十、屍の見る夢

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 僕は兄さんと暮らしている部屋へと帰宅した。  兄さんはリビングのソファーで本を読んでくつろいでいる。 「御子柴さんは元気だったか」  兄さんが僕に声をかける。 「まあね」 「そうか」  御子柴はいつだって変わらぬ調子だから、元気がある時とか、元気がない時とか、そういった変化は見られない。それは兄さんも同じことだったが。  僕は御子柴の婚約者の遺影を思い出した。あの隣には御子柴の遺影を飾るべきかもしれない。僕の家は写真を飾る習慣がないから、両親の遺影もしまったままだが、もしどこかに置くとしたら、兄さんの遺影も並べるべきなのだろうか。そうしたら、弥生も一緒に並べてほしいと願うかもしれない。  兄さんはこのまま、僕のせいで死にきれず、苦しみだけをぶら下げているのと、完全な死を迎えて、完璧な殺し屋になるのと、どちらがいいのだろう。  僕は突っ立って兄さんを見つめて、兄さんも本に目を向けたままぴくりとも動かなかった。淀んだ静けさが重苦しくまとわりついている。  兄さんはそれこそ何一つ動かさなかった。本なんて読んではいないのだ。瞳が一点に向けられたまま凍りついている。 「明音」 「何?」 「この前言った話だけど」 「……何?」 「俺が出て行くって話」  僕は黙っていた。 「俺がいることはお前のためにならないんじゃないかって、前から思ってたんだ」 「自立しろってこと? まだ高校生で、一人暮らしするには経済力に自信がないんだけど」 「そうじゃなくて」  兄さんは少しばかり呆れた顔をしてこちらを向いた。そして、僕がどんな顔をしてたのか鏡も見てないので確認のしようがないが、兄さんは僕の表情を見て黙ってしまった。 「僕にとって、家族は兄さんしかいないんだよ」 「俺だってそうだ」  僕達は半分しか血が繋がっていないが、確かに家族なのだ。 「これ以上失いたいものなんて、ないんだ」  兄さんがどうなってほしいかなんて二の次だ。とりあえず、いなくなってほしくはない。  卑怯かもしれないが、去るとすればそれは兄さんではなくて僕であり、それを決めるのは僕なのだ。 「わかった」  そう言うと、兄さんはようやくいつもの、隙のない彼に戻って、本の続きを読み始めた。  僕は今後、一筋の光も見い出すことはできない。それだけは確実だ。  兄さんは人を殺している。彼もほとんど死んでいる。  何かしらのピリオドを打つことができる登場人物がいるとしたら、僕だけなのだろうか。  それが正しいことなのかもしれない。兄さんもその方が気が楽なのかもしれない。  人を殺すことが兄さんに与えられた役目で、兄さんを止めるのが僕に与えられた役目だとしたら。重なっていく兄さんの罪はそのまま僕の罪だ。  しかし僕には、役目を果たす気力がない。  このままずっと、罪悪感に苛まれ、兄さんの身を案じ、絶望の中で伏しているしかないのだ。四肢は強ばり、動かない。  もう、誰も僕に囁くな。  どうしたらいいかなんて、わからなくなってしまった。複雑な事情を全てはがしていって、最後に残った頼りない小さな願い、僕の純粋で愚かな願いは、兄さんに消えてほしくない、ただそれだけで、それが核になって僕は形成されている。  僕は背徳者。  赤い殺し屋の弟だ。 (了)
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