第1章 変わりたい!

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第1章 変わりたい!

 反対方向にある窓際に連れて行かれる。三重にもなった集団が誰かを囲んでいて、爪先立ちをしても前の人の旋毛を見るので精一杯だと思った。 「何を仰っているのかいまいち……」  水瀬さんは眉を動かし、うちは何かおかしなことを言ったのかと自分を疑ったがやはり状況が飲み込めない。  挨拶と言っても部長達が見当たらないんやし、どないしろと。  百合ノ花のセーラー服もいれば、ブレザーを着用する者もいる。この囲みと何が関係あるのだろうか。  全く言動が読めない水瀬さんに困惑していると突然、彼女は集団の中に入っていった。流されたのではない。自らの意思で突き進んでいったのだ。繋がれた手はいつの間にか離してある。 「み、水瀬さんっ!?」  隙間からするりと入っていった水瀬さんは外からではもう確認出来ない。普通の女子高生より身長高いはずの彼女が何故あんな行動が出来るのかやっぱり分からない。  ここに誰かおんの?自分一人ではどうしたらいいか、席に着いておいた方がいいのか悩んでいると、 『俺はお前とは違うんだ。分かったのなら、もう掛けてこないでくれ』  この台詞、あの声、堂々とした言い回し。  部長のラビリンスの台詞……!だから水瀬さんはこんな中にも飛び込んだんやな。 「挨拶……か……」  あんなにもぐたぐたなうちを受け入れてくれた先輩だ。演劇に関して興味がある水瀬さんとは動機が違うけど、挨拶は大事だ。言い分も正しいように思えてくる。今を逃せば終わるまで挨拶することは不可能のはずだ。  隙間が出来たのを見計らい、腹を引っ込めて前へ突き進む。林のように連なる足を踏みそうになり、流されそうになる。 「ちょっと、痛いからやめてよ!」 「ご、ごめんなさい!」  背が低いとはいえ、力で腹をへこませてもそれは一時にしか過ぎない。しかも声を出したことで力が緩み、だらしない腹が戻ってしまう。誰かに弾き飛ばされ、うちは眩しさに顔を顰めた。 「おや、如月ちゃんじゃないか」  背中から落ちてしまうかと思っていたが、誰かの腕に支えられて難を逃れた。助かった。  赤眼鏡は外され、目元に青のアイラインが入っている。顔に影が出来ているものの、美形であることは直ぐに分かった。 「部長……おはようございます、さまです」 「あはは、ありがとうー。あたしの隣にお座り?」  部長の左隣には水瀬さんがいた。うちは部長のドレスをお尻で踏んづけないように注意してソファに据わった。三年の部長の隣に座っていても違和感はなく、右隣に座ったうちの方が異物感があって顔が上げられない。 「鬼頭様のお知り合いですか……?」 「うん?そうだよ、昨日入部してくれた一年の如月 笑咲ちゃんと水瀬 カリンちゃん。二人とも可愛いよね〜」  可愛い。セーラースカートを掴む両手に力が入る。顔と耳が熱いのは褒められたからなのか、肩を抱かれたからなのか。うちのどこに可愛い部分を見出したのかもさっぱりだけど、頭を下げた。 「あああ、りがとうございます」 「ほらね、可愛い」  上機嫌な部長の言葉に釣られてなのか、周りの女子達も頷き合っていた。うちが他人からの初めての評価を必死に飲み込もうとしていると、この奇妙な空気を指摘したのは顔色一つも変えていない水瀬さんだった。 「鬼頭部長、先ほど鬼灯副部長が鬼の形相でメイク室の前で仁王立ちされていましたよ」  そういえば他の先輩達はどこにおるん?  ここには部長を囲む女子が沢山いるが、演劇部員はいないようだ。部員なら彼女のことを鬼頭様とは呼ばない。  笑咲は肩が揺れていることに気付いた。自分の肩ではない。回った手が小刻みに震えている。隣にいる本人の顔を覗くと顔が青ざめていた。 「本当……?」 「あ、言い方が駄目でしね。微笑んだ鬼灯副部長が丸めた台本をお持ちですよ。『リップサービスもほどほどに』との伝言を預かっています」 「そっちの方が駄目じゃない!?今、い、いい行きます!演劇楽しんでいってね!あ、二人は部員だから前列に座ってね」  一年部員を挟んだ部長はすぐさま立ち上がると、集団をかき分けていく。ホールの何もない所で盛大に転ぶも、またすぐに体勢を整えて階段に上っていった。ロングドレスを束のように持ち上げていた。 「おいたわしや、鬼頭様」  部長がいなくなると取り囲んだファンは一人、また一人と掃けていった。真ん中をぽかんとあけたソファに取り残されたのはうちと水瀬さんだけ。声を掛けるか迷ったけど、やっぱり口を噤んだ。  それにしても、べっぴんさんやな……。  長い睫毛は上向きになり、虚無いた儚い瞳、鼻筋はすーっとしていて、童顔でぽっちゃりのうちとは全く違う。座高が大して変わらないおかげで昨日より観察が出来る。チラ見しても美人やから、見返りされたら石化しちゃうんちゃうの?言霊は胸の内でも効果があるらしい。水瀬さんの両目がこっちを見た。石化はしなかった。 「公演まで十五分よ。そろそろ席に着いていた方が良いんじゃないかしら」 「あ……、ああ、そうです、ね」  たしか前方の席に着いてと言われてたな、と思い出す。ちほちょんと隣の席じゃないのは残念で仕方ない。 「ほら、行くわよ」  目下に手の平が現れる。手相が肌の色と同化するほど薄いことにまず驚いた。 「何してるの、早く行かないと遅れるわよ」  微動だにしない手と水瀬さんを交互に見つめ、うちはやっと理解した。手を取れ、と。  自分で立てるんやけど……。何故、いきなり紳士的に?同じ部員やからといって、一緒に入らなくてもええよな?  集団の中に入る勇ましさといい、本当に演劇部かどうか分からないのに門を叩いたり。結果として正解だけど、顔一つ変えない数々の言動には凄いの評価を超えていた。 「わっ……!」  美人は凡人の躊躇を待てなかったらしい。また彼女の柔らかな手指に包まれてしまう。エントランス内の視線が交わる中、水瀬さんはうちを連れて会場に入っていった。  羞恥に耐えきるなんてうちには到底不可能なのに、汗で滑り離されないように指を折り曲げた。声を上げても解放してくれずに白い目を向けられるルートが過ぎったわけじゃない。わけじゃないんだけど、とくとくと打つ脈はどっちのものなのか、何故、そう感じるのかはその時のうちには皆目見当もつかなかった。
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