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「フン、あんな人間の小娘なんか知らないニャ。あたしは、お前らみたいな珍妙な生き物の生態を見に来ただけだニャ」
そう言うと、ミーコはその場で毛づくろいを始めた。自身の毛をなめながら、さらに語り続ける。
「まったく、吸血鬼と人狼くずれが人間の子供を育てるなんて、聞いたことないニャ。あたしも二百年生きてきたけど、お前らみたいなアホは前代未聞だニャ。本当におかしな奴らだニャ」
「余計なお世話だよ」
言い返すライムを、ミーコは緑色の瞳で見つめる。
「そろそろ、別れの時じゃないのかニャ」
そう言われたライムは、思わず顔をしかめた。確かに、別れの時は近づいている。
ロミナは、もうじき学校に行かねばならない年齢だ。やがて、自分の母と父が普通でないことに気づくだろう。吸血鬼と人狼が、自身の両親の代わりを務めていたと知ったら──
「あのガキを手放すなら、今のうちだニャ」
心のうちを見透かしたかのようなミーコの言葉に、ライムは眉間に皺を寄せた。
「わかってるよ。あんたに言われなくても、わかってるから」
不機嫌そうな口調で答える。その時だった。
「お母さん! どこ行った!」
不意に、家の中から声が聞こえてきた。普通の人間ならば、聞き取れないだろう。だが、吸血鬼であるライムの耳にははっきりと聞こえた。
直後、ライムは異様な速さで動く。人間にはありえないスピードで家に戻り、ロミナの寝室へと入った。
「ロミナ! どうしたの!」
駆け込んだライムの前で、ロミナは上体を起こした。その顔は、恐怖のあまり蒼白になっている。
「お母さん! 凄く怖い夢を見たのだ! 一緒に寝て欲しいのだ!」
「もう、しょうがない子ね」
ライムは、ベッドに横たわる。すると、ロミナはしがみついてきた。
少女の頭を撫でつつ、優しく尋ねる。
「どんな夢を見たの?」
「緑色の怖いお化けが出たのだ。いっぱいいたのだ。お父さんもお母さんも、お化けに食べられてしまったのだ」
それは、ゴブリンに襲われた時の記憶だろう。ロミナは、あれを現実ではなく悪夢として認識している。本人にとって、それがいいことかどうかはわからない。
ライムにわかっていることはひとつ。今の自分が、どんな言葉をかけてあげればいいか……それだけだ。
「大丈夫だよ。お母さんは、とっても強いんだから。お化けなんか、すぐにやっつけちゃうよ」
「ほ、本当か?」
「本当だよ。ロミナを怖がらせるような奴は、お母さんがみんなやっつけるから」
「おおお! それは凄いのだ!」
しばらくして、ロミナの寝息が聞こえてきた。ライムは、優しい表情で少女の寝顔を見守る。
その時、寝室の扉が開く。入ってきたのは、ミーコだった。二本の尻尾をくねくねと揺らしながら、緑色の瞳でライムを見つめる。
「小娘は、眠ったようだニャ」
「何よ、また厭味を言いに来たの?」
ライムの言葉に、ミーコはぷいと横を向く。
「別に、お前ら珍獣どもが何しようが知ったことじゃないニャ。好きなようにすればいいニャ。三百年生きてる化け猫さまには、関係ないニャ」
言いながら、ミーコは毛づくろいを始める。ライムはそっと立ち上がり、皿にスープを入れた。
素知らぬ顔をしているミーコの前に、皿を置く。
「残り物だけど、食べる?」
「残り物かニャ。まあ、食べ物を捨てるのは良くないニャ。仕方ないから、食べてやるニャ」
ミーコは舌を出し、スープをなめ始めた。その姿は、上位の妖魔とは思えないほど可愛らしいものだ。ライムは、くすりと笑った。
やがて、ミーコはスープを食べ終える。口の周りを舌で丹念に拭い、ライムを見上げる。
「時間が経つと、それだけ別れがつらくなるニャよ。まあ、決めるのはお前たちだからニャ。あたしの知ったことでもないニャ」
そんなセリフを残し、ミーコはふっと消える。現れた時と同じく、唐突に消え失せてしまった。
「まったく、あのバカ猫は……食うだけ食って、好きなこと言って消えてったよ」
ひとり呟きながら、ライムの手はロミナの髪を撫でる。
できることなら、ずっとこうしていたい。だが、それはロミナにとって幸せなことではない。
この娘は、いつかは人間社会に帰って行かねばならないのだ。
翌日。
昼と夜の狭間の時間、家族はいつもの通り食卓を囲んでいる。
「お母さん! お父さんの作ったご飯は美味しいのだ!」
ロミナの無邪気な声が、家の中に響き渡る。
別れの時は、もう遠い先の話ではない。この幸せな時を味わえるのは、あと何回だろうか。
だからこそ、今はロミナのために全てを捧げる。
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