第1章 変わりたい!

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第1章 変わりたい!

 小さな石段の上に『ようこそ』と書かれている玄関マットが敷かれていた。扉の隣に年季がはいった看板が掲げられ、達筆な字で、 「アイリス女子学校?」  百合ノ花ではない学校名の下には同じ筆字で演劇部とある。学校の学は昔の字だ。 「行きましょう」 「ええ、ちょっと、ちょっと待ってください!」  ドアノブに手をかけた彼女に制止の声を出すも、向けられた鋭い瞳に凍えてしまいそうになる。怖っ。うちは目を合わせないように口を開いた。 「違うかもしれないじゃないですか……!ここは学生の部活ではなく……そう、保護者……ママさんバレーのような部活とか!」 「何を言っているのかしら。OGや保護者の部活がこの学園にあるなんて考えられないわ。彼女らがコーチとして招かれるのなら分かるけれど」  正論と図星でぐぅの音も出ない。だからといってここがそうだと確信がない。じゃあ、あんたどこにあんねん?そんなんうちが知るかいな!夫婦漫才状態だ。もちろん心の中で。 「貴女もそう思ったからここにわたしを連れてきたのでしょう?わざわざ手を引いて」 「そ、それはそうですが、違う演劇部……って、え?」  聞き間違いでなければ、『わざわざ手を引いて』と言ったはずだ。いや、まさか……なぁ?これも間違いでなければ左手がなんやひんやりして気持ち良い。うちは人間カイロごとく体温が高く、冷え性とは無縁だった。  え、うち……まさか……。  徐々に視線を下ろすとクリームパンのような手が誰かの手を包んでいる。その誰かとは一人しかいない。ため息が聞こえ、血の気が引いた。  なんでうちがこんな大胆なことを……!?それより早く謝らんと!  頭では理解してもかなり動揺していて、美女が口を開いたのを一瞬見た時、怖くて目を瞑った。 「そういうわけだから、突入するわよ」 「ごめんなさ……はい?」  勢いよく扉が開く。どうやら鍵がかかってなかったようで、今度はうちが連れられていく番だった。  お揃いの赤シャツを着た集団が円になって立っている。笑い声が止む。全員の視線がこっちに集中し、手を繋がれているうちは逃げることが叶わない。団子ヘアの人がうちらの元へ近付いてきた。 「高等部一年一組 水瀬(みずせ)カリンと申します。演劇部入部希望です」  堂々とした佇まいで自己紹介する水瀬という美人にうちは目を見張った。  うちと同級生なんや!?うちなら知らん人の前では絶対噛むし声震えるのに、尊敬するわ……。  一学年九十人の為、クラスは成績に合わせて三つ。つまり、彼女は顔だけでなく頭も良いということだ。やばい、と語彙力低下した感想を抱いた。  水瀬さんの自己紹介に団子ヘアの人が感嘆の声をあげる。 「え、一年生?新入生!?新入部員だ、みんな!」  あ、ちょっと……!私は見学に来ただけなんですが!?  音にも乗らない言葉は当然相手に聞こえるわけがない。嬉し気にやって来る残りの先輩達に空いた方の腕を引かれ、壇上の前に二人は並んで立つと、拍手で迎えられてしまった。  どないしたらええねん。まさかこんなことになるなんて。どう誤解を解けばええ?連れやから友達と一緒に入部するなんて思われとる?  もしそうならとんだ勘違いや。どう切り抜けようか必死に思考を働かせていると、水瀬さんが軽く頭を下げた。不純物のない髪が流れる。 「はじめまして、高等部一年一組 水瀬カリンといいます。演劇は全くの経験がありませんが、演じることに興味があり、ここへ来ました。日々精進していきますので、御教授よろしくお願いします」  パチパチパチ。お迎えムードの拍手を送られた水瀬さんはもう一度頭を下げ終えてから息を着いた。  隣から視線が移動し、うちは硬直した。見知った知人のの前ならともかく、初対面のしかも複数人の前での自己紹介は地獄のように感じた。逃れるように床に目を落とすも、床を見続けてなんかいればそれこそ待っている相手に迷惑だ。  な、何を言えばいいんや?まずは名前にクラス、それから……、なんでうちが入部する前提になっとるの!?  見学に来ただけやのに、そう思っていても口に出さなきゃ伝わらない。  スカートの裾を摘み、まずは顔を上げてみる。体に穴が空くほどの視線。 「わ、たひ……」  声が震えてしまう。クラスでの自己紹介はまだ行われておらず、リハーサルもしていない。  どこに焦点を合わせたらいいか四方八方に視線を動かせていると、見覚えのあるものが目に映った。黒地肌の部員が腰に付けているラバーストラップ。洋書を広げる三白眼の男キャラ。 「如月 笑咲、高等部一年二組です。本日は見学にやって来ました。さっきのは先週の『ラビリンス』の台詞ですよね!しかもそのストラップ……私も守君、大好きなんです!」  しん、とした効果音が合うほど静かな反応。  あ、やば。なんかはしょったし、アホなこと言った?  しかし、そんな心配は要らない明るい声が発しられた。 「ソウデス!コレはラビリンスに出てくる守クンデスよ〜。コーハイちゃん、オメガタカイデスね!」 ストラップを持った先輩がその場に立つ。クルクルとした短髪でボーイッシュに見えるが、笑顔から白い歯がこぼれていてキュートだ。 彼女に続き、隣のサイドテールの少女も立ち上がる。 「後輩ちゃんもラビリンス知ってるんすか?」 「あ、あ……あはい」 「そーすっか!良かったね。拙者は(しのぶ)、こっちのクールな女の子はシェリーっす」 「コーハイちゃんヨロシクね〜。シーノもキュートでカワイイからね〜」  握手を求める忍先輩はうちとさほど身長に差はなく、内心驚いた。今まで身長が同じくらいの人や先輩に会ったことがない。 「もー、拙者は美人でお姉さんなんすよ!あ、よろしくね〜」 「よろしくお願いします。しー…のぶ先輩はシェリー先輩のお姉さんなんですか……?」 「二人の立ち回りみたいなものなので、気になさらなくても結構ですよ、如月さん」  一番後ろで一部始終を見ていたロングヘアの先輩が席から離れ、二人の隣に立った。忍先輩のサイドをクルクルし出すシェリー先輩を視界にも入れず、口を開く。 「はじめまして。こんなところですが演劇部に見学に来て下さり、ありがとうございます。歓迎します。水瀬さんは後で渡す入部届けを書いてくれたら私が提出しておきますのでお願いしますね。こちら部活詳細の冊子です」  尖った目元が緩み、相手の顔を見つつもテキパキ振る舞う様はまるで仕事が出来る女だ。雰囲気も大人びていてカッコイイ。 「本日のトレーニングは聞いた事のある台詞を……」 「マイネームイズ?」  説明中だからか大人しくなった忍先輩の髪を三つ編みにしつつシェリー先輩はキャリア女子高生の肘をつついた。咳払いを一つすると「失礼」と軽く謝った。 「鬼灯 麗(ほうずき れい)、高等部二年でこの二人と同じ一組にいます。以後お見知りおきを」 「鬼とかレイとかイワレチャウのがバッドなのよ〜。ホウちゃんかホウホウでヨロシクね〜」  シェリー先輩を睨み返す目はとてもキツく見え、うちは視界にいないのに蛇に睨まれた蛙みたいに体が震え上がった。 「……鬼灯先輩が副部長でよろしいですか?」 「え!?」  うち一人の声が上がり、咄嗟に口を塞いだ。  嘘やん!?二年生とは言ってたけど、明らかにこの先輩が部長じゃないの?  質問した当人は二センチある資料をもう開いて読んでいる。 「ホントよ?ホラ、今、座ったままベショベショしてるのがここのブチョー。守クンのセリフを言ったのも彼女なの」  シェリー先輩が退くと体育座りで半泣きの人がいる。うちらのの腕を引いてここに招いた張本人だった。 「みんな、自己紹介早い。あたしはまだしてないのに」  「出番見失った〜!」体育座りのまま左右に揺らす彼女の元へ直ぐに駆け寄ったのは鬼灯先輩で正座になるなり、背中を優しく叩いている。 「誰も乃音(のん)さんのことを忘れてなんかいませんよ。大事な大トリは最後に残しておくものです」 「空気を壊しちゃダメだとモブのようにずっと見てました……。女の子尊い」 「正常ですね。さあ、立ってください。乃音さんも登場人物なんですから」  ちょっと会話がズレている気がするが、立ち位置は先生と生徒……いや、親と子だ。  乃音さんという人はスカートの汚れを落とすと、腫れた目でうちら一年生を交互に見た。鬼灯先輩達はそれを確認すると三歩後ろへと下がっていってしまう。すると、目の前の先輩は眼鏡の奥を光らせた。 「おはようございます。高等部三年生三組、当演劇部の部長の鬼頭 (きとう)乃音!一緒に青春演劇して、皆を感動させようよ!」  窓の外から絶えず聞こえてきた応援歌、演奏がシャットアウトされたみたいだった。特別大声を出した訳では無い。堂々とした風体でよく通る良い声。うちは自然と鳥肌が立った。  なんで?自己紹介聞いただけやのに?  丸くなっていた背が伸びているけど、力み過ぎていない。むしろリラックスしているようにも見える。  ドラマでよく観る元男役の女優さんが浮かんできた。 「あの、乃音部長。如月ちゃんは見学に来ただけっすよ?勧誘とはいえ、ありがたーい新入生を怯えさせちゃったらどうするんす?」 「え、嘘、聞いてないよ!?」 「それ、ゴフンくらい前にガンバって言ってくれたのよ?ノンノンだけにノー言われちゃいマース」 「辛辣っ!」 「……はぁ」 「なんか言ってよ麗ちゃん!ごめん、謝る、謝るからあ!逃げないで、怖くないよ〜。楽しいよ?」 「「不審者だ」」 「うちの子達、酷過ぎない?」  光景は本の一分前と同じ、賑やかな雰囲気で自己紹介の空気がどんどん崩れていく。鬼頭先輩は水瀬さんの手を握りながら泣いて懇願してれば、形相の鬼灯先輩の腰に必死に忍先輩が腕を回し、その後ろの肩を笑顔をシェリー先輩の手が乗せてある。阿鼻叫喚というのだろう。  そんなごった返しすら今のうちは見えていない、届かない。鼓膜に残る感動はまだ続いている。  自己紹介だけであんなに堂々と出来るなんて。噛まずにハキハキ話してて、感動すら覚えた。うちもあんな風になりたい……!  心の底から湧き上がる興奮、期待、希望。体温が更に上がった気がし、趣味に浸る時以上のものだった。 「あの、彼女がどうであれ、わたしは入部しますから落ち着いてください」 「でもね、出来れば二人の方がいいな〜なんて……」 「部長、その発言にはさすがに私も怒りますよ?」 「……入ります」  喧騒した場にはまだ声は届かない。腹の奥に力を込め、手を握り締める。そして、思いっきり息を吸った。 「入部させてくださいっ!」  黒髪のショートヘアが前に勢いよく下がる。入学前に切ったおかげで軽い。でも、熱意は固くて熱量は重い。 「初心者ですが、よろしくお願いします!」
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