コーデリの歌〜リーンの角笛による雄大な独奏曲〜

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「⋯⋯今日も練習しに来たよ。いるかな?」 「ああ、待ってたぞ。今日は何の曲を吹いてくれるんだ?」 「いつも狩りの始まりに吹くメロディを優しく編曲してみたんだ。練習したばかりだからあまり上手に吹けないかもしれないけど聞いてくれるかな」  あの日以来雨の日以外は角笛を持って夕方森を訪れている。初めは信じられなかった出来事も、今となっては受け入れている。人間の適応能力に驚くばかりだ。  狼も狼で、毎回欠かすことなく僕が来た日には角笛の練習に付き合ってくれるようになった。  五線譜の上の音符をなぞる。一つ一つの音を、自分らしい音で。角笛に口をつけ、狼のくれる助言を意識しながら吹いていると気持ちがスッキリしてくるのだ。いつも厳かに聞こえる狩りの始まりを告げる曲は、今だけはまるで滑らかな絹の生地のようにスルリスルリと紡がれていく。  最後の音を伸ばし、口を離す。空気が肺を満たし、少しだけ苦しさを和らげてくれた。 「ああ、いつも聴いている角笛とはまるで違うな。お前が吹く方が何倍も良い。動物たちもこれを聞けば寄ってきそうだな」 「えへへ、そうかな? でも、吹いててとても楽しかったんだ。前は角笛を吹くのが楽しいなんて思ったことなかったのに」 「それは良いことだ。楽しいと思えることはどんどんと上達するからな。これからも成長していく演奏が聞けるのが楽しみだ」  ふと、喉に異物感を感じた。少し咳き込む。 「大丈夫か? 無理はするなよ」 「平気平気、少し息を吸うときに気管に唾が入っちゃっただけだから」 「⋯⋯そうか」 「それより、今度はどんな曲が聞きたい?」 「そうだなぁ、狩りの曲は一通り聞いたから次はどこでも聞いたことがない曲が聞きたいな」  どこでも聞いたことがない曲。知っている曲は全て狩りの時に使う曲だからおそらく狼も知っているだろう。都会に行けば沢山の音楽があるのかもしれないが、生憎ここは田舎の小さな村。音楽に触れる機会なんてほとんどない。 ——しかし、ここで一つの妙案が浮かんだ。 「⋯⋯そうだ! 僕が君に曲を作るっていうのはどうかな?」 「なるほど、それはとてもいいな。私のために曲を作ってくれるのか。贅沢な気分だ」 「作るからには題名を決めないとね。ところで名前は何ていうの?」  返事が返ってこない。喋ることができなくなったのかと思い空を見るが、いつもは話している時間帯だ。 「⋯⋯野生動物だ。名前なんて存在しない」 「そうなんだね。それじゃ、僕がつけてもいいかな?」  コクリと頷いた。灰色の美しい毛並み、優しい黄金の瞳、凛々しく生えた犬歯。どれをとってもいい名前になるだろう。 「コーデリ」  完璧な見た目を文字に表すなんてことは、僕にはできなかった。だから、何の意味も持たない言葉を名前にすることにした。 「コーデリか、いいな。特別な感じがして心地がいい。ちなみにどんな意味なんだ?」 「⋯⋯意味はないんだ。本当は君の毛並みとか、犬歯を名前につけたかったんだけど、あまりに整っているから名前につけるのは逆にくどいかと思って。やっぱり意味が無いのは嫌だったよね。ごめん、すぐに別のを——」 「良い、コーデリが一番良い。意味がないなら、この言葉は私だけを表すじゃないか」 「そうかな⋯⋯! それじゃあ、今度から君のことはコーデリって呼ぶね。そうだ、僕も名前を言っておこうか。僕はリーン」 「リーンか、確かに覚えた」 「それじゃあ、曲の題名は『コーデリの歌』だね」 「そうだな。⋯⋯何だか照れるな」  冷たい風が吹き抜ける。冬はもうすぐそこまで来ているようだ。 「それじゃ、また明日来るね」 「ああ、楽しみに待っている」  角笛を持ち、帰路を少しずつ歩く。  咳が出る。どうやら風邪を引いてしまったらしい。 「⋯⋯寝れば治るかな」  布団も新しくした。温かいシチューを食べて、すぐに眠れば風邪も治るだろう。倉庫には野菜がまだあった筈だ。
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