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「テンくん、なにしてんの?」
教室のある棟とは少し離れた場所にある、あまり人気のない非常階段の踊り場。
紙パックのバナナミルクのパックにストローをぶっ刺して口をつけようとした瞬間、頭上から降ってきた声に顔を上げた。
「・・・おまえこそなんでいるの」
おもわず眉を寄せた自分を見て、ヒロムはにかりと笑って、そのまま自分の隣に腰を下ろした。
そして持っていたイチゴミルクのパックにストローをぶっ刺した。
ズズーズズズー。
昼休みということで、遠くで人の笑い声や足音が微かに聞こえる。
それでもこの狭い空間に響いているのは、お互いのストローを吸う音だけ。
「さっき教室にあの先輩きてたよ」
「どの先輩」
「髪長くておっぱいでかい先輩。テンくんいないから怒って帰っちゃった」
「フゥン」
ズズーズズズー。
ストローから口を離し、無機質なコンクリートの壁に頭を預けると、ゴツンと少し鈍い音がした。
ふぅ、と小さく息を吐いた自分を見て、ヒロムはストローを口に咥えたまま、「つきあってるの?」と聞いてきた。
「つきあってませーん」
「やっぱり?」
「わかってるなら聞かないでよ」
呆れ顔を向けると、ヒロムは愉快気に笑った。
「昨日、下駄箱のとこで一年生の女の子に声かけられたんだけど」
「うん?」
「ヒロム先輩もう帰りましたかー?って。しらねーっていったらどっか行っちゃった」
「・・・フゥン」
少しバツが悪そうに、ヒロムは小さく肩を竦めた。
「ヒロムにご執心の一年生だって佐藤くんが教えてくれた」
「その子、佐藤くんの彼女の友達だよ」
「佐藤くん一年生とつきあってるの?」
「うん、部活の後輩だって。ちなみに超美脚」
「ヘェ」
ズズーズズズー。
残量が少なくなってきた。
バナナミルクのパックを傾けて、咥えたストローを動かしながら、残り少ないバナナミルクを吸い込む。
ヒロムも同じ動作で、残り少ないイチゴミルクを吸い込んでいる。
ズズズーズズズズー。
決して美しい音とは言えない雑音が狭い空間で響く。
先にストローから口を離したのはヒロムで、ふぅ、とイチゴ臭い息を吐いて、飲み終わった紙パックを丁寧に折り畳んだ。
「テンくんなんで逃げてんの?」
ストローを咥えたまま顔を上げると、何とも言えない表情のヒロムの横顔が目に入った。
うーん、と首を捻って、「なんとなく」と呟いた。
「おまえだって逃げてるじゃん」
「そうねー」
「なんで?」
問い返すと、ヒロムも同じように首を捻って、「なんとなく?」と呟いた。
ズズッと音をたてて、最後の一口をストローで啜る。
ストローから口を離すと、すぐさま横から伸びてきた手に紙パックを攫われて、イチゴミルクと同じようにバナナミルクのパックもヒロムの手によって丁寧に折り畳まれた。
「相変わらず好きだね、畳むの」
「もう癖になってる」
綺麗に折り畳まれた二つの紙パックをヒロムは満足気に見つめる。
その横顔をちらりと見て、すぐに視線を戻した。
コンクリートに囲まれた非常階段の踊り場。
無機質な壁を見つめながら、腕組みをして、「なあ」と問いかける。
「おまえ俺のこと好きじゃん?」
その言葉にヒロムは一瞬こちらに視線を向けた。
「そうだね」
すぐに紙パックに戻される視線。
それでもヒロムの口元は少し笑っていた。
「テンくんだって、俺のこと好きじゃん」
「・・・そうね」
そう、お互いがお互いのことを好きだってことはとっくの前から知っていて。
だから自分たちのことを気に入ってくれている女子がいたとしても、どうなることもないのも知っている。
うーん、と軽く伸びをしてコンクリートの壁に身体を預ける。
しかしこういうやり取りも何度目かな、なんてぼんやりと思いながら、いつもなんとも言えない気持ちになる。
なんていうのかな、こういうの。
いつもなんとなくうまくかわして、特に何事もなく終わったらいつもの日常。
何も問題はないんだけど、でもなんかこう、なんていうのかな・・・・。
「・・・・不毛だよね」
ぽつりと呟かれた言葉に思わず視線を向けた。
ヒロムは手の中のバナナミルクのパックをぼんやりと見ている。
「・・・・不毛って俺たちのこと?」
ちょっと眉間に皺が寄ってしまったかもしれない。
こっちを見たヒロムが少し慌てて手を振った。
「ちがうちがーう。そういう意味じゃなくて」
「うん」
「俺とテンくんのことじゃなくて、女の子たちがね」
「うん?」
ヒロムは、うーんと考えるような仕草で、再び視線をバナナミルクに戻した。
「俺が佐藤くんの彼女の友達を好きになることはないし、テンくんも先輩のことを好きになることはないでしょ?・・・・たぶん」
「なんで俺だけたぶんがつくの」
「テンくんの気持ちは俺の一存では決められないのでー」
そういいながらヒロムの口元は少し笑っていた。
「それが不毛?」
「受け取ってもらえない想いを持ち続けてるのって不毛なんじゃないかって思っただけ」
「好きな相手にちょっかいだしているいまの現状を楽しんでいるかもしれないよ。それなら不毛じゃない」
「物は言いようだよね」
ヒロムにはお気に召さなかったらしい。
イチゴミルクとバナナミルクのパックを意味もなく手の中で交互に入れ替えて、ぼんやりとそれを眺めている。
その横顔を見て、指で顎をなぞりながら少し考えた。
なんとなくと言ったのは、本当に面倒くさかったから。
そう、単純に面倒くさくて逃げてただけ。
向けられる好意を蔑ろにしていたとかではないんだけど、いや結局蔑ろにしていたことになるのかもしれないけれど。
本当の本当に、それに相対することが面倒くさかったからだ。
でももうしょうがない。
面倒くさいけど、ここが限界値のようだから、この上なく重い腰を上げた。
「どうしたの?」
立ち上がった自分をヒロムがきょとんとした顔で見上げる。
手の甲で鼻を擦って、ふぅと息を吐いた。
「不毛じゃなくなればいいんだろ」
「へ?」
「先輩のところいってくる」
「・・・・なにしに?」
突然の行動に驚いたらしいヒロムと目が合った。
「恋人がいるのでお付き合いできませんって伝えに」
サラッと言い放った言葉に、ヒロムは一瞬目を丸くして。
下を向く瞬間、緩んだ口元が見えた。
僅かだけど肩が震えている。
笑ってやがるなコノヤロウ。
「・・・・じゃあ俺も行こうかな」
「どちらに?」
「佐藤くんの彼女の友達のところ」
そういって、ひょいっと立ち上がったヒロムはどこか楽しげな顔。
いつも見ている、いたずら少年の顔。
それに目を細めて、思わず緩みそうになった口元を手の甲で押さえた。
「ちなみになにしに?」
「恋人がいるのでお付き合いできませんって言いに」
「泣いちゃうかもよ」
「泣いちゃうかもね」
そういいあいながら、顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
廊下に置いてあるゴミ箱の前で立ち止まる。
右手にバナナミルク、左手にイチゴミルク。
ふたつのパックをコツンと合わせて、「なんとかなるよテンくん」といいながらヒロムはゴミ箱に放り投げた。
なにか願掛けのつもりなのかよくわからないけれど、ね?と顔を上げたヒロムはどこか楽しげだ。
無意識に伸ばした手がヒロムの髪に触れる。
ポンッと頭の上に手を置くと、ヒロムはきょとんとした表情こちらを見ている。
ぽん。ぽん。
軽く頭を撫でてさっさと歩きだした自分の後ろで、ヒロムの少々不満げな声が聞こえた。
「それだけ?」
「急がないと昼休み終わっちゃうよ」
「あーはい。そうでしたー」
ちぇっと口を尖らせているヒロムも横に立って歩きだした。
「ねえ、テンくん」
「なによ」
「今日一緒に帰ろ」
「いいよ」
「明日も一緒に帰ろ」
「いいよ」
「・・・明後日も?」
「ずっとでいいでしょ」
そういいながら顔を向けると、ヒロムはうれしそうに笑った。
思わず緩みそうになった口元を手で隠し、廊下の分かれ道を指差す。
「じゃあ俺はこっちだから」
「うん。俺はこっち」
逆方向に歩き出したから、お互いの顔はもう見えないけれど。
でも、見えなくてもわかる。
たぶんヒロムも自分と同じように口元を抑えてにやにやしてるんだろうなって。
いまからすごくすごく面倒くさいことをしにいくわけだけど。
怒られるかもしれないし、泣かれるかもしれないんだけど。
なぜだろう。
不思議と足取りは軽やかだ。
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