげだよ、ありがとう」  電話をかける数時間前から手汗びっしょりだったうちを心配し、彼女は同室で待機していてくれた。感謝の気持ちが届いたみたいでカリンちゃんの口角が少し上がっていた。可愛いな。癒されてれば額にふにふにしたものが押し当てられる。 「恋人を応援するのは当たり前のことよ。体を冷やさないように次の取材も頑張って」  蜂蜜入りシャンプーの香りがふわりと浮かび、水分をよく含んだ長い毛先が鼻の上に落ちてくる。うちに微笑んだ恋人は部屋から出ていった。 「カリンちゃんとうちが恋人……」  距離感は帰宅後も変わっていなく実感はない。言葉にすると胸の奥でぱちぱちと何かが弾け、頬が緩む。ここは現実なのかと瞬きを繰り返していると、スマホが鳴った。 「わっ!?……あ、部長だ……」  次の取材相手は部長だ。 「部長、お疲れ様です」 「お疲れ〜、笑咲ちゃん。どうしたの、何か相談事?」  部長には『電話してもいいですか?』と冷静に考えてみたら謎のメッセージしか送信出来なかった。二つ返事と時間が送られてきて、今もその寛大さに甘えている節がある。 「あ、あの……、その……」  本番になると弱い癖はどうしたら治るものなんだろう。忍先輩達への電話でも第一声の前に舌を噛む失態をおかした時は顔から火が出るほど恥ずかしかった。 吃るうちに対し、部長は何を勘づいたのか「もしかして……」と呟く。 「恋愛相談!?なになに、誰々?」 「……はい……?」  どうやら肯定と受け取られたらしく、「やっぱりね!」と言われてしまった。声にハリがあり、電話越しに鼻息がかかる。 「そっかー……ついに笑咲ちゃんにも春が来たかー」 もうその方向で行くみたいだ。春が来たのは事実なので声を出さずに小さく頷いた。 「一度きりの青春だからね、結構結構。その人、優しい?大事にしてくれそう?」  恋人になる前から、ペアになる前からうちの面倒を見てくれている。ココアだけでなく、毛布を置いていってくれたようだ。きちんと畳んである。広げると頼んでいた守君の毛布だ。いつの間に。カリンちゃんのつけてる桜の香水が体を包み込み、暖かくてぽかぽかする。 「……は、はい……。とっても……」  言葉にならない悲鳴を上げられ、羞恥で居た堪れない気持ちになる。もう少し環境が整ったらカリンちゃんが恋人だってこと報告したい。 「ぶ、部長にはいますか?気になる人、とか……」  言えた。聞けたで!言い返しや、うち!  部長の話が本当なら後数ヶ月しか部活に顔を出せない。忍先輩の時もそうだったが、何より、もっと演劇部員の先輩達と仲良くなりたい。 「気になる人かー……。いいなあと思う人はいたね」 わっ、人の恋愛話ってめちゃくちゃやばい、エモい! 「そうだね〜」  溜め込みから誰かの名前が出てくることにドキドキした。ココアで喉を潤していると、電話の声がこもった。内緒話だとすぐに分かり、うちも耳をよく聞こえるように当てる。 「卒業した先輩なんだ。真面目で仕事も出来る副部長で男役になると華やかな人でね。すっごく天然で小動物みたいな可愛さがあるの」  部長は上擦りの声になっていて、言葉の端々から好きの感情が漏れている。うちは大好きな先輩に好きな人がいて、嬉しくなった。  部長は聞き返さなくても調子を良くしたみたいでその先輩との思い出を話してくれた。真面目といっても普段からおっとりした優しいタイプで学年隔てなく、接してくれたようだ。 「星宮先輩はね、些細なことでも気付く人なのに自分に向けられる感情には本当に鈍くて……。自分のファンの子なのに違う子のファンだと思って部室に連れてきたりね」  笑い混じりに喋る部長が涙を指先で拭う姿が容易に想像出来た。それと同時に、その人が部長の原点に当たる人かもしれないとどこかで思った。部長も分け隔てなく接し、気遣える素敵な人だ。 「素敵なお話をありがとうございます。楽しい時間を過ごせました」 「あたしこそだよ。演劇部だと恋愛禁止令があるけど、そうでもそうでなくても楽しんで」  聞き間違いやろか。今、恋愛なんちゃらって、部長言ったよな?そういえば、ちほちょんがエレベーターで選定カップルがなんたらって……。 無言になったうちがあからさまだったみたいで、部長が小声で「まさか」と口走ったのを拾った。謎の空気が漂う中、部長が、 「……そっか。あたしが辞めればそうではなくなるのか」  納得した言いように全身の穴から汗が噴き出る。違います、そういう意味じゃ!! 「あ、勘違いしないでね?あたしもそろそろ部長業から降りることに……演劇部を卒業しないといけなくて。三月までは臨時として行くよ?四月に笑咲ちゃん達に伝えたペア制度も……誰も継がなくていいのかこれ」 「待って下さい……、そんな大事な話、皆がいる時じゃないと……!」  ペア制度廃止、引き継ぎ云々は部員全員が揃わないとダメじゃないか。特に鬼灯先輩がいなきゃ話が進まない。 「それに、全国大会へ出場出来なかったら廃部が決定事項だから、皆、別にもう無理しなくても良いんだよ〜ってことを教えたくて………あっ」  さっきのと比較にならない衝撃。重い鐘を鳴らしたような響きが時間差でやってきた。 「は、廃部……?」 「あーー!!先に麗ちゃんに言わないといけないんだった……。ひっ、こういう時に限ってメール来てる!?ご、ごめん。笑咲ちゃん、おやすみなさい!」  ツーツー。通話は切れてホーム画面が映し出される。スマホ本体は熱くなり、二パーセントしか充電が残っていない。  前に部長から良いニュース悪いニュースを聞いた時や、欲望に飲まれながらもちほちょんが言ってた選定カップリングの件の出来事が思い出される。その都度、重要な情報よりも別のことに気を取られていた。他人を分からないといけないのに自分のことで精一杯だった。  じゃあ、今のうちがしとることも全部自分勝手?相手に何の気遣いもなく? 「笑咲、通話終わったのならお風呂に行きましょう。城ヶ崎さんや千遥もいるけどいいかしら?」  扉の向こうからカリンちゃんの声がした。 「あ、うん……いいよ、すぐ、行く……」  うちは残ったマドレーヌを口いっぱいに詰め込み、ココアで流し込む。底に粉が溜まり、最後の口当たりは甘さの欠片もない粉っぽさに噎せた。
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