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0話『プロローグ』
****♡Side・苦情係・課長(唯野 修二)
「行くな」
修二はどうしても彼を、行かせたくなかった。
「断る。遊びのくせに」
遊びなんかじゃなかったのに。
悪いのは自分だ。彼が周りから知らされるまで、黙っていたのだから。
「遊びなんかじゃ……」
「無いって言えるのか?」
一度目は責めることができなかった。
”既婚者のくせに”
彼に言われた言葉で、何も言えなくなった。
どうして、すぐに言えなかったのか。どうして上手くいくと思えたのか。
『離婚して欲しい』
彼に婚姻の事実を告げぬまま、妻に頭を下げた。しかし承諾してもらえるはずもない。
『三年は無理よ。あなたに好きな人がいて、その人と居たいというのなら私はその事には口は出さない。でも子供が成人するまでは、ちゃんとパパでいて欲しい』
彼女の言う事は、もっともだ。身勝手に家庭を捨てることなんてできない。
『あなたに愛されなくなったという事については、私にも非があったのだろうと思う。でも子供には罪はないのよ。あなたには責任があるでしょう?』
子供が大きくなり、両親が離婚したことがトラウマで、誰も愛せなくなったら、どう責任を取るのだと妻に言われた。三年、娘が成人して大人になるまでは離婚は出来ないと。
その時点で自分の家庭の話を、彼にすべきだった。自分は婚姻していることを言わなかったが、真剣であると。
後悔しても遅い。
他の人から修二が既婚者だと聞いた彼は、副社長と関係を持った。そして、
『あんたに責める権利はない』
ときっぱり言われ、何も言えないまま。
いつでもクールで気のない素振りをする彼だったから、そこまで気にしないと自分は甘んじて居たのかもしれない。
──頼むから、もう他の奴と寝ないで欲しい。
そんな本音を告げる権利さえない。
「遊びなんかじゃない」
ワイシャツの胸ポケットにはいつも、彼から貰った昇進祝いの万年筆。この世で一番の宝物。十以上も年下で娘の方が年の近い彼に、修二は本気で恋をした。
──その結果が、これか?
スーツのジャケットの中に、入れっぱなしの離婚届をクシャッと握りつぶす。これは全部、自分で招いた結果だ。一言だって、愛を伝えたことなどない。当たり前のように毎日傍に居て、仕事が終われば彼の家で一緒に夕食を取った。泊まることなどなかったが、彼といる時間は安らぎであり、何よりも幸せだったのだ。
──もう、終わりかも知れない。
聞き分けのいい自分。自分の方が大人だからと想いを告げず、いつでも優しさだけで接してきた。情熱を持つ副社長に負けても、仕方が無いのかもしれない。副社長は彼のたった二つ上。きっと、話も合うのだろう。
「遊びなんかじゃ、ないよ」
修二は彼に、丸めた離婚届を投げつけたのだった。
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