第一章 その瞳をしっかりと見た

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 焦燥に駆られながら、ロキは暗い中、じっと目を凝らし辺りを見渡した。どこからビーナスがやってくるかは分からない。とにかく、サーマルセンサーに探知されないよう、なるべく裏通りのビルで遮蔽になっている場所に駆け込んだ。  路地は複雑な迷路のように思えた。時折、腕の中のNo168を抱え直しながら、ひたすら走る。  暗いのもあって足は何度も止まってしまうが、それでもとにかくビーナスに今攻撃されるわけにはいかない。  ロキは迷宮を紐解くかのように、左右前後を確認しながら進む。No168が小さく「あ、う」と零していた。  路地を抜けた。すると目の前に広がるのは荒野だった。誤算だった。電子方位端末を使っていなかったのもあるが、どうやらB地区の廃墟から補給地区に入る前には荒野が広がっているのだろう。ロキは、苦虫を噛んだような表情を浮かべると、 「くそ! これじゃ、何も遮蔽物がないじゃないか! それなら、もう一度路地に戻るしか……!」  ロキはくるりと態勢を路地に向かうように身体を回転させた。すると自分の背後からタタタタと軽い足音が連続して聞こえた。瞬間、ゴツリ、と鈍い音がして、ロキは背中を殴打されたと分かった。 「ぐはあっ!」  口から大量に唾が吐きでる。腕に抱えているNo168を落としそうになるが、ロキは殴打された衝撃で前傾姿勢になり、膝を折った。反射的にくるりと顔を背後に向けると、そこにはビーナスがサーマルセンサー装置を赤く光らせて、大きなこん棒を振りかぶっていた。  ――やられる!  ビーナスのサーマルセンサー装置と青い瞳はオッドアイが光っているように思えた。ビーナスは思いきりロキを目掛けてこん棒を振りかざした。  ドスン、という激しい地鳴りを起こし、ビーナスのこん棒は地面を叩きつけた。ロキは咄嗟に、No168を抱きしめたまま、その場で転がり、二打目を躱した。少し砂が口に入った。  しかし、地面に伏せている状態では、これ以上躱すことなどできやしない。 (ここまでか!)心の中でそう呟き、目をぎゅっと瞑って、抱いているNo168の身体に力が入る。No168の小さな鈴のような声が「あ、う!」と脳裏に響く。  自分が今までやったことの報いかもしれない。それでビーナスに殺されるのもまた運命なのかもしれない。ロキは走馬灯のように過去の自分の過ちを思い出していた。  その瞬間だった。  ズドン、と重たい銃声が鳴った。すると、背後のビーナスが、「ギャア!」と金切り声を上げて地面に倒れる音がした。土埃がロキの身体にかかる。  ロキははっと顔を上げた。すると、バイクらしき発進音がごうごうと響いて、ロキの目の前で止まった。 「よう、危なかったな、あんた」  言って、装甲されたバイクに跨った、色黒のざんばら髪の男が、声を掛けてきた。ぱっと見はロキと同じくらいの年齢に思えた。まだどこかあどけなさの残る顔付きをしている。よく見ると、頬に傷があった。男は清々しく微笑むと、その手にはショットガンを持っていた。 「大丈夫か?」  その男はロキに手を差し伸べてきた。ロキは一瞥すると、背後に倒れているビーナスを見た。……もうぴくりとも動かない。心臓を一発で撃ちぬいている。このバイク乗りの男。こんな夜なのに相当な手練れであることは理解ができる。しかし、ロキは身体をがばりと起こすと、 「おい、あんた! なんで殺した!」  荒野に響き渡るくらいの大声を張り上げ、ロキは男に言った。男は、「は?」と顔をしかめた。 「何言ってんだよ。俺らがビーナスを殺すのは金のためでもあるだろ。それにあんた死にそうだったじゃないか。命の恩人に対してその言い草はどうかと思うぜ」  言って、ショットガンを下げると、男はロキの手の腕の中にあるNo168に気づいた。 「つか、あんた、なんでビーナスなんか抱きかかえてるんだよ! もしかして、あんた、その女とどこかで良いことしようってことだったのかよ? はっ、あんたの方がどうかしてるぜ」 「違う! 俺はこの子を治療したいんだ! こうやって、ビーナスが死ぬところを見たくない。もちろん、俺たち人間の死も見たくないんだ! 確かに助けてもらったかもしれない。でも、俺はこんな結末望んじゃなかったんだ!」 「意味わかんね。ここで俺たちが生きてくためには、ビーナスを殺すことが生きるための糧になるんだぞ? それに、命がなかったらなんもできやしねえ。そんなビーナスなんか放っておけばいいのに、あんた変だ」 「変だって、なんだってどうでもいい! それより、あんた、この子は撃たれていて重症なんだ。この先は補給地区だろ? どこか手当できる場所までそのバイクに乗せてってくれないか!? お礼ならする!!」 「は? 何勝手なこと言ってんだ! 助けてもらって礼のひとつも言えねえ奴に何で俺がこれ以上何かしてやらなきゃいけなんだ。けっ」  言って、男は唾を吐き捨てると、ロキは、静かに頭を下げ、ゆっくりNo168を下すと、鞄から、沢山の札束を取り出した。おそらく、二万ポイントほどある。ロキはまだ砂の入った口の中でごくりと唾を飲みこんだ。砂がより自分の危機感を高めた。ロキは冷静に、 「さっきは有難う、そしてすまない。あんたがビーナスを殺す理由だって理解してる。ただ、命を粗末にする現場にいたくなかったんだ。それだけなんだ。この子だって、命がまだある。助かる術があるなら助けてやりたいんだ。ビーナスだって、命ある生命体だろ? 俺たちとなんら変わりないんだ。だから、この金をあんたにやる。だからなんとかバイクに乗せてくれ!」  言って、ロキは懇願すると、男はその金を手に取った。じっと、いつまでも頭を下げているロキを見下ろしながら、はあ、とため息を吐いた。 「わかったよ。でもよ、そのビーナス、大丈夫なのか? 補給地区には入れないし、あんた医療知識あるのか? どうやって助けるつもりなんだよ」  言われて、ロキは顔を上げ、「……考えてない」と、呟いた。すると、男はまたはあ、と更に深くため息漏らすと、 「わーったよ! 俺がいいことを知ってる。闇商人って知ってるか? あちこちの戦闘フィールドを歩きまわって、裏取引をしている商人がいるんだ。そいつならもしかしたらビーナスを治療する手段を知ってるかもしれねえ。ちょうど、さっき見かけて、そいつからこのショットガンを買い取ったんだ。こいつはちょっと特殊でね。暗視スコープが付いてんだ」  得意気にショットガンを翳す男。ロキは、そのショットガンを少しだけ男に分からないように苦々しく見つめた。それから、少し呼吸を整えると、 「じゃあ、その商人に会わせてくれないか? 俺じゃあこれ以上何もできないから……」 「わかったよ。まだそんな遠くに行ってないだろうから探してやるぜ。あんた、名前は?」 「ロキ。ロキだ。それと、この子はNo168」 「へえ、そこまで知ってるのか。本当に変なやつ。俺はアディーだ。よろしくな。さ、乗りな。振り落とされんなよっ!」 「有難う、すまない!」  言って、No168を優しく抱きかかえ直し、装甲バイクの後ろに乗った。かなり大きいバイクで、色んな物が乗っている。武器、食料が主な荷物のようだ。 「良い音出せよ、相棒!」  ブルンブルン、とエンジン音を夜空に響かせると、そのまま急スピードで荒野を駆けだした。
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